私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  73 和気清麻呂

2008-12-20 11:10:40 | Weblog
 和気清麻呂は備前藤野郡(現在の和気郡)天平5年(733年)に生まれます。当時、清麻呂はその姉広虫(藤野別真人広虫女)と共に天皇に仕えていました。
 清麻呂が名を上げるのは、「恵美押勝の乱」の鎮定に際して建てた武勲です。
 孝謙天皇(女帝)の時、吉備真備らと共に活躍した人に藤原仲麻呂がいました。この仲麻呂は天皇の信頼を得て太政大臣となり、名前も「恵美押勝」と改め、政治ほしいままにします。
 藤原氏は不比等の時代から、国の政(まつりごと)を助け、天下泰平の世を実現させ、【広く人民を恵むの美】となっていて【悪人を押さへ乱に勝つ】功績が大きいという意味でこの名前を天皇より給わったのだそうですが、俗説では、常に孝謙天皇を笑わせていたので「笑み」即ち「恵美」にしたのだとも。
 しかし、その孝謙天皇の信任が道鏡に移り、恵美押勝が政治から遠ざけられるようになってから、天皇の政治に使う印(太政印)の事が発端となり恵美押勝が孝謙天皇に反旗を翻すのです。
 この戦いが、世に言う「恵美押勝の乱」なのです
 
 
 なお、これも余談ごとですが、この恵美押勝との戦いに、戦略の見事さを見せたのが吉備真備もいました。唐への留学の時に学んだ孫氏の兵法の戦術・戦略が大層役立だったと言うことです。
 また、この真備と清麻呂とは、その頃、都でどんな関係があったのかは分かりません。あまり親しく付き合っていた気配もないようです。(年齢の差は39歳)