鹿狩りの時の手足に負った負傷によって、前々から思っていた通りに、岡山藩政から身を引こうと考えられた先生でした。
公の「許さず」という人声で、それが叶わなくなります。
それからのこの二人の駆け引きが、また面白いというか、とても興味ある心理作戦が繰り広げられます。
そこらあたりの様子を、又、「熊沢了介先生事跡考」から覗いてみます。
その時、光政侯には庶子八之丞君というお方がおられます(三男です)。所謂、この八之丞君の母は光政侯の侍女ですから、正当なる池田家の跡を継ぐような若君ではなかったのです。子飼いの一生部屋住みのお方で終わることが約束されているような人でした。
このお方を熊沢家の養子に迎えようと先生は光政侯に願い出ます。そうしますと、光政侯は、まあ、この辺りで先生の希望をかなえてやると、まさか、突然には藩政から身を引くとは言わないであるうと思われて承諾するのです。そのあたりの様子が、次のように記されています。
「・・・公亦其遯志を止めんと思しけるにや、請うにまかせられ・・・」
と。
でも、この八之丞が熊沢家の養子が決まると、先生は
「即先生家務を譲り」ます。
それもです、熊沢姓でなく池田姓として、身分は先生が頂いていた「組士の番頭」のままです。なお余談ですが、この後、綱政侯の時にです。この八之丞君は、一万五千石を領し池田丹波守従五位政倫朝臣と名乗ります。
それを受けて、先生はのうのうとではないのですが、ご自分の意思の通りに岡山藩の政治から身を退かれるのです。39歳という若さです。
これからも分かるように、結局、この藩主光政侯と先生との二人の勝負といいますか駆け引きは、先生のほうに軍配が上がるようです。でも、面白いことに、ここまでは先生の頭に描いた通りに物語が展開されますが、やっぱり自分の思い描いた道通りにはいかないのが、決まり切っている事なのですが、それが人生という厄介なものなのです。この辺りから、少しずつ先生の設計に狂いが生じて来るのです。
公の「許さず」という人声で、それが叶わなくなります。
それからのこの二人の駆け引きが、また面白いというか、とても興味ある心理作戦が繰り広げられます。
そこらあたりの様子を、又、「熊沢了介先生事跡考」から覗いてみます。
その時、光政侯には庶子八之丞君というお方がおられます(三男です)。所謂、この八之丞君の母は光政侯の侍女ですから、正当なる池田家の跡を継ぐような若君ではなかったのです。子飼いの一生部屋住みのお方で終わることが約束されているような人でした。
このお方を熊沢家の養子に迎えようと先生は光政侯に願い出ます。そうしますと、光政侯は、まあ、この辺りで先生の希望をかなえてやると、まさか、突然には藩政から身を引くとは言わないであるうと思われて承諾するのです。そのあたりの様子が、次のように記されています。
「・・・公亦其遯志を止めんと思しけるにや、請うにまかせられ・・・」
と。
でも、この八之丞が熊沢家の養子が決まると、先生は
「即先生家務を譲り」ます。
それもです、熊沢姓でなく池田姓として、身分は先生が頂いていた「組士の番頭」のままです。なお余談ですが、この後、綱政侯の時にです。この八之丞君は、一万五千石を領し池田丹波守従五位政倫朝臣と名乗ります。
それを受けて、先生はのうのうとではないのですが、ご自分の意思の通りに岡山藩の政治から身を退かれるのです。39歳という若さです。
これからも分かるように、結局、この藩主光政侯と先生との二人の勝負といいますか駆け引きは、先生のほうに軍配が上がるようです。でも、面白いことに、ここまでは先生の頭に描いた通りに物語が展開されますが、やっぱり自分の思い描いた道通りにはいかないのが、決まり切っている事なのですが、それが人生という厄介なものなのです。この辺りから、少しずつ先生の設計に狂いが生じて来るのです。