私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

吉備って知っている  67  吉備真備⑥

2008-12-11 09:31:01 | Weblog
 記録によりますと、746年には、それまでの下道臣真備から新たに「吉備朝臣真備」に賜姓され、大和朝廷の代表的存在になるなど順調に栄進しています。
 しかし、東大寺造営事業を、橘諸兄の功績にしないために藤原仲麻呂らの策謀によって、大和政権から諸兄達一派が排除されます。その一人として、吉備真備も筑前守、続いて肥後守に左遷されます。56歳の時です。そして、60歳になって、思いもかけない遣唐副使として、再度、唐に派遣されます。
 これも余談ですが、この時の大使は藤原清河(きよかわ)です。彼の父親は藤原房前(ふささき)の子です。
 大仏開眼の年です(天平勝宝4年752年)。一行は無事に長安につき、玄宗皇帝と謁見しております。帰国にあったって、今回は阿倍仲麻呂も許されて清河らの乗った第一船で懐かしい日本へと帰国の途に着きます。沖縄までは到着したのですが、そこから奄美に帰る間に、不運にも船が行方不明になります。なお、この時、第二船には、あの鑑真の姿があったと伝えられています。彼はめしいとなりながら、何回目かでやっと日本に来ることができたのでした。
 
 このような大任を果たした真備ですが、帰国後再び大宰府に追われています。