私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

光明皇后の楽毅論

2009-11-11 10:21:36 | Weblog
 もうこの辺で後楽園の十勝に進もうかと思っていたのですが、またもや、またもやです、あの寶泥氏からのメールです。
 「まあ、いっか。どうせ、水行く河の蜘蛛手なれば、ついでのこと、今日も余談の事と相なり候」とばかり、ちょっぴり気取って、もう一日横道へ反れてみました。
  
 今日もかの寶泥氏曰く、です。

 「おめえは光明皇后という人を知っているのか」と、まず、書いてあります。
 彼によりますと、光明皇后は、癩患者の膿を吸ってやって、その人の病を治したとか、また、悲田院や施薬院を設けて、病人や孤児を救ったなどと、慈悲の権化のような人と思われ、その書についても、その慈悲の心が表れて「人を思いやるような崇高な温かさが表れている精華な筆跡」だと、大いに讃美されているのだが(実は私もそう信じていたのです)、実情は現実とは随分と異なっているのだと、寶泥氏はおっしゃられるのです。
 ここにあるような、これらの逸話は、総て、政治権力を自分の一手に掌握するための、藤原氏の計算ずくの巧妙な作り話だと云うのです。長屋王の話もその一環なんだそうです。

 「おめえが、えろうありがたがって、どうやって列のなけえ、へえりこんだんかしらんが、2けえも3けえも見るほど価値のあるよなええ書じゃあねえど。」

             楽毅論の一部です。
 
 そう言われて、もう一度、一字ずつ買ってきた図録の書を見てみました。
 改めて見てみると、彼が言うように、今までは、全然、気の付かなかったのですが、何かごつごつとした如何にも力強よそうな、言いかえると、あたかも男が書いたのではと、まがうような感じさへ伺えるような気にもなります。私が、今までに漫然と見てきた感じとは随分違って見えます。例えば、二行目の「劣」という字を見てください、鈍角に曲った先までピンと伸びた線の醸し出す強烈な強さ、それから、「次」の、つとに落ち着き払った安定感など、どう見ても男その物を感じさせるような書きぶり。自分を十分主張するような個性がにじみ出ている字のように思えてきます。
 細心の女心が漂うような、微妙に柔らかさのある精緻な温かさの見える書ではありません。
 自分の娘(後の孝謙天皇)を、どうしても天皇にと、いう強い思いがあった光明皇后の気の強さみたいなものが浮かんでくるようにも、不思議なことですが、思われます。

 それにしても、この飯亭寶泥氏
 「なんでも、よう知っているのう。てえしたもんじゃのう。」と、思わずにはおられません。

 

 これは楽毅論の最後に付記した光明子の署名です。
 皆さんはどう思われます?。「十」のやけに大きすぎるのはどうしたことでしょう。でも、私は、この「藤三娘」という字が昔から好きでした。いまも、やはり好きですが。緊張感がたち消えたような柔らかな感じがする少々誇り高き女性その者の字だと、思われませんか。
 でも、私は、こんな男っぽい字ですが、今でも好きです。歴史を深く物語ってくれる様な、旦那様の聖武天皇の書とは、又、違ったすてきな書だと思っています。