私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  70  吉備真備⑧

2008-12-14 17:13:51 | Weblog
 優柔不断だとか因循姑息だと、一方では、この真備を悪く言う人もいました。大日本史を表した水戸光圀などがその先鋒でした。
 このような批判に対して、「そうではない。この人ぐらい世を思い、国民を思い政(まつりごと)をした人はいない」と、大層ほめている人もたくさんいます。
 その一人が、吉備津とも大変関係が深いあの「頼山陽」先生です。この他にも西山拙斎、古賀精里などがいます。

 頼 襄山陽の「過吉備公墳」と言う詩から

 “黍国は蒼茫として夕曛(ゆうくん)を帯びる”
 吉備の国に夕暮れが刻々と押し迫り、夕日がそのどこまでも続いている山里に燃え広がっています。
 広々とした大地に山谷は流れ、夕日の里に豊かな夕餉を告げるごとくに家々からは竈の煙がたなびいています。そんな吉備の夕方の田園の中に、ぽつんといともさみしげに墓石だけが立っています。昔を語る何もありません、風だけが往時をしのばすように嘯々と夕日に染まっている私の頬を吹き抜けていきます。
 と。言うぐらいの思いでしょうか。


 そんなん風景の中にたたずんで、襄、山陽は高らかに詩っています。

 “其の世を済(おも)い、民を安ずるを略(はか)る。禄を持し位を保つ計(はかりごと)に勝たず”
 と。

 まあ何はともあれ一度箭田にある真備の御墓を訪ねてみてください。なかなかいいところです。特に、今時がいいと思います。春でもいいのですが、やっぱり秋がいいですね。是非どうぞ。