礼拝宣教 ルカ4・14-30
今週の17日は未曾有の阪神淡路大震災から24年目となります。17日木曜午前十時半から今回は豊中バプテスト教会にて「1・17記念礼拝」が捧げられます。ご都合がつかれる方はどうかご出席ください。
本日はルカ4章14-30節より「主の恵みの年」と題し、御言葉に聞いていきます。
イエスさまは先週読みましたバプテスマのヨハネからバプテスマをお受けになると、聖霊がイエスさまに降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者という声が天から聞こえた、とございます。
イエスさまは神の御心を成し遂げるその使命を果たす者として召されるのでありますが。そのためにまず、試みをお受けになることとなります。神の霊がイエスさまを荒れ野へと導かれ、悪魔の3度の誘惑によって神への従順が試されるのです。
イエスさまはこの荒れ野での悪魔の誘惑に対して、「主なる神のいのちの御言葉によって人が生きる」こと。又「神である主を拝み、ただ主に仕える」こと。さらに「主である神を試してはならない」とお答えになり、その試みに打ち勝たれました。
こうして、霊の力に満ちたイエスさまはガリラヤ(おそらくカファルナウムの町だったようですが)に帰ってこられ、諸会堂で教えて、皆からの尊敬を受け、その評判が周りの地方一帯に広まった、とあります。
本日の箇所は、そのイエスさまの故郷ナザレの町の会堂で起こった出来事についてであります。
粗筋は、イエスさまがその会堂で預言者イザヤの書を朗読し、「この御言葉は今日、実現した」と宣言なさるのですが。人々は、「あの人は大工ヨセフの子ではないか」とあしらいます。そこでイエスさまは、旧約の預言者エリヤと預言者エリシャのときも主の恵みを受けたのはイスラエル・ユダヤの人々ではなく異邦人であったことを指摘されるのですが、それを聞いた人々は、皆憤慨してイエスさまを殺そうとまでするのです。
イエスさまはユダヤ人として、幼い頃から安息日はいつもユダヤ会堂(シナゴグ)で神に礼拝をお捧げになっておられました。
この当時の会堂は、礼拝のための場所だけでなく、学校、いわば寺子屋のような場所ででもあり、地域のコミュニティセンターでもあり、時に法廷にもなったそうであります。まあそこにはそれだけの働き人もいたんだと考えられますが。ユダヤの会堂がそれだけ人々の日常のコミュニティや生活と深くむすびついていたんですね。
私たちの教会はアメリカ南部バプテスト教会の厚い祈りと尊い支援を受けつつ福音宣教が始められましたが。その当初からミッションボードが力を入れていたのは、「サンデースクール(教会学校」でした。他にも「バイブルクラス」(宣教師から聖書を英語で読みとき学ぶ)、あるいは多くの絵本や良書などがそろった「文庫・図書室」などをもつ教会があったりと、まあ地域の子供たちや学生が来られ、そこから主の福音を信じて、クリスチャンとなった方々も多くおられました。
吉田さんはバイブルクラスからだとお聞きしています。私は教会学校からです。こうしたかたちで、地域の人たちに教会へ足を運んでいただけるためには、現実に受け入れる人員やスタッフも確かに必要なことでしょう。今私たちの教会では「子供食堂」を月に1度ですが持っておりますが。また連盟や連合の諸集会、ハンドベルや絵画教室、様々な集会や会場提供をさせて頂いております。これらは福音を伝え広める術であり、聖書の「恵みの業を大河のようにあふれさせよ」との、主の御心に沿った福音の働きの具体的場でもあるでしょう。このようにして、主の教会がまず用いられているということを感謝したいと思います。
聖書に戻りますが。
この当時のユダヤ会堂でもたれていた安息日の礼拝では、まず旧約聖書から申命記、民数記のうちから「信仰告白」が読まれていたということです。その一つ申命記6章4節以降を読んでみますと。
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神を神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい・・云々」とございます。
次世代に信仰を語り継いでいく、幼児期の聖書教育が重んじられていた、ということがわかります。私たちの教会も次世代を育む働きを主から託されていることを覚え、そのための「こどもの教会学校」「こどもメッセージ」の在り方についても、具体化していきたいですね。
さて、ユダヤ会堂での礼拝は先の「信仰告白」に続いて、「賛美の祈り「願いの祈り」「感謝の祈り」などが捧げられたようであります。
その後、その安息日の「聖書の朗読」が行われたようです。それはその後に行われた説教よりも、朗読の御言葉そのものの方が重要だったということです。
私たちの礼拝でも、宣教やこどもメッセージの前に「聖書朗読」を行うことを大事にしています。これは旧約時代を受け継ぐ新約のキリスト教会でありますから、礼拝においてまず、「神の生きた御言葉」そのものが重要と考えられているからなのです。
ユダヤ教でも聖書朗読と説教の後は、「祝祷」が祭司によって唱えられ、会衆はアーメンをもって応えます。そうして、最後に神の恵みを分かち合うための金銭や物資が集められたということです。特に貧しい人に向けて、必要に応じてなされたということです。礼拝の内容や形式はだいたい、キリスト教会の礼拝とそう変わらないように思います。それはキリスト教会の主であるイエスさまご自身、ユダヤ人としてその伝統、安息日や旧約聖書、会堂とその礼拝を重んじておられたということから、私たちはその主によって旧約聖書に約束された神の祝福を受け継ぐ者とされているからです。
さて、聖書に話を戻りますが。そのナザレの会堂での安息日礼拝において、大事件というべきことが起こります。
通常通り聖書朗読の折、会堂司の僕から「預言者イザヤの書」の箇所を読むように巻物がイエスさまに手渡されます。するとイエスさまはその目に留まった箇所を次のように読まれました。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」
この、主の霊がわたしの上におられる、、、、主がわたしに油を注がれた」と言うのは、イエスさまが先のバプテスマをお受けになった時、聖霊が鳩のようにお降りになったことや、イエスさまが荒れ野の試みの後、霊の力に満ちてお働きを始められたことを思い起させます。イエスさまはこのイザヤ書の預言の顕れであり、油注がれたメシア(救いの主)なのです。
その救いの主としてのお働きについて、「貧しい人に福音を告げ知らせるため」と、ございます。
この貧しいとはどういう人のことでしょうか。それは実質的な貧しさばかりでなく、ここにはその具体的なこととして、「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」とあります。
これは、福音書がイエスさまの公生涯において、霊の飢え渇きにある貧しい人、世の力
に捕らわれ人、目の見えない人、圧迫されている人の友となり、病をいやし、解放をなし、その救いのみ業を具体的になさったことを示しています。このイエスさまによって告げ知らされせた「福音」は、具体的なかたちで実を結んでいくものなのです。私たち一人ひとりも、その恵みによって救われている者であります。
「主の恵みの年」とは、旧約聖書レビ記25章にあるように、50年ごとに民のすべてが自由になる年を表します。しかし実際にユダヤ、イスラエルにおいてこのことは未だ実践されてはいないそうですが。それはさておき、ここで言う「すべての者の解放と自由、主の恵みの年とは、主イエス・キリストの十字架と復活をとおして完成される神の救いの実現。すなわちイエス・キリストがお出でになった。その恵みの年の始まりの記念すべき年であります。
そのように宣言なさったイエスさまが「巻物を係りのものに返して席に座られると、会堂にいたすべての人の目がイエスさまに注がれた」とあります。
「イエスさまが席に座られた」とは聖書朗読で立っていた状態から単に座ったのではなく、イエスさまが今度は神の言葉を取りつぐ者としての席に座られた、ということなのですね。そりゃあ、皆はこのイエスさまの態度に注目したことでしょう。
そういう中で21節、イエスさまは言われます。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。
「今日」とは、あなたがたが耳にしたときです。福音を聞いたときから実現しているということです。ですからそれは2000年前のことではなく、今、私たちが主イエスの
福音を耳にした時。それが「神の恵みの時」なのです。まさにそれは、御救いの現在性を示す言葉なんですね。
さて、そのイエスさまの言葉を聞いた人々は「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉を驚いて言った。『この人はヨセフの子ではないか』と言った」とあります。
ナザレの人々のイエスさまに対する反応は、2つありました。
彼らはまずイエスさまをほめ、その口から出る恵みの言葉に驚きます。それが次第に「イエスは近所の大工ヨセフの子にすぎないじゃないか」という、どちらかといえば懐疑と否定的な反応に変化するのです。
幼い頃から知ってる大工のヨセフの子。そういった偏見が彼らの目を曇らせるのです。そこには、「自分はイエスをよく知っている」という思い込みがありました。
こういった思い込みというのは案外私たちの内にもあるのかも知れません。「あの人はこういう人だ」と言う、あたかもそのすべてをわかっているのかのような思い込みや偏見、一方的な決めつけや差別。そういったうわさ話といったもの。それは人の目を曇らせます。せっかくのよい出会いや関わりを台無しにしてしまったり、何よりそこに働かれる主の導きや祝福まで損なわせてしまいます。この時のユダヤ会堂にいたナザレの人々がまさにそうでした。
ここで、イエスさまはそのナザレのユダヤの人たちに「カファルナウムの町でしたいろいろなことを、わたしたちにもしてくれとあなたたちは言うに違いない」と、おっしゃっていますが。
このルカ福音書では、この後にカファルナウムでのエピソードが載っていますが。他の
福音書ではナザレの前にカファルナウムで、イエスさまは「権威と力」をもってお働きになったそのことが記されています。ナザレの人たちは、それを耳にしていたのです。
このカファルナウムという町にはユダヤ人以外の異邦人が多く住む町で、ナザレの人たちは、そのような町の人たちに御業がなされたことに対して、激しい妬みと言いますか、「私たちこそ正当な神の民なのに」というような強い思いがあったのだと考えられます。
イエスさまはそんなナザレの人たちに対して、ユダヤ人のだれもが知っている旧約聖書の預言者エリヤと預言者エリシャのエピソードを取りあげて、異邦人にも与えられている「神の恵み」を説かれます。
エリヤの時代、神に逆らいバアルの神殿を建てアシュラ像を造ったイスラエルのアハブ王に対して、預言者エリヤは神からの厳しい警告をするのですが、命を狙われケリトの川のほとりに身を隠すことになります。すると、朝夕ごとにカラスがパンと肉をエリヤに運んできましたが、飢饉で川の水も枯れますと、イスラエルにも大勢のやもめ、夫を亡くした女性がいたはずなのに、エリヤは北の異教の地、フィニキアの町サレプタのやもめのもとに遣わされました。
神の人エリヤが、そのやもめに「パンを一切れ、手にもってきてください」と言うと、彼女は「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです」。エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。まずそれでわたしのために小さいパン菓子を造って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。「主が地の面まで雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない。」やもめは行って、エリヤの言葉通りにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べる物に事欠かなかった。主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくなることはなかった。」
聖書は、なぜやもめ、それも異邦人のところに行けと神さまが仰せになったかの理由は書かれていませんが。恐らく預言者エリヤを神の人と、その目で曇りなく見抜き、神のお言葉に自分をかけて行動に移すことのできる人であったのでしょう。まさに貧しき者、霊の飢え渇いている人は幸いなるかな、です。又、預言者エリシャを通していやしに与ったナアマン将軍は、時にイスラエルに敵対する異教の地の軍人であり、高い地位であったのですが、彼を支える部下とそのナアマンの主への信頼が、最後はその彼のプライドや偏見を捨て去らせ、すべてを主にゆだねて切って、御言葉通り、川の水に3度身を浸して、いやされた人物でありました。彼も又、異邦人でありながらも、その信仰によって神の恵みに与って、いやされたのでした。
このように、イエスさまがナザレの人々に対して異邦人への神の恵みを示されたのは、ユダヤ人であった彼らの心が神に対して重く閉ざされていたからです。
エリヤそしてエリシャの時代もそうだった、だからイエスさまも、ユダヤの民の間で歓迎はされないだろう、とおっしゃったんですね。
又、マタイ、マルコ福音書の、ここと同じエピソードの箇所を見ますと。イエスさまはナザレではごくわずかな人をいやされただけで、その他は何も奇跡を行うことができなかった。そして人々の「不信仰」に驚かれた、とあります。
何とイエスさまが奇跡を行うことができなかった!その理由は、神の恵みを拒み、受け入れない不信仰にあったから、というのです。
イエスさまは今日のところで、ナザレのユダヤの人々が神の恵みを拒むなら、その恵みは異邦人に与えられることをはっきりと示されました。
「会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした」。
こういうことが、あのカルバリの十字架のときまで続いていくのです。
待ち望んでいたはずの神の恵みの時が、すでに目の前に現れている。
けれども、ナザレのユダヤの人々は、メシアであるイエスさまと神の恵みの時を受け入れることができなかった。イエスさまの福音、神の恵みを信じ受け入れるのに大きな妨げとなったのは、神の恵みのうえにあぐらをかき、自分たちはわかっている、というおごりと高ぶりだったといえるのではないでしょうか。
しかし、私たち異邦人が主の恵みによって救いに与っているように、ユダヤ、イスラエの人たちへの主の愛は変わることはないでしょう。
彼らが救いの主、メシアなるイエス・キリストを受け入れ、救いに与る(メシアニックジュウ)には、本当に多くの迫害や攻撃、分断といった困難を彼らに伴うのであります。
聖書はイスラエルの平和のために祈れ、とありますが。それは主の救いの完成の日を意味するからです。
イスラエル、ユダヤの人たちが、生ける主、メシアなるイエス・キリストを信じて、共
に主の恵みと祝福に与る喜びの日に向けて、祈り続けていくことは主の御心であり、私たち異邦人にとっても大切なことなんではないでしょうか。
かくして、主イエスの地上での生涯、十字架と復活をとおして主なる神さまは世界のすべての人々に、主の恵みの年は到来したということを、今日の聖書の御言葉から受け取りました。
今年の私たちの一年が主の恵みの年を歩むものとして、主の恵みを忘れることなく、喜びと感謝をもって、主の恵みの証を携え、日々主のみ業に励んでまいりましょう。
さあ、今週もここからそれぞれの場へと遣わされてまいりましょう。