私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

公 泰然として固く許さず

2010-02-03 10:49:53 | Weblog
 公とは、当然ですが岡山藩主池田光政侯です。鹿狩りの時崖から落ちて「手足を傷れり」その為に、公務に支障が出るから辞めさせてくれと頼みます。
 「泰然として固く許さず」
 と書かれてあります。
 辞書によると、泰然とは、ゆったりと構えてどっしりと落ち着いている様子という意味だそうです。
 その光政侯の「許さず」と言った時の声やその態度が目に見えるようです。もし、あの松本白鸚翁に演技させたらと思うと、自然に笑いがこみあげてきます。また序でに、それを聞いた伯継先生の何とも云われない様なやるやるせないような演技は、どの俳優さんが似合うだろうかとも考えてみました。ひょっとしたら長門裕之か三国連太郎辺りが似合うのかもしれませんね。松本幸四郎の役柄ではないと思います。

 つい余興になりましたが、こんな二人の会話があった事は事実っです。でも、端からやる気すらなくしてしまった伯継先生、どうしたら、主君光政を納得させるようなことはないかと色々模索します。
 その一つとして、その当時、光政侯の三男、池田八之丞という庶子に、当然、部屋住みの身分ですが、目を付けたのです。母は光政侯の侍女でした。その池田八之丞を、明暦二年正月に、熊沢家の養子として頂きたいと、先生は光政侯に申し出ます。先生38歳の時です。光政侯は、まさか直ぐにも、その八之丞に家督を譲って隠居とも思われずに承諾します。ところがです。翌年の明暦三年冬3月には、光政の思惑と相違して早くも隠居してしまいます。