私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

藤架と蘇鉄

2009-11-01 17:01:04 | Weblog
 廉池軒の東に藤棚があります。東西二棚に分かれ、東側が赤紫、西側には白です。紫白色の花房を垂れている景色は、初夏の後楽園の、又、趣を異にする奇観でもあります。
 
     藤のたな 夏きてみれば 紫の
               なみうちかけて 花咲にけり   
                          岡 直盧

 此の藤棚の北に、なぜ、ここに永忠は蘇鉄かと思うのですが、いっぱいに葉を伸ばして、後楽園の風景に何か、奇異な感じを与える蘇鉄の園があります。私の好きでない、何時も、無視するように、さっさと通り過ぎる場所です。
 
 その蘇鉄園をぐるっと回ると、東に「かきつばた」の田があり、その側らに、これ又、日本文化を象徴する伊勢物語の三河の八橋を擬して作られている八枚の板の仮橋が架けられています。

            
 
 此の板橋の奥にあるのが蘇鉄園です。

 この「蘇鉄」と「八橋」から、私の、それこそ勝手な想像を何時もしております。まあ、お聞きください。
 
 永忠が、この庭園の造成を綱政侯から承った時には、こんな蘇鉄を、園の中に配置するなどという計画はなかったのではと考えられます?。
 そもそも、この蘇鉄と言う南方の情趣を感じさせるような植物は、四季を配する日本庭園の中に、かって一度たりとも、副題にさえも取り上げられたこともなかったのです。あまりにも、この蘇鉄は、幽深静寂を主目的とする日本庭園には不釣り合いな植物なのです。
 ひょっとしたら藩主綱政侯が、江戸城かどこかで、薩摩あたりの南国大名からでも
 「今度、貴公の岡山に庭園を造られるそうじゃな。・・・そこへ「蘇鉄」を植えてみたらどうじゃな。きっと風情がある庭になると思うのじゃが」
 と、吹聴されたのだはないでしょうか。その言葉が心にあったから、永忠にたっての要望をしたのではないかと想像しているのですが?
 しぶしぶと?、仕方なしに、園の片隅に、正面から見ると唯心山に隠れて見えないような場所に配し、更に、強く懇請した人?に対しての強烈なる当てつけとでも取れるようなものを、日本の代表的な幽寂な風景「八橋」を、すぐ脇に、わざと配したのではとも?思うのですが。

  これで幾分たりとも、永忠の鬱憤が晴れたのやら?

 私の、これも、後楽園を楽しむ方法の一つでもあります。

 どうして、こんなことをと思われるかもしれませんが、いくら捜しても、この後楽園の蘇鉄を詠んだ和歌が一つもないからです。それほど蘇鉄が此の園と似合ない取り合わせだったのではないでしょうか。
 こんな馬鹿げたことを考えるような暇人は、私を置いて誰もいないのではと思いつつ書いてみました。ご批判を頂ければ・・・・。