今日のテーマ「炎熱を烘る夏のなき」ですが、この「烘」るという字はどう読むとお思いですか。・・・・・・・「あぶる」と、読ますのだそうです。「共」には、大きいと云う意味があるのだそうです。それだけ言うと、もうその意味はくだくだと説明する必要はありません。
それにしても、漢字は、調べれば調べる程、その奥の深さだけではなく、摩訶不思議さを通り越して、漢文字独特の何とも言えない匂いみたいなものまで感じられ、今更なのように感心しています。大した民族ですね。漢字を作りだした中国人は。
この「あぶる」は、他に、「炙る」「焙る」とも書くのだそうですが、火と共にいるようなうだる暑さの夏を表現するのに、これぐらい適した字はほかにないと思います。
ちょっと余談が長引きましたが、本題に入ります。
「流店(りゅうてん)の水」と十勝の一つに数えられている「流店」を詠んだ歌も、また、沢山作られています。
その代表的な歌を、まず、初めに。言わずもがなの綱政侯の御歌です。
かげ清く 流るヽ浪に 夏のなき
秋くる方を みなかみにして
“夏のなき秋”をです。炎熱を烘(あぶ)る夏の最中、爽涼たる流店、そこに憩う人たちはみな清風が快通してくる方、そうです。秋か?と、さえ思わすような風に誘われるように、吹く風に体を向けて、人々が座っていることよ。その風と一緒に、そこいらを清らかに流れる水紋の、何と穏やかなにして静かなことだろうか。
これぐらいの意味だと思います。
なお、この他、多くの詩歌でも取り上げられています。
貴島磯麿や黒田 慎は、綱政侯の歌の「夏のなき」を本歌取り風に取り入れて、次のように詠んでいます。
・水無月の てる日のそらも この殿は
水と風とに 夏なかりけり
・園のうち めくる清水を せきいれて
夏をよそなる やまかげのいほ
その他、岡 直蘆も
・ゆく水を せきもいれつヽ すヽしさの
名にながれたる いほはこのいほ
と詠んでいます。
この他
「珊々床下鳴環珮」、「牀下水泓々」などと、この「流店」を流れる瀬韻の清らかさを褒め称えた漢詩も見られます。
それにしても、漢字は、調べれば調べる程、その奥の深さだけではなく、摩訶不思議さを通り越して、漢文字独特の何とも言えない匂いみたいなものまで感じられ、今更なのように感心しています。大した民族ですね。漢字を作りだした中国人は。
この「あぶる」は、他に、「炙る」「焙る」とも書くのだそうですが、火と共にいるようなうだる暑さの夏を表現するのに、これぐらい適した字はほかにないと思います。
ちょっと余談が長引きましたが、本題に入ります。
「流店(りゅうてん)の水」と十勝の一つに数えられている「流店」を詠んだ歌も、また、沢山作られています。
その代表的な歌を、まず、初めに。言わずもがなの綱政侯の御歌です。
かげ清く 流るヽ浪に 夏のなき
秋くる方を みなかみにして
“夏のなき秋”をです。炎熱を烘(あぶ)る夏の最中、爽涼たる流店、そこに憩う人たちはみな清風が快通してくる方、そうです。秋か?と、さえ思わすような風に誘われるように、吹く風に体を向けて、人々が座っていることよ。その風と一緒に、そこいらを清らかに流れる水紋の、何と穏やかなにして静かなことだろうか。
これぐらいの意味だと思います。
なお、この他、多くの詩歌でも取り上げられています。
貴島磯麿や黒田 慎は、綱政侯の歌の「夏のなき」を本歌取り風に取り入れて、次のように詠んでいます。
・水無月の てる日のそらも この殿は
水と風とに 夏なかりけり
・園のうち めくる清水を せきいれて
夏をよそなる やまかげのいほ
その他、岡 直蘆も
・ゆく水を せきもいれつヽ すヽしさの
名にながれたる いほはこのいほ
と詠んでいます。
この他
「珊々床下鳴環珮」、「牀下水泓々」などと、この「流店」を流れる瀬韻の清らかさを褒め称えた漢詩も見られます。