「唯心堂月」を詠んだ歌に
・出づるより 入るまでかヽる 雲もなし
心のまヽに 月をこそ見め
(唯心山にある六角の建物が唯心堂です)
があります。
この歌を作ったのは、九代岡山藩主池田斉敏侯です。斉敏侯の兄が、あの鹿児島藩主島津斉彬侯で、島津氏から養子として岡山藩主になられた人ですです
園内にある「井田(せいでん)」を造った人としても知られています。「井田」というのは、中国の周の税制、田租法を習い造られています。
なお、これは余談事ですが、あの「岡山名物「大手まんじゅう」の命名者でもあったと云い伝えられています。でも、若くして(32歳で)亡くなられています。
この斉敏侯の他にも、沢山唯心堂の月を詠んでいますが、貴島磯麿の歌を上げておきます。
・むらきもの 心のくまも はれにけり
この高殿の 月にむかひて
・出づるより 入るまでかヽる 雲もなし
心のまヽに 月をこそ見め
(唯心山にある六角の建物が唯心堂です)
があります。
この歌を作ったのは、九代岡山藩主池田斉敏侯です。斉敏侯の兄が、あの鹿児島藩主島津斉彬侯で、島津氏から養子として岡山藩主になられた人ですです
園内にある「井田(せいでん)」を造った人としても知られています。「井田」というのは、中国の周の税制、田租法を習い造られています。
なお、これは余談事ですが、あの「岡山名物「大手まんじゅう」の命名者でもあったと云い伝えられています。でも、若くして(32歳で)亡くなられています。
この斉敏侯の他にも、沢山唯心堂の月を詠んでいますが、貴島磯麿の歌を上げておきます。
・むらきもの 心のくまも はれにけり
この高殿の 月にむかひて