藤原経衡の大嘗祭の歌の石碑から、少し後戻りしますが、成親の墓から九十九折りの山道が下って、突然、視界が開けたる辺りに、再び、深い細谷川の流れを目にすることができます。ここの水の流れは涸れることがなく、年中、「さやけさ」が聞こえます
その谷川のすぐ側に「細谷川の丸木橋」と書かれた小さな石柱があります。そこには、ご丁寧に、誰が置いたのかは知りませんが、ちゃんと今も細い丸木が渡してあるではありませんか。人が通ることはできませんが。
細谷川の丸木橋のつもりでしょうが、考え方もその木も誠にお粗末と言わざるを得ません。
さて、では、どうして「細谷川の丸木橋」なんて言葉が、当時の都「京」で流行ったのでしょうか。今日はそれについて話してみましょう。
それは「平氏に非ずんば人にあらず」の平家全盛の時代です。
その頃、都では、
「・・・・細谷川の丸木橋、渡るにゃ恐し、渡らねば 恋しい人に 会えはせぬ・・・・」
という流行り歌が頻りに人々の口に上っていたそうです。
末法の世です。大風、地震、大火事、伝染病、更にはそのうえ武士による戦いなどで、人々はただおろおろと不安な毎日の生活です。明日への希望なんてとんとなしです。その日その日をただ面白ろ可笑しゅう暮らせればと、なげやりな世相が人々の暮らしに満ち溢れていたようです。その世相とこの歌がちょうど合ったのでしょ随分と流行ったらしいのです。吉備の国の歌が旅人を通じて都へ伝わったのでしょうか?
「細い・丸い・恐い・恋しい」そんな言葉の響きや感覚が、何かしら都の当時の人々の心に通じるものがあったのかとも思えます。
この当時の庶民の間での流行り歌を自分の恋文の中に使った人がいます。平清盛の孫の「平通盛」という人です。
その当時、上西門院(父は鳥羽天皇、母は待賢門院璋子)の女房に「小宰相」という、それは大変美しい人がおりました。何かの折に彼女を一目見て、通盛は好きになり、しきりに恋文を送ります。何回となく送っていたのですが、彼女からは無しの礫です。ちょうど20回目、「今日がだめならきっぱりと諦める」と誓って、最後の恋文を、使いの少年に託します。
少年は、小宰相の牛車が通る機会を狙っていたのでしょう、通盛からの恋文を彼女の車に投げ入れます。
「ふん、なんて下品なお方。庶民のはやり歌なんかを使ったりして。それに、奥方様までいらっしゃるくせに。いい加減にあきらめたらいいのに」
と、ろくに見ようともせず、そのまま、牛車の隅に投げ置きます。
この通盛の小宰相への最後だと思って送った恋文の中に書かれていた歌が
“わが恋は 細谷川の 丸木橋
踏み返されて ぬるる袖かな”
です。
さて、この通盛と小宰相の恋はいかになりますやら。明日にでも。
その谷川のすぐ側に「細谷川の丸木橋」と書かれた小さな石柱があります。そこには、ご丁寧に、誰が置いたのかは知りませんが、ちゃんと今も細い丸木が渡してあるではありませんか。人が通ることはできませんが。
細谷川の丸木橋のつもりでしょうが、考え方もその木も誠にお粗末と言わざるを得ません。
さて、では、どうして「細谷川の丸木橋」なんて言葉が、当時の都「京」で流行ったのでしょうか。今日はそれについて話してみましょう。
それは「平氏に非ずんば人にあらず」の平家全盛の時代です。
その頃、都では、
「・・・・細谷川の丸木橋、渡るにゃ恐し、渡らねば 恋しい人に 会えはせぬ・・・・」
という流行り歌が頻りに人々の口に上っていたそうです。
末法の世です。大風、地震、大火事、伝染病、更にはそのうえ武士による戦いなどで、人々はただおろおろと不安な毎日の生活です。明日への希望なんてとんとなしです。その日その日をただ面白ろ可笑しゅう暮らせればと、なげやりな世相が人々の暮らしに満ち溢れていたようです。その世相とこの歌がちょうど合ったのでしょ随分と流行ったらしいのです。吉備の国の歌が旅人を通じて都へ伝わったのでしょうか?
「細い・丸い・恐い・恋しい」そんな言葉の響きや感覚が、何かしら都の当時の人々の心に通じるものがあったのかとも思えます。
この当時の庶民の間での流行り歌を自分の恋文の中に使った人がいます。平清盛の孫の「平通盛」という人です。
その当時、上西門院(父は鳥羽天皇、母は待賢門院璋子)の女房に「小宰相」という、それは大変美しい人がおりました。何かの折に彼女を一目見て、通盛は好きになり、しきりに恋文を送ります。何回となく送っていたのですが、彼女からは無しの礫です。ちょうど20回目、「今日がだめならきっぱりと諦める」と誓って、最後の恋文を、使いの少年に託します。
少年は、小宰相の牛車が通る機会を狙っていたのでしょう、通盛からの恋文を彼女の車に投げ入れます。
「ふん、なんて下品なお方。庶民のはやり歌なんかを使ったりして。それに、奥方様までいらっしゃるくせに。いい加減にあきらめたらいいのに」
と、ろくに見ようともせず、そのまま、牛車の隅に投げ置きます。
この通盛の小宰相への最後だと思って送った恋文の中に書かれていた歌が
“わが恋は 細谷川の 丸木橋
踏み返されて ぬるる袖かな”
です。
さて、この通盛と小宰相の恋はいかになりますやら。明日にでも。