私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

板口冨美子という人ご存じですか ①

2008-12-24 20:08:10 | Weblog
 今朝の朝日新聞の「天声人語」に、こんな記事が出ていました。

 キリスト教徒の詩人、板口冨美子の作「クリスマスを祝う}の一節を引く。
  
 “みんなお互いにぬくめあおうと
  みんなお互いによろこばしあおうと
  どんな苦しい日の中も
  この日だけは
  そのことばかりを考えている”

 この「板口冨美子」さんのこと知っていますか?
 ちょっとご紹介します。と言いますのは、この人は私と同郷なのです。叔母平方政代と随分親しかったという関係から時々噂を窺ったり、また、お会いしたこともありました。
 お生まれになったのは総社市美袋です。大正4年にお生まれになり、東京女高師に進まれますが、途中で、脊髄カリエスに犯され、以後ベットに寝たきりの人生を死ぬまで、美袋で、お送りになります。
 
 昭和27,8年頃だったと思います。東京から帰省していた叔母がその板口冨美子さんのベットを訪ねます。確かではないのでが、夕がた近くなっても帰ってこない叔母を心配した母が、私を板口家に叔母を迎えに行かせます。その帰り道で聞いた叔母の言葉が、もう60年以上もたっているのですが、今でもはっきりと残っています。桜も散って、ぼつぼつ蛍の光が皐月闇の中にぽつりぽつりと輝こうとしている時分だったと思います。叔母が彼女にしか分からない、何か感慨深そうに、涙声に近っかったのではと思いますが、話してくれました。いつも明るく陽気に話す叔母ですが、その時に限って、夕闇が迫る美袋のさびしげな通りの中でぼそりと言われたその言葉は、今でも耳に残っているように思われます。
 「どうして神様はエコひいきされるのじゃろうな。あんないい人がどうして寝たきりなんじゃろうか。どけえも歩いて行けんのじゃなんて、あんまりもみじめすぎるけえな・・・・・・。冨美ちゃんは、この辺なら、どけえでもある今咲いている桐の花を見たことがないと言われるのじゃ。死ぬまでに一遍見たいと言われるんじゃ。常光寺まで行きゃあ、なんぼうでも見られるのになあ」
 そこでぷつんと言葉が途切れ、しばらく叔母と私の足音だけが田舎のさびしげな道に響きます。街灯も何もないでこぼこ道がずっと続いているだけです。顔の辺りに手をやっている叔母を見て、泣いているのかなどうしてなのかなと、まだ青年期の入り口にいる私は、大人が泣いているのではないかと思える姿を初めて見て、何か緊張してしまってじっと叔母の足元ばかりを見ながら帰ったことを覚えています。
 しばらく沈黙が続きます。二人の足音だけがいつまでも続きます。やや、あって。
 「りょう(私の名前)。どけえかあるじゃろう、あしたりにでも採ってきてくれんか。冨美ちゃんに見せてあげるから。桐の花を。詩人には、あの紫が耐えられんのだそうじゃ」