主日礼拝宣教 エズラ記6章13-22節
先々週の8日土曜ですが、97歳になられるOさんの療養型施設へ訪問をさせていただきました。前回は声をかけてもお返事はなく帰ったのですが。その日もIさんから「このところ母はすやすやと眠っているようで何も反応がないです。せっかく足を運んでくださったのに何も反応がないかも知れませんが」と予めお聞きしていたので、それも承知のうえでお部屋に入りますと、まずIさんがお母さんと呼びかけられるその前に、Oさんはすでに目を開けておられたのです。ほんとうに驚きました。そこで聖書のお言葉と感謝のお祈りを神さまにおささげしたのですが、すると、「ありがとうございます」と、はっきりとお返事が返ってきたのです。私が最初にお尋ねしたときよりもさらに笑顔で顔色もよかったです。またまた、神さまが生きてお働きくださっていることを知らされ、本当に感謝でした。
その翌日は現在無牧師である奈良教会の礼拝奉仕に行ってまいりました。午後は奈良教会の方々と今後に向けた準備のための懇談会に加えて頂きました。又、礼拝に先立って持たれたみささぎ伝道所の礼拝にも出席させていただきましたが。昨年まで借家で行われていたのですが、諸事情によりこの4月から奈良教会の礼拝の前に礼拝が行われているということでした。この伝道所は一人の障がいを抱えておられる青年と共に礼拝をというところから開所されました。O伝道師の進行のもと賛美や聖書のメッセージに身を浸される中、障がいを抱えている青年が突然話し出したり、動き出したりということも幾度と起こるのですが。不思議とその場がなごむのです。主によって集われた方々の思いに包まれ、暖かくされた礼拝でした。大阪教会ではNさんが「大阪教会の成立」と題し、礼拝の宣教奉仕をしてくださり、改めて主がこの大阪教会を初めから今日に至るまで守り導いておられることを覚えることができたのではないでしょうか。この大阪教会の会堂は3代目となりますが。いつの時代も様々な困難があっても主は生きてお働きになり、導いてくださるその恵みを感謝します。
本日はエズラ記6章の「神殿完成」の記事から御言葉に聞いていきたいと思います。
先の3章の「神殿の再建」の記事によりますと、エルサレムに帰還した人々がまずなしたことは、前のソロモン王が建てたエルサレムの神殿があった場所近くでイスラエルの神の祭壇を築き、真心からの捧げものをささげ、神に礼拝をおささげすることから神殿の再建が開始されていったということであります。
それは人の都合からではなく、神の律法に記されたとおり、神の御心に従ってそのことが行われたということであります。
さて、この6章の「エルサレムの第二神殿」は、様々な困難に直面をし、20年間ほどの中断を余儀なくされるということもあったようですが、遂に完成に至るのです。
それは14節に「ペルシャのキュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって」とありますが。何よりもその前に記されている「イスラエルの神の命令によって完了した」という事が重要なのであります。
私たちもこの大阪教会堂が2013年11月に完成し、翌年3月に献堂式を行いましたが。教会堂の建設案が最初に出た2006年に遡る7年前であったかと思います。3社から提案された建築業者の設計や施工案から1つを選ぶのにかなりの時間を要しました。また、建築業者が決まってからも、取り壊す2代目の教会堂の費用と新会堂建築の予算の折り合いがなかなかうまくつかなかったという問題もありました。さらに、東日本大震災後で建築資材のひっ迫、そして消費税が上がる直前という問題もありました。けれども神さまは私たちの祈りを常に導いて守られ、様々な不足していた問題が解決していく中で、この新会堂に必要な資金は不思議にその都度満たされていったのです。おそらく、この新会堂建築そのものがそこでしかないという時期を神さまは私たちに示し、導いて実現してくださっていたということを思わされました。
まさに、詩編127編1節に「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」とありますように、私たちのすべてをご存じであられ、その必要を満たしてくださるお方、主が共におられ、お働きくださることを本当に日々体験できる。その主に信頼して生きる人生は何と幸いでしょうか。その献堂式にはバプテスト連盟・関西地方教会連合の多くの方がたと共々に主の御業を喜び祝いほめたたえた日を思い出しますが。
さて、今日の個所でも16節で「イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った」とあります。奉献とは神にお献げすることに違いありませんが、実はその奉献のおおもとには「宮清め」という意味があるということです。それは17節で「この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二匹をささげた」とありますように、彼らはその奉献によって「罪のきよめと神との和解」を願うのです。。
遡って歴代誌下の7章5節によると、ダビデの子ソロモン王が建てた第一神殿の完成時には「牛二万二千頭、羊十二万匹をささげた」とあります。それはこの第二神殿の完成時とは比べものにはならない多くの家畜がささげられたわけです。又、ソロモンの神殿がどれほど素晴しかったという記述を見れば、この第二神殿は見栄えや規模も比較にならない程質素なものであったようです。
ところが、同時代の預言者ハガイの上に、次のような主の御言葉が臨みます。
ハガイ書2章6節。「この新しい神殿の栄光は昔の神殿にまさると主は言われる。この場所にわたしは平和を与えると主は言われる。」この平和、平安とは、神による罪の赦しであり、神との和解、関係性の回復であります。
その主の御言葉に応えるようにして、今日の個所には彼らが第二神殿で、ソロモンの神殿完成時にはなかった献げものを行うのです。それがここにある「贖罪の献げもの」であります。それは文字通り「罪を贖うための献げもので、神の御前に赦しと和解を乞い求めるための献げものでした。そのために「12匹の雄山羊」が献げられたということです。又、第一の月(今でいう春先)の14日には過越祭が行われます。それはソロモンの壮大な神殿完成時にはなかったものでした。
これはかつて、イスラエルの民がエジプトにおいて奴隷の民とされ苦しみあえいでいた時、主がモーセを用いて民を導き出し、荒野の四十年を経て神の民とされたその出来事を記念する祭りです。出エジプトの前夜、主の命令によってイスラエルの民は各々の家で犠牲の小羊をほふり、その家の鴨居に印として犠牲の小羊の血を塗ることで、主が下される災いから彼らを逃れしめ、出エジプトという出来事を起こしてくださったその自分たちを生かす原点といえる出来事を偲びつつ、神殿の奉献を行い祝ったのです。
第一神殿を建立したソロモンの後、イスラエルは北イスラエルと南ユダの2つの国に分裂してしまいます。まず北イスラエルが神の御心に反し、アッシリア帝国によって滅ぼされ、その後イスラエルの10部族は離散してしまいました。
一方の南ユダ、ユダとベニヤミン族の民も又、神の御心に反した歩みをなしたためバビロン帝国によって滅ぼされ、指導者や技術者など多くの者が捕囚としてバビロンに連れていかれました。そうして南ユダの民は神が預言者たちに告げられたとおり50年の時を経て、神はこの民を悔い改めへ導き、再び約束の地に帰還できるようにお働きになられたのです。
この完成した第二神殿を前にした時、民たちは自分たちの歩みを、先の出エジプトの出来事に重ね合わせつつ、深い悔い改めをもって過越しの祭りお祝いしたのです。
主は大きく絶たれた民との交わりを回復してくださったのです。捕囚から帰って来た者も、そのエルサレムの地に残されていた者も共にその第二神殿の完成に集まって主に悔い改めの真心をささげるのです。
さらに感動的なのは、南ユダの民だけでなく、かつては敵対していた北イスラエルの民のためにも献げものがなされているということです。 出エジプトの折、12部族は共に荒野で神の民とされました。そこで天幕を張り、礼拝を捧げました。その神の祝福を思い起こしつつ、全イスラエルの12部族が主との和解と交わりの回復を得るようにと、贖罪の献げものとして雄山羊12匹をささげ、過越祭を行うのです。
歴史は繰り返すと申しますが。後の世には又、イスラエルの民は離散の憂き目に遭い、国は消え失せてしまうのです。しかし近代史において再び興されていきます。
しかしここで忘れるわけにはいきませんのが、今や、この生きた主のお働きによる交わりの回復、そして和解はイスラエルの12部族だけに留まるものでなく、主イエス・キリストによって世界中のだれものが招かれているということであります。神は律法も知らない私たち異邦人が罪の働きと力から解放されて救いに与るために、過越の犠牲の小羊に遙かにまさる神の御子なる主イエス・キリストを送ってくださったのです。その主イエスの御救いを信じ受け入れて生きる者を、主はご自分の民としてくださるのです。ここに神の偉大な救いのご計画があるのです。
私たちも又、この第二神殿に於ける、神と人、人と人の和解の福音、平和の福音を共々に喜び合う者とされてまいりましょう。