[三百諸侯」の表紙です。
この中に「新太郎少将光政 中江藤樹を訪ひし事 」という記事があり、それを紹介します。
「鳰の海面霞わたり、告天子の高く唱うは、近江国高島郡小川村の聖人様・・・・・枝折戸したる村塾あり・・・」こんな書き出しで始まります。告天子はひばりと読むのだそうです。
そこは中江藤樹の草庵です。里の餓鬼どもたちが履いていたのでしょうか足半(あしなか)が、所狭しと散らかっています。そんなん子供たちの足跡がいっぱいについている、埃まみれの玄関だろうと思われる所に、備前藩主池田光政は、悠然と腰をかけられるのです。 常に、倹約を心がけていた藩主光政侯ではあったのですが、その時の野掛の御召物は、黒木綿の紋付羽織、小倉の袴、鉄造(てつごしら)への脇差、柄(つか)は皮を巻き付けた上物でした。羽織の紐は、軒端に咲いている藤の花と同じ紫の匂えるような鮮やかなものでした。
その時、家来の者が、岡山弁で、しかも、声を荒げるようにして言います。
「御前、孔明三顧の例とは申しながら、あんまりにも中江は無礼じゃあないですか」
と、きつく申し上げたのだそうです。すると、光政侯は、物静かにご自分の手を以て、その家来を制します。これからが光政侯の真骨頂です。
この中に「新太郎少将光政 中江藤樹を訪ひし事 」という記事があり、それを紹介します。
「鳰の海面霞わたり、告天子の高く唱うは、近江国高島郡小川村の聖人様・・・・・枝折戸したる村塾あり・・・」こんな書き出しで始まります。告天子はひばりと読むのだそうです。
そこは中江藤樹の草庵です。里の餓鬼どもたちが履いていたのでしょうか足半(あしなか)が、所狭しと散らかっています。そんなん子供たちの足跡がいっぱいについている、埃まみれの玄関だろうと思われる所に、備前藩主池田光政は、悠然と腰をかけられるのです。 常に、倹約を心がけていた藩主光政侯ではあったのですが、その時の野掛の御召物は、黒木綿の紋付羽織、小倉の袴、鉄造(てつごしら)への脇差、柄(つか)は皮を巻き付けた上物でした。羽織の紐は、軒端に咲いている藤の花と同じ紫の匂えるような鮮やかなものでした。
その時、家来の者が、岡山弁で、しかも、声を荒げるようにして言います。
「御前、孔明三顧の例とは申しながら、あんまりにも中江は無礼じゃあないですか」
と、きつく申し上げたのだそうです。すると、光政侯は、物静かにご自分の手を以て、その家来を制します。これからが光政侯の真骨頂です。