私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「なにゅういよんなら」

2010-02-09 10:11:40 | Weblog
 「なにゅういよんなら」。こんな岡山弁お分かりですか。

 またまた、例の飯帝寶泥氏からメールを頂きました。毎度すまんこっちゃです。
 というのは、昨日の私のブログについてです。
 [おめえが、又、ええ加減なことばあ書きやがって。光政が花畑に教場を作ったのは、確かに、おめえがいうように寛永18年の事だ。せえでもなあ、花畠教場は寛文6年まで26年間もこけえあったんじゃ。・・・・・なにゅういよんなら。そのええだに、おめえがいいように、蕃山もその弟泉忠愛も光政に仕えて居るのじゃ。せえじゃけえ、この二人が、ここの儒員じゃったこたあ、ちがやあへんのじゃ。「当時」という言葉に惑わされているようじゃあ、まだまだおめえの読みはあせえのう」
 
 と、これまた、こっぱです。なお、「儒員」というのは、儒教を教えるために仕えら家臣のことだそうです。念のために、広い意味で先生という意味だそうです。

 「当時」ですか。出来た早々と思っていたのですが、そう言えば、花畠教場が花畠にあった時の事を大きく解釈すると「当時」ともいいます。、此の二人の先生がいたと言うのは真実です。私のはやとちりです。永山先生の過ちを指摘するとは私も相当なもんだと少々天狗になっていたのです。永山先生に謝らなければいけないと、此のご指摘を承って反省することしきりです。

 まあ、寶泥氏は、私みたいな者の書くブログをなんてよく見ていてくれのだろうと、毎度のことですが、感心するやら驚くするやらです。有難いことです。