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皆さんへのお願い:10月30日から始めたこの連続講座「スウェーデンの脱原発政策の歩み」(私の理解では「エネルギー体系修正のための政策」という表現のほうが適切だと思う)がカバーする範囲は、1960年代から1990年頃までです。その頃を振り返りながら読んでください。その後のスウェーデンのエネルギー政策は「緑の福祉国家22~30:エネルギー体系の転換」を参照してください。
100年以上前、スウェーデンはヨーロッパで最も貧しい国の一つでした。そのおもな理由は相当量の化石燃料が国内で発見できなかったために工業化が遅れたからです。この50年間でスウェーデンは世界で最も裕福な福祉国家の一つとなりました。しかし、化石燃料(石炭、石油、天然ガスなど)に恵まれない点は今も変わりありません。
水力発電はスウェーデンの工業化に重要な役割を果たしました。増大する電力需要に対処するため火力ではなく、迷うことなく原子力を選択し、積極的に開発してきました。1970年代のスウェーデンの原子力は、他国と同様に、バラ色の時代でした。当時すでにスウェーデンが抱えていたイギリス、ドイツ、ポーランドなどの外国からのSOx(硫黄酸化物)やNOx(窒素酸化物)などによる「環境の酸性化」(日本では「酸性雨問題)」という)への対応という観点からも、また、スウェーデンが冷戦構造の中で国是としてきた「中立政策」に基づくエネルギーの自立という政治的な観点からも、原発の建設は好ましいものと考えられていました。
スウェーデンの反原発運動は1960年代にすでに始まっていました。ノーベル賞受賞物理学者ハネス・アルフベン博士と中央党の国会議員ビルギッタ・ハンブレウス女史が初期の反原発運動の中心でした。スウェーデンの商業用原発の1号機(オスカーシャム1号機)が運転を開始した1972年(昭和47年)秋の国会で、ビルギッタ・ハンブレウス議員が「原発から出る放射性廃棄物の処分」について政府の見解をただした時、答弁に立った当時の産業大臣は「今のところ、国際的に認められた放射性廃棄物の最終処分方法はない」と答えました。同議員は「それならば」と原子炉新設の停止を求める提案を国会に提出しました。この提案は国会で否決されましたが、そのとき以来、原発は常にスウェーデンの政治の重要な議題の一つになったのです。
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