私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  66  吉備真備⑤

2008-12-10 13:23:31 | Weblog
 唐への留学を19年も勤め、持ち切れないほどのいっぱいの国際的な教養を身につけて帰国した真備は735年には正六位に昇進し、大学助の官につきます。
 この頃、都では疫病が大流行して藤原四家の家長が次々に亡くなり橘諸兄が政治の中枢に付くと、真備はいっそう重用されます。女性として初めて皇太子となった聖武天皇の皇女(母はあの光明皇后)阿倍内親王の東宮学士となります。当代きっての国際感覚を持つ博学者の真備に白矢が当たるのも当然だといわなければなりません。五経や三史、即ち、禮記と漢書を進講します。

 なお、又横道にそれるのですが。この期、平城京の天皇には元明天皇、続いて元正天皇と女帝が続き、そして聖武天皇を挟んで、次が又、孝謙天皇も女帝です。
 それぐらい女帝が当たり前の時代に、聖武帝の后、光明子が天皇にならないのはちょっと不思議ですが、天明は天智天皇の娘で、元正は元明の子です。すべて天皇と血統が繋がっているのですが、光明子は藤原氏の出です。天皇には血筋からいっても決してなれなかったのです。

 このような重要な任務の傍らに、真備は、当時、聖武天皇の発願により造営中であった東大寺の造東大寺長官になております。鎌倉の時代に、重源の後を受け継いで同じ吉備出身の栄西が東大寺勧進に成ったのも何かの因縁見たいなものがあったのかもしれません。