東伏見は今日1日だけ練習オフ。
明日から練習再開です。
次の法政戦では、ぜひ活発な早稲田野球を期待いたしましょう。
また、このところ試合の中盤以降の失点が致命傷となっているだけに、抑え役の投手の台頭が待たれます。
故障上がりの有原くんは無理が効きませんから、球威のある塚田くんが一番適任だと思うのですが。
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さて、佐々木主浩投手(東北福祉大出身)の活躍以来、絶対的な力を持つ抑え投手を「大魔人」と呼ぶことがすっかり定着しました。
「大魔人」は、1966年(昭和41年)、私が小学校五年生の時に大映で公開された特撮映画。
近代都市を破壊する怪獣ではなく、戦国時代を舞台に悪行を重ねる大名を退治する正義の味方という設定が、極めてユニークな映画でした。
また、ゴジラ作品でも有名な伊福部昭さんが音楽を担当。
重厚なサウンドが、大魔人の力強さを良く表現しています。
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ところで、怪獣映画と同様、大魔人の場合も、縫いぐるみの中に俳優さんが入っていました。
その大魔人の中に入っていた俳優さんが、橋本力(チカラ)さんです。
何と、橋本力さんは函館西高で甲子園に出場し、卒業後は1953年にプロ野球・毎日オリオンズでプレーした強打のレギュラー外野手でした。
橋本さんは、中学生の時、沼澤康一郎さん(捕手。函館中部高校-早大-毎日オリオンズ)の弟さんと同級生でした。
それが縁となって、早大野球部員であった沼澤さんから帰省中などに指導を受け、野球選手としての基礎を築き上げたのだそうです。
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橋本さんのプロ入り時のエピソードが面白いというか、無茶苦茶というか。
橋本さんが国鉄スワローズに入団することになり、長距離列車で上野駅に到着すると、沼澤さんがプラットホームに出迎えにきていて、「おーい、チカラくん、こっちこっち」と手を振って呼ばれました。
「こんにちは。ご無沙汰しています」と沼澤さんの後についていって、そのまま一緒に東京で過ごしました。
そして、数日後に「はい、入団契約が完了したよ」と渡されたのが、何と毎日オリオンズへの入団契約書と契約金。
その間、函館の実家や母校では、「チカラが東京で行方不明になった」と大騒ぎになっていたそうです。
(><)
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橋本さんが、俳優になったきっかけも面白いです。
故障で二軍落ちしていた時に、橋本さんは野球を題材にした大映の映画にエキストラで出演。
ところが、ダイビング・キャッチのシーンの撮影で、鎖骨を骨折してしまい、その故障が原因で、1959年に自由契約になってしまいました。
その話が大映に伝わり、申し訳ないから俳優としてウチで雇おうということに。
まあ、大らかな時代でした。
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橋本さんは、その後、ガメラ、座頭市、兵隊やくざなどの、大映の人気シリーズに加えて、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」にも出演されました。
人生、どこに転機があるか分かりませんね。
明日から練習再開です。
次の法政戦では、ぜひ活発な早稲田野球を期待いたしましょう。
また、このところ試合の中盤以降の失点が致命傷となっているだけに、抑え役の投手の台頭が待たれます。
故障上がりの有原くんは無理が効きませんから、球威のある塚田くんが一番適任だと思うのですが。
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さて、佐々木主浩投手(東北福祉大出身)の活躍以来、絶対的な力を持つ抑え投手を「大魔人」と呼ぶことがすっかり定着しました。
「大魔人」は、1966年(昭和41年)、私が小学校五年生の時に大映で公開された特撮映画。
近代都市を破壊する怪獣ではなく、戦国時代を舞台に悪行を重ねる大名を退治する正義の味方という設定が、極めてユニークな映画でした。
また、ゴジラ作品でも有名な伊福部昭さんが音楽を担当。
重厚なサウンドが、大魔人の力強さを良く表現しています。
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ところで、怪獣映画と同様、大魔人の場合も、縫いぐるみの中に俳優さんが入っていました。
その大魔人の中に入っていた俳優さんが、橋本力(チカラ)さんです。
何と、橋本力さんは函館西高で甲子園に出場し、卒業後は1953年にプロ野球・毎日オリオンズでプレーした強打のレギュラー外野手でした。
橋本さんは、中学生の時、沼澤康一郎さん(捕手。函館中部高校-早大-毎日オリオンズ)の弟さんと同級生でした。
それが縁となって、早大野球部員であった沼澤さんから帰省中などに指導を受け、野球選手としての基礎を築き上げたのだそうです。
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橋本さんのプロ入り時のエピソードが面白いというか、無茶苦茶というか。
橋本さんが国鉄スワローズに入団することになり、長距離列車で上野駅に到着すると、沼澤さんがプラットホームに出迎えにきていて、「おーい、チカラくん、こっちこっち」と手を振って呼ばれました。
「こんにちは。ご無沙汰しています」と沼澤さんの後についていって、そのまま一緒に東京で過ごしました。
そして、数日後に「はい、入団契約が完了したよ」と渡されたのが、何と毎日オリオンズへの入団契約書と契約金。
その間、函館の実家や母校では、「チカラが東京で行方不明になった」と大騒ぎになっていたそうです。
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橋本さんが、俳優になったきっかけも面白いです。
故障で二軍落ちしていた時に、橋本さんは野球を題材にした大映の映画にエキストラで出演。
ところが、ダイビング・キャッチのシーンの撮影で、鎖骨を骨折してしまい、その故障が原因で、1959年に自由契約になってしまいました。
その話が大映に伝わり、申し訳ないから俳優としてウチで雇おうということに。
まあ、大らかな時代でした。
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橋本さんは、その後、ガメラ、座頭市、兵隊やくざなどの、大映の人気シリーズに加えて、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」にも出演されました。
人生、どこに転機があるか分かりませんね。