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それでは、日本の原子力委員会は「日本の原発」をどのように位置づけているのでしょうか。次の図は7年前の状況ですが、委員の方々は代わっても現在も「原発の位置づけ」は基本的には変わらないでしょう。
原発推進派の議論も、反対派の議論も、そして、そのどちらにも属さない一般の人々の議論も、その出発点はここに集約されているのではないでしょうか。皆さんの議論の出発点はどこでしょうか。
私は昨日のブログで、 「21世紀の電源としての原発の論点」で私が考える8つの論点を示しました。私の「8つ論点」の設定が1995年で、日本の原子力委員会の「原発の特性と位置づけ」が5年後の2000年であることに注目してください。
私自身の判断では、これまでの日本の原発論争の60%が(1)の安全性に関するもので、30%が(2)の核廃棄物の処理・処分に関するもの、残りの10%が(3)、(4)、(5)に関するものだと思います。
原発論争の90%を占める「安全性」や「核廃棄物の処理・処分」の重要性については、原発推進派も反対派も、立場は違っても、全く同じ認識だと思います。ただ、認識が同じでも、立場によって、現在の対応が十分かどうかの評価が異なるのだと思います。
そうであれば、日本の原発論争の90%を占める「安全性」と「核廃棄物の処理・処分」の問題がクリアされれば、日本の原発は拡大の方向でよいのか、というのが昨日の設問の主旨です。
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設問の回答をします。
安全性(労働環境の快適さを含むのでしょうか?)と核廃棄物処理・処分の問題がクリアされれば、原発は拡大しても構わないのか?ということですが、私は構わないと思います。ただ、拡大する場合に問題となってくるのは、昨日の記事にもあるように、人間はテクノストレスを感じもする生き物なので、人間が電気を使って生活をするスタイルをもう一度見直す必要が、日本人にはあるような気がします。
後手後手になってしまうのは気質なのでしょうか。
なんともSFの世界に近い想定ですが、あえて想像してみます。
要は、膨大なクリーンなエネルギーが手に入ったということとするならば、次のことを想像しました。
膨大なエネルギー確保は、エネルギー大量消費を可能にし、製品の大量生産に拍車をかけることになります。
今日の製品は明日の廃棄物ということを思い出せば、膨大なエネルギーの確保はその一方、廃棄物の増加をさせる原因になる可能性があります。
要は、エネルギーを確保してもそれが地球の自浄能力を超えるものであればそれは使えないエネルギーなのではないでしょうか。
我々はエネルギーが確保されればよいと錯覚しがちですが、エネルギーの消費量そのものが問題なのではないでしょうか。
足りないが問題ではなく、使いすぎ自体が問題。
いかがでしょうか。
冨田 由さんへ
多くの方が「原発の安全性」というときに、「労働環境の快適性」を含むことはまずないと私は思いますが、議論をわかり易くするために、私のこの議論では「労働環境の快適性」も含んでいるとしましょう。
そうであれば、冨田さんのお考えは「原発拡大もかまわない」、もっと積極的に言えば、「原発拡大・推進いいですね」ということですね。
XAITOさんへ
存在しても、「使えないエネルギー」という発想は
いいですね。大変良い視点をお持ちですね。あなたの
視点に加えて、私はもう一つ根本的なことを考えています。原発を今後も拡大していくか、減少させていくかは、議論する人が20世紀的発想で原発を考えているか、それとも、21世紀的発想で考えているかの
判断基準の相違だと思います。