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教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

語り伝えよ、主の御言葉

2012-11-25 13:36:19 | メッセージ
宣教 ヨエル書2章18節~3章5節 

今日はまず収穫感謝を覚えての礼拝をささげておりますが。教会の緑地に、今年も夏はびわやいちじくが小さな実をつけました。日当りがよくない事や選定をしていない事もありましたけど、びわは結構おいしく戴くことがきました。今は柿が実をつけ、柚が実ってきました。例年大きな渋柿がなるのですが、今年はそれに加え小さい甘柿が沢山実りました。思いがけない神さまの恵みです。今日は皆さまも果物や野菜を主に捧げるために持ってきてくださっていますが、加えてその教会の柿もいくつかお捧げしました。教会の緑地は日あたりがいいとは言えませんが、いつかもう少し整備し、また農園のようにできるといいなと思っています。

さて、入院中のT姉のために日毎お祈りくださりありがとうございます。先週火曜日、姉が入院している病院を訪ねましたところ、病室のベットを少し傾けて起こした状態で、静かに目を覚ましておられる姉の姿を見て、大変驚かされました。ただ主に感謝と賛美を捧げ、祈りました。重篤の状態は抜けられたようですが、まだ意志疎通が困難のようです。お連れ合いの方が、「表情が少しずつよくなってきている感じ」とおっしゃっていました。
彼は姉が入院して以来ずっと食べ物が喉を通らなくなって気力も減退しきっていたのですが、1週間前にご飯を口に入れたところ、もどされたそうですけれど。その時喉の奥に詰まっていた何かがポンと取れ、抜けたような状態になり、そのすぐ後、ご飯2膳をいっきに食べることができた、ということを話してくれました。それからというもの、食欲と気力が少しずつ快復してきているということでした。ほんとうに不思議なことが起こるものですね、とお連れ合いとお話しをしていたのが先週の日曜日でした。そういう出来事を経ていく中で姉の目覚めも与えられているという事に、私は主のお働きを思わずにいられないのです。期待と希望をもって主に祈ることの大切さを学ばされます。私たちにはそれぞれに問題課題が山積しています。又、大きなビジョンがあります。兄弟姉妹の篤い祈りの結集を、今後ともよろしくお願いいたします。主はその祈りを聞いておられます。

さて、本日は特別な礼拝ですのでテーマ説教として聖書箇所を自由に選んでもよいところですが、聖書教育の箇所ヨエル書をそのまま用いさせて頂きました。
先程読んで戴いたところから、今日は「語り伝えよ、主のみ言葉」と題し、御言葉を聞いていきたいと思います。
先に、世界祈祷週間のアピールが今年はパワーポイントを使いて大変分かりやすく具体的に女性会よりなされました。私たちも世界宣教と様々な奉仕のため、まさに本日の宣教テーマ「語り伝えよ、主のみ言葉」のとおり、その働きのために祈り覚え、また私たちの献身の思いを献金としてお捧げしてまいりましょう。本日の午後2時からルワンダ国際ミッションボランティアの佐々木さんの帰国報告会が堺教会で行われます。時間が作れる方はぜひお出かけください。又タイの日高宣教師の帰国報告会は来年の3月第1日曜日の午後から、関西黎明教会で行われます。今から予定に組んで戴けるといいかと思います。

本日のこのヨエル書は旧約聖書の小預言書の一つであり、あまり読む機会の少ない書かと思いますが。その中で知られていますのは、ヨエル書3章1節の「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」とのみ言葉でありましょう。これは、聖霊降臨の折に使徒ペトロが説教した中で、引用された聖句であります。ここで重要なことは、主なる神さまは御自分の霊をすべての人に注がれたということであります。
私たちにとりましては、イエス・キリストの大きな犠牲のみ業と約束によって、その聖霊降臨がもたらされました。今や、主の御救いによって全世界の人々にこの大いなる恵みがもたらされました。
しかし、神さまの霊がどんなに注がれても、それを知ることがなければ、又心を閉ざしてその霊を受けとっていかなければ、神の恵みやみ業を知る事、経験する事はできません。

ヨエル書は1章2節、3節には次のようなことが記されています。
「老人たちよ、これに聞け。この地に住む者よ、皆耳を傾けよ。あなたたちの時代に、また、先祖の時代にも、このようなことがあっただろうか。これをあなたたちの子孫に語り伝えよ。子孫はその子孫に、その子孫は、また後の世代に。」
私は、このところにヨエル書全体のテーマが示されているのではないのか、と思わされたのであります。

3節の「これを語り伝えよ」というのは、先に起こった主のいなごによる襲撃と干ばつによる荒廃のことです。それは地の実りの産物の枯渇、不作を招き、家畜、畜産をも根底から揺るがす事態でした。食糧不足、飢饉に脅かされたのです。けれども、やがてさらに厳しい事態が起こる。「全能者による破滅の日、主の日が来る」と、神の審判をヨエルは人々に伝えるのであります。
しかし預言者ヨエルは、もし老人たちが主の救いに与った恵みの民として、心から主に立ち帰り、向き直り、子どもや孫たちに徹底して伝えていくなら、主ご自身も「思い直されて」ユダヤ全体に憐れみもって臨んでくださるだろう、と訴えかけます。
「危機的滅びの状況を前にしていたユダヤの人々が、そこで何に聞き、如何に生きるか」が根底から問われます。今を生きる私たちも様々な危機的な問題に直面することがあるでしょう。ユダヤの人々が根底から問われたこと、「何に聞き、如何に生きるか」。それはまさに私たち自身に問われている事柄でもあるのです。

2章12節、13節でヨエルは次のように語ります。
「主は言われる。『今こそ、心からわたしに立ち帰れ、断食し、泣き悲しんで。衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。』 
当時のユダヤの民は主への悔改めや訴えを強く表現するのに、衣の首もとを持って前の切り込みのとこからガッと裂いたのですね。しかしそういう形だけの、あるいはただ感情的な悔改めでなく、主が「心を引き裂け」と言われるような、心の底からの悔改めをもって主に向き直って生きてく、そのことが真に求められるのです。
まことに望みをおいて祈り、それを聞いていてくださる主がおられる、そういう関係性の中に生き生きとした信仰の実りがもたらされていくのです。ほんとうに心強く、ありがたいことであります。

さて、2章18節にユダヤの民が、主に真に立ち帰ったその時、「主は御自分の国を強く愛し、その民を深く憐れまれた」とあります。主はその民を深く憐れまれ、「穀物とぶどうとオリーブを送り、飽き足らせよう」と約束してくださるのです。

今日は収穫を覚えての礼拝でもありますが。今、私たちはお店に行けば、きれいに並べられたあらゆる国々の食物を手にすることができますが。これらの実りの収穫は人間の労働や功績だけで言い表すことができません。大地のすべての実りは、生ける天地の創造主であるお方によってもたらされるものであることを忘れるわけにはいきません。この収穫の主に、感謝を心から捧げ、祈り、依り頼んで生きる人は、恵みの何たるかを知っており、幸いであります。そのように生きる人に天からの恵みのマナは決して尽きません。日々主に立ち帰って生きるところに、主の祝福と実りが与えられるということを今日も又、おぼえていきたいものです。

最後になりますが、入院中のT姉の目が覚められた日。姉が以前アンケートで選んだ愛唱聖句を見つけ読み、祈って病室をお訪ねしたのですが。そのガラテヤの信徒への手紙5章16節にこう書かれてありました。「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。」
これは、今私たちの教会に、そして私たち一人ひとりに主が語りかけておられるみ言葉であるということを、ほんとうに強く実感いたしました。本日のヨエル書3章1節「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。」 今や、主イエスさまを通して私たちにも注がれ続けている主の愛と霊の導きに従って生きてまいりましょう。置かれた状況は如何に厳しくとも。
3章5節「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」、「シオンの山、エルサレムに逃れの場がある」。このシオンの山、エルサレムとはイエス・キリストのみ救いであります。やがて来たりたもう終末、主の日において、このみ約束が成就することを待ち望みつつ、霊の導きに従う日々をあゆんでまいりましょう。
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