環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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私の環境論21(最終回) 50年後のビジョンを考える際に必要な経験則

2007-02-04 08:15:43 | 市民連続講座:環境問題
  

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今回で、「私の環境論」をひとまず終了します。このシリーズの終わりに当たってみなさんにお尋ねします。

私の環境論は、後者の立場に立っています。ですから、現時点では、多くのみなさんと意見を異にするかも知れません。

「いまとなっては間違った前提に基づき、『持続的な経済成長』というビジョンから抜け出すことのできない経済学者やエコノミストの言説を無批判に受け入れるのではなく、『資源・エネルギー・環境問題』に配慮した、自然科学者の明るくはない未来予測に、耳を傾ける必要があるのではないか」というのが、私の環境論の根底にある認識です。

小泉政権が掲げ、安倍政権が継承している「持続的な経済成長」は、当面はやむを得ないとしても、明るい「21世紀社会」を私たちに約束してくれるものでしょうか。規制緩和は「行き詰まった日本経済拡大の打開策」としてではなく、「21世紀の持続可能な社会」を構築するための有効な手段として認識し、その必要性を大合唱しなければなりません。

また、地方主権(分権)の推進も同様です。21世紀の「持続可能な社会」と「それを支えるエネルギー体系」について、今、真剣な議論が日本で起こらなければおかしいと思います。今ほど素人の「直感」と「知恵」が求められているときはありません。企業人や学者、政策担当者はそれぞれの組織の立場を離れて、一生活者として、自分たちや自分たちの子どもや孫が生きるはずの「21世紀の社会」のあるべき姿を考えて欲しいと思います。

科学的知見が必ずしも完全ではなくても、私たちが生まれながらに持っている「知恵」「これまでに獲得した経験則」と、そして、「自然法則」を拠り所に、想像力を十分に働かせて、21世紀の社会を論理的に考えてみようではありませんか? 明るい未来は、私たちの選択にかかっているのですから。

私が提供できる「経験則」には、次のようなものがあります。

①動物としての機能退化(進化?)はあるが、21世紀も人間は 「動物的次元」 を捨てきれない。
②「21世紀の社会」の方向性を示唆する芽は現在の社会にある。
③物をつくるには原料、水、エネルギー、労働力などが必要である。生産工程からは「製品」と共に、必ず、「廃棄物」と「廃熱」が出る。生産はこれらのうち、最も少ない要因に縛られる。
④すべての製造物には寿命がある。製造物は時間の経過と共に劣化し、最終的には「廃棄物」となる。すべての製造物は「使用・廃棄物過程」でエネルギーを要求する。
⑤新技術、新政策の導入には「リードタイム」が必要である。
⑥現在の決断(決定)が「数10年後の社会の状況」を原則的に決めてしまう。
⑦「自然法則」にしゃにむに挑戦するよりも、「人間がつくった社会システムや産業経済システム」を変更することのほうが容易である。
「治療よりも予防」、「対策ではなく政策」 を重視しなければならない。“先延ばし”をすればするほど治療(対策)に要する社会的なコストは高くなる。

21回の講義をもう一度最初から続けて読んでいただく「私の環境論」と、私が考える環境問題の概要を体系的に理解していただけるでしょう。あとはみなさんの努力で、情報を収集し、ご自分で考えてみてください。そうすれば、どなたでも、私たちが直面している「21世紀最大の問題:環境問題」の議論に参加し、積極的に議論をすることができると思います。

次回から、これまでの「私の環境論」を基礎として、環境分野や日本の社会で起こっている様々な現象的な問題や話題に対して私の考えをお伝えし、みなさんの参考に供したいと思います。
       

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