私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

その後の蕃山

2010-02-10 11:50:33 | Weblog
 時代ははっきりとはしてないのですが、色々な事情により蕃山は岡山を離れ京都に移り住んでいます(寛文の初め頃か?)
 この時、京都で、先生は、どうも琵琶や筝を習ったような形跡があります。ある時「越天楽」の笛を吹いていたのを安部某という当時の笛の名人が、たまたま聞いて「これは大したものだ」と褒めたとも伝えられています、それくらい音楽にも長けていたようでした。その一方で、一条右府教輔などの多くの公家たちを教えています。
 そんな時、何故だか分りませんが、公家の中の三条某が、京都所司代牧野親成という人にに
 「熊沢蕃山が、今、公家たちを何かを頻りに教えている。この蕃山という男、かって由比正雪の事件と関わったとかいう噂もあった様な、あまり信頼のおけない人物のようです。用心された方がいいのではと思うのです。いっそ京都から追放の御処分をお出しになられたほうが後々の為になるのではとも思いますが、いかがでござりましょうか・・」
 と、申し上げたのです。
 
 そこで牧野親成は、早速、蕃山を京都からの追放処分にします。
 仕方なく先生は、一時、吉野に隠れられます、寛文7年の春の事でした。

  この春は 吉野の山の やまひとと
            なりてこそしれ 花のいろ香を
 という歌もお作りになっております。
 この吉野には一年ほど居たのだと思われます。これから蕃山の悲劇というか放浪みたいな生活が始まるのです。