私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

「サチとチサ」、後楽園でのはやとちり

2009-11-28 16:00:00 | Weblog
 「27,8日頃が見ごろでしょう」と、後楽園事務所のお話でしたので、今日、先に上げた石灯篭も、もう一度確認してもいいわ、と思い入園してきました。
 まだ、未確認の花葉の森にあると言われる「チサの木」も、ついでにと栄唱橋の側を通り森の中に歩を進めます。でも「北西の隅にある葉のとんがった木」という事だけを頼りの探索です。いくら探しても、それらしい木は見当たりません。
 丁度、そこを後楽園の案内の人が、お客さんと連れだって通られます。
 「サチの木をご存じありませんか」
 と、尋ねてみました。
 「サチ?どんな字を書くのですか。大きな木ですか。花はどんな色ですか、いつごろさきますか・・・・分かりません。私は聞いたことはありません。すいませんね勉強不足でね」
 と、甚く恐縮されているご様子。

 その案内の人は、ご夫婦でしょうか、その案内をしながら、二色岡・廉池軒の方へと下って行かれます。
 私は、又、しばらく、葉のとんがっていそうな木を見つけるべく辺りをうろつきますが、そんな木はどこを探してもありません。まだ、しばらく辺りを捜しますがありません。
 仕方がありません。
 「花葉の紅葉が、今、一番だよ。この下からの眺めが格別です」
 と、さっきの案内の人が、別れる時に、教えて下さった花葉の紅葉を見に、丸石をきれいに敷き詰めて作った徑を下りていきます。
 そこには、今を盛りと、紅葉の錦が、池に映って実と虚との二段の美しさを映し出しています。己の一年のうちでの一番のはなやいだ姿を誇張しながら、まるでスラーの点描絵のように、微妙に違う無数の赤が乱れ跳んでいるようでもあります。
 そんな美しさに酔いしびれながら、しばらくはただ無心に、赤に心を奪われています。 その時です、どうしてでかは分からないのですが、突然に、ふと頭を横切ります。

 「あ、さっき、私はあの案内の人になんと言ったか。サチの木といったではないか。サチではない。・・・・・・チサだったのに」
 そこらあたりを見渡したのですが、あの案内の人の姿は見当たりません。なんとはやとちりをしたことでしょう。チサをサチだなんて。案内の人が、知らないのは当たり前です。それを、あれこれと、しつこく尋ねた自分に嫌気がさします
 
 今日の後楽園での私の失敗です。

 それから、これは失敗ではないのですが、大立石の側にあったと云う「一条院」と名付けられた、園内で一番先に秋を知らせてくれる楓の木は枯れて、今はないと、例の案内の人がお話してくださいました。

 なお、家に帰って調べてみますと、後楽園にある「チサの木」は」百年以上もたっている大木で、人の一抱えもある木肌が紫色をしている木だそうです。それを目安に捜せばすぐ分かると云う事でした。
 また、此の案内人の話ですと
 「千入の紅葉は、もう一週間後ぐらいが一番いい」
 とのことでした。
 だから、私は、それを見に、もう一度訪ねてみようと思っています。


 その時こそ「リチーサ」ではなく、「リサーチ」して、チサの木を見つけようと思っています。
 ダジャレニモナリマセンガ。