私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  59 細谷川を歩く⑦

2008-12-03 15:39:21 | Weblog
 さて、一日置いたのですが、ふたたび、平通盛と小宰相へお話しへ戻ります。
 
 講談なら講釈師が見台を扇で「ててんてんてん」と叩くのですが、ここはコンピューターです。そんな意味をこめて間を十分に取らせていただきました。
  
 さて、この付文をもらった小宰相、相手の通盛を小馬鹿にして鼻先であしらったものの、困ってしまうのです。
 「まあ、あの人から今まで何回もらったのか知りませんが、本当に困ったお人だこと。この手紙どうしよう。よりによってこんな牛車の中に投げ入れるなんて。道へでも投げ捨てたいのはやまやまですが、それもできず、ここへ置いておくわけも行かないし。困ったわ」
 と、上西門院のお屋敷につくまで「どうしよう、どうしよう」と思案顔が続きましす。
 「致し方ありませんわ」
 と車から降りるときになって、急いで袂の中にねじ込みます。
 そして何食わぬ顔で女院の元に向かいます。
 そうこうしているうちに通盛から手紙のことなどすっかり忘れてすれて、小宰相は女院にお仕えしていました。
 やや時があって、女院がたくさんの女房たちに、
 「今、そこでこんな手紙を拾いました。一体誰がもらった殿方からの手紙なのでしょうか」
 と、お尋ねになります。
 小宰相は、はっとして袂を抑えたのですがあの手紙はありません。つい小忙しく立ち振舞っていた間に袂からこぼれ落ちたのでしょう。それも運悪く女院の前で落そうなんて。
 恥ずかしさで声も出ないで、ただ真っ赤になって俯いているばかりです。
 それを目ざとく見つけられた女院は
 「そうですか、あなたですの、この手紙の落とし主は。そうですか、あなたですか。まあよろしい。そこに座りなさい」
 と言われます。ますます真っ赤になりながら小宰相は穴でもあればと、甚く恐縮します。
 「ねえ、小宰相や。聞くところによると、あなたは通盛さまからのお便りをもうな十回と頂いておりながら、返事を一回も出さず冷たくあしらっておられると聞きました。そんなに強情を張るものではありませんよ。あなたの身にとっても決して良いものではありませんよ」
 温かくお諭しになられます。
 「そうだ。私がこれからあなたに代わってお手紙を通盛さまへ書いてあげます。いいですね。」
 と言って女院は御側に置いたあった筆を取り上げてすらすらと通盛へのご返事をお書きあそばされます。
 その中に取り上げになられた歌が
  “たがための 細谷川の 丸木橋
               踏み返しては 落ちざらめやは”
 という歌でした。
 「細谷川の丸木橋からなんから落ちることがありましょうや。決してあなたは落ちたりはしません。私はあなたを待っています」と、いうぐらいな意味だそうです。
 これから二人は急速に親密度を増して誰もがうらやむような激しい恋人同士になります。
 でも、歴史とは皮肉なもので、この二人の恋は平家の滅亡とともに未完に終わります。
 通盛は一の谷の合戦で戦死し、また、小宰相は、それを聞いて、屋島へ向かう船で海の藻屑になってしまいます。

 この話は平家物語の中に書かれています。あるはずもない架空の「細谷川の丸木橋」が流行り歌として、人々の口に上り、実際にあるかごとくに人から人へと伝わっていったのです。
 でも、この事実を知らない人が、細谷川の目の前にある標石と丸木を目にしたならば、どう思うのでしょうかね。
 吉備津に住む者としてはちょと気恥ずかしい思いもしますが、まあ、それぐらいこの川が当時の社会では陰の光として脚光を浴びていたことも歴史的な事実です。