礼拝宣教 創世記7章1-24節 平和
8月は平和月間としておぼえ、祈りつつ過ごしてまいりましたが。世界中の様々な地域で今も平和が脅かされ、人権と思想信条が侵害されています。特にそのような中、主のみ言葉と教えに聞き従う同胞、世界のキリスト者を覚えて祈りたいと思います。現在バプテスト連盟からインドネシアに野口宣教師、シンガポールに、アジアミッションコーディネーターとして伊藤師が派遣されていますが。続けられて来た宣教師派遣の働きは、かつての侵略戦争の悔い改め、平和と和解の祈りと願いをもって起こされたものです。又、ご存じのように、ルワンダで和解と平和の構築のための働きをなさっておられる佐々木和之さんを支援する会の季刊誌が届きました。ルワンダの「暴力紛争後の癒しと平和の道すじ」というテーマで大変貴重な対談の内容が掲載されております。
私は又、ミッション・宣教の声という月刊誌を発行者より個人として送っていただいているのですが。そこには、海外邦人、欧州諸国、および迫害下にある聖徒への宣教の記事や今の実情が掲載されています。
本日は創世記7章からみ言葉を聞いていきます。
先週の6章には、ノアについて「その世代の中で、神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」とありました。主なる神はそのノアに箱舟を造るようにおっしゃいます。
今日の7章では、主はノアに、「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい」とお命じになります。それは起ころうとしている40日間に及ぶ大雨と洪水の難を逃れ、彼らが生き残ることを意味していました。
ノアは人類が存続するための働きを担うものとされたのです。主が彼に目をとめられたのは、「この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている」と、主の信任を得たからでした。
主はノアに、家族のほかにも、「あなたは清い動物をすべて七つがいずつ取り、また清くない動物をすべて一つがいずつ取りなさい。空の鳥も七つがい取りなさい」とお命じになります。
この「清い動物」と「清くない動物」についての詳細は、律法の書の申命記やレビ記に記されていますが。
簡単に言えば「清い動物」は人が食べてもよい動物のことで、「清くない動物」は人が食べてはいけない動物のことです。
毒があるものや、人が食べると病気になるもの、伝染病を介するもの、当時の衛生環境では豚の肉もそうでした。
神がノアに、箱舟に「きよい動物はすべて7つがいずつ取って入れ、きよくない動物はすべて1つがいずつ取って入れなさい」とお命じになります。
神がノアに、箱舟に「きよい動物はすべて7つがいずつ取って入れ、きよくない動物はすべて1つがいずつ取って入れなさい」とお命じになります。
どうしてきよくない動物も箱舟に入れる必要があるのかと考えてしまいますが。その理由については、きよくないとされるそれらの動物はノアたちの食糧にはなりませんが、ノアと共に箱舟に入った清い動物たちの食糧となるためのものであったようです。また洪水後に、天地万物の生態系を保つために必要だったからではないでしょうか。主なる神の創造のみ業とその知恵は、人知を遙かに超え、実にゆたかです。
さて、ノアが主に命じられたことを行う期間は、4節にあるように僅か7日間でした。
この7というのは、主なる神が天地創造を6日お造りになったあと、7日目に聖別されたことから、7は「聖」なることを意味する数です。7日間で天地創造を完成なさった、その同じ7日の内に家族はじめ、命じられたあらゆるきよい生き物、きよくない生き物を主が命じられたとおりに選り分け、箱舟に入るようにしなければなりません。如何に大変なことであっただろうかと想像しますが。ノアは「すべて主が命じられたとおりにした」のです。
そしてその7日後に、主の語られたとおりのことが起こります。遂に40日間、止むことなく大雨が降り続き、大洪水となって地上を完全に覆いつくしてゆくのです。
この40日40夜の40という数にも意味があります。
イスラエルの民が出エジプトからシナイの荒野を経て、約束の地に入るのに実に40年を要しました。その期間に様々な悪と罪の誘惑、信仰の試み、試練が起こっていきました。
又、主イエスは40日間、荒野で断食した後、悪魔の試みに遭います。悪魔の試みは空腹の中よりむしろ、断食を終えた後の達成感の中で巧になされていきました。その断食をし終え自己達成した、という思いの中に悪魔が働くのです。それは人の世を自分の思うがままに支配させ、人類もろとも神の愛と救いから引き離そうとする誘惑でありました。
しかし、主イエスはその悪魔の試みに対して、どこまでも神の言葉に聞き従うことによって悪魔の誘惑を退け、それに打ち克たれました。主に倣い従う者は、試みといえる状況の中で、主の御言葉にどのように聞き従って生きるか、その信仰が練り上げられていくのです。
その40日間であったということです。
さて、今日のノアとその家族の40日間でありますが。
その初まりは主が命じたすべての動物が箱舟に入った後、「主はノアの後ろで戸を閉ざされた」のであります。時が迫る緊迫した状況の中、すべてを司っておられるのは主なる神であることの威厳が示されるのです。
私どももそれぞれ御心に尋ねつつ事をなすのでありますが。すべてを司っておられる主を信じるこっとから始めることが大切です。主が共におられることに勝る平安はありません。
ノアとその家族は遂に大雨が降り出した時、「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」ことを知ります。地上を叩きつけるすさまじい雨音が聞こえ、水は地上に増し加わり箱舟を押し上げ水の上を漂いはじめるのです。
近年日本でも地球温暖化が進む中、線状降水帯の発生などゲリラ豪雨に見舞われ、バケツをひっくり返したような大雨、地を叩きつけるような激しい雨が頻繁に降るようになってきました。それは人命に危機を及ぼすものとなり、様々なところに甚大な被害も生じています。先進的な科学技術が駆使されている今の時代になっても、津波や大洪水のような自然の脅威を前にすると、私たち人間は土から造られたもろい存在でしかないことを思い起こします。これだけ文明が栄えているように思えたこの21世紀に戦争や紛争、豪雨災害や山火事、又、物価高によって日毎の食糧や医療が受けられない、まさに終末的とも言えるようなことが私どもの日常のすぐそばにあります。しかしだからといって、ただ恐れ不安を抱えているなら、そこにカルトのような感情を煽りたてるようなものがしのびより、ひっかかってしまいかねません。
主イエスは、世の終りの徴について、次のように言われました。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終りではない。」(マタイ24:6-7)又、次のようにも言われました。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。」(マタイ24:36-39)
世の終りはいつ来るかはわかりません。それだけでなく、個々人の地上の歩みだって、いつ終わりの日が来るかわからないのです。
だからこそ、目を覚まして日毎に主との交わりを築いて歩んでいく事が肝心なのです。日毎に主のみ心を尋ね求め、み言葉に聞き従って歩んでいるか。その真価が問われるのです。それは急にできるものではありません。日毎に御言葉を読み、主と相まみえて祈り、主の御声に聞いて従って生きる一日一日の歩みが大事なのです。
それはまさに、この洪水物語で、「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。」(創6:22)その生き方であり、「ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。」(創7:5)その信仰、神への信頼です。
ノアは周りからどう言われても、どう思われても、そのつど自分に語られた主の言葉をまっすぐに受け取り、忠実に聞き従っていった人であったのです。
この「洪水物語」が伝える危機とは何でしょうか。それは洪水自体ではありません。先週の6章で読みましたように、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかり心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」
その主と被造物のわたしたちとの関係性の損壊と崩壊こそが、危機的事態なのです。
地上に起こっている戦争や紛争、異常気象による災害も、貧困や飢餓の問題も、実は私たち人間が神との関係性を損なっている結果生じているのです。
ノアは、主の御言葉に聞き従い、箱舟を造り、「すべて主の命じられたとおりに果たした。」
それは主なる神さまにとって人間との破れた関係性が再び創り直される希望であり、慰めであったのではないでしょうか。
40日40夜に及ぶ大雨と大洪水によって、箱舟の外の地上のものはすべて拭い去られていきます。
しかし、そこから主の新しい創造が始まってゆきます。
ノアの息子のセム、ハム、ヤフェトの3人も生き残り、すべての民族、部族、諸族のもとになります。セムの子孫は主に中近東に。ハムの子孫は主にアフリカ、エジプト、リビアに。ヤフェトの子孫は主にトルコ、ギリシャに。それは世界中にも拡がってゆき、今日の世界に至っているのです。
主はこのノアについて、「この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている」と仰せになります。
私たちも又、この地上にあって誘惑や試みは尽きませんが、主との交わりを絶やすことなく、み言葉に聞き、従って、生きていきましょう。主から「わたしに従う人だ」、と認めていただけるにふさわしい歩みを続けてまいりましょう。
お祈りします。「あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。」(ヨハネの黙示録3:10)
主なる神さま、今日あなたから頂いたいのちのみ言葉をもって、今週も歩んでまいりたいと思います。どうか、私たちの歩みがあなたの御心に適うものでありますように。今日どうしても共に礼拝できなかった方々の上にも、その信仰と健康とが守られますように。主の御名で祈ります。