私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

板口冨美子という人ご存じですか ③

2008-12-26 12:02:15 | Weblog
 私の古里が生んだ、一生涯をただベットの中で生活した、薄倖の天才歌人「板口冨美子」をもう少しご紹介します。
 何せ、あの朝日新聞の天声人語欄に載るぐらいの日本的な大詩人なのですが、悲しいかな、今では、古里美袋でさえも、ほとんどの人が「板口冨美子」という名すら知らないのではと思えます。知る人ぞ知るという状態です。まして総社市ともなると、なおのことだと思えます。有名になったからとて、叔母や母がいつも呼んでいた「ふみちゃん」は、決して喜ばれなかったと思いますが。
 小さい生き物にまでインコやブンチョウにまで限りない愛をお与えになった詩人なのです。
 接することがごく限られたこの薄倖の詩人は、限られた情報源から多くのものをどん欲に吸収して、自分の生への証を確かなものにされていたのではないかと思われます。接する甥や姪とのほんのわずかな時間さえも、すべて自分の生活の一部のように感じながら大切にされたのではないかと、書き残された随筆からもひしひしと伝わってきます。

 板口冨美子の随筆「うぐいすの巣}より

 “最も深く”より
 
 ずっと以前のことである。
 小学五年生の男の子kが、受験のため、私のベッドのそばに机を置いて勉強するようになったことがあった。
 声を出すことの苦しい私は、ただ勉強の仕方を誘導するていどのことだったが、自然児そのもののようなその子は、まるい、あかい頬をほころばせながら、毎日学校から帰るとかばんをかかえて通ってきた。
 ことばのややどもるような、口かずの少ない子が、何となく楽しそうに勉強してくれ、成績もよく伸びて、その母親にも喜ばれた。
 ある日私はかくべつに苦しかった。その子は心配そうに、「苦しいの?」とひとこと言った。毎日人知れぬ苦しみとたたかいながらひそかに生きている私は、このとき何ともいえずあついものを思った。
 その子は中学へ入学した後も、なおしばらく勉強にも通い、それから後もときどきおとずれて、私の郵便局へのおつかいをしてくれたり、ちょっとちからのいる雑用などもしてくれた。
 無限時間と思われるほど長いかわきの中で私の身にしみて知ったこと。
 「人は苦しみの底にあるとき、人の心を最も深く受けとめる」
 厳しい人生の中で学んだ一つである。

 冨美子は、こんなごくごく小さなものにまで、しっかりとした人の営みの深さを感じながら生きてきたのです。ごく当たり前の、普通の人では到底感じることができないような「苦しいの?」という言葉のなかにも深い感動を持ったのです。この時、詩人は、感じたのではなく「思った」のです。
 「感じた」と「思った」の違いは、この詩人にしか分からない感情なのです。真剣に感謝しながら相手を思うことの深さが伝わっています。
 自分が見聞きする総てのものに。星でも、小鳥でも、草木も山までにも。