私が早稲田に入学した年、とてつもないトップ・スイマーが二人、同じく早稲田に入学してきました。
尾道高校の柳館毅くんと原秀章くんです。
二人の競技成績は、飛び抜けていました。
(柳館)
一年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
二年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
日本選手権200m個人メドレー優勝
モントリオール五輪400mメドレーリレー八位入賞
三年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
四年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
日本選手権200m個人メドレー優勝、
同200m自由形優勝
(原)
一年:
インカレ100mバタフライ優勝
同200mバタフライ優勝
二年:
インカレ100mバタフライ優勝
同200mバタフライ優勝
モントリオール五輪100mバタフライ七位
同400mメドレーリレー八位
三年:
インカレ100mバタフライ優勝
同200mバタフライ優勝
四年:
インカレ100mバタフライ優勝
日本選手権100mバタフライ優勝
ちなみに、二人が在学中に日本記録を更新した回数は、共に二桁!
体育実技で水泳を選択した友人に誘われて、授業の行われているプールに行ったことがあります。
(授業の終わった後に、麻雀をする要員として)
体育実技でプールの数コースを使うのですが、その残りのコースを使って水泳部の練習も同時に行われていました。
水泳部の柳館たちの、その泳ぐ速さといったら!
(@_@;)
世界に挑むスイマーたちの異次元の泳ぎを目の当たりにした時の衝撃を、私は忘れることができません。
大学四年間、名実共に日本を代表する水泳選手であり続けた二人でした。
卒業式で、彼らは揃って小野梓スポーツ賞を授与されました。
私たちは仲間内で、「今年の小野梓賞は、柳館と原で決まりだろう」と噂していました。
野球部は秋季リーグ戦で、ラグビー部も対抗戦グループで優勝していましたが、小野梓賞は、大学選手権連覇、日本選手権レベルで優勝しないともらえないからです。
彼らの名前が読み上げられた時、「おぉ、やっぱり」「あいつらは本当に凄かったものね」などと学生の間から歓声が挙がりました。
でも、記念会堂の二階に陣取った父兄席の反応がイマイチ。
「あれ?、オリンピックのファイナリストを知らないの?」と思っていたら、彼らの四年間の輝かしい競技成績が場内で読み上げられ始めました。
「大学選手権四連覇、日本選手権優勝二回、モントリオールオリンピック八位、日本記録樹立十回…」
ここまできて、さすがの父兄席も「ウォー」とどよめき、最後は、会場を揺るがす、万雷の拍手となりました。
表彰を受ける際、詰襟姿の二人の鍛え抜かれた背中が、本当に輝いて見えました。
あれから三十年以上。
今でも彼らと同期生であったことを誇りに思います。
尾道高校の柳館毅くんと原秀章くんです。
二人の競技成績は、飛び抜けていました。
(柳館)
一年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
二年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
日本選手権200m個人メドレー優勝
モントリオール五輪400mメドレーリレー八位入賞
三年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
四年:
インカレ200m個人メドレー優勝
同400m個人メドレー優勝
日本選手権200m個人メドレー優勝、
同200m自由形優勝
(原)
一年:
インカレ100mバタフライ優勝
同200mバタフライ優勝
二年:
インカレ100mバタフライ優勝
同200mバタフライ優勝
モントリオール五輪100mバタフライ七位
同400mメドレーリレー八位
三年:
インカレ100mバタフライ優勝
同200mバタフライ優勝
四年:
インカレ100mバタフライ優勝
日本選手権100mバタフライ優勝
ちなみに、二人が在学中に日本記録を更新した回数は、共に二桁!
体育実技で水泳を選択した友人に誘われて、授業の行われているプールに行ったことがあります。
(授業の終わった後に、麻雀をする要員として)
体育実技でプールの数コースを使うのですが、その残りのコースを使って水泳部の練習も同時に行われていました。
水泳部の柳館たちの、その泳ぐ速さといったら!
(@_@;)
世界に挑むスイマーたちの異次元の泳ぎを目の当たりにした時の衝撃を、私は忘れることができません。
大学四年間、名実共に日本を代表する水泳選手であり続けた二人でした。
卒業式で、彼らは揃って小野梓スポーツ賞を授与されました。
私たちは仲間内で、「今年の小野梓賞は、柳館と原で決まりだろう」と噂していました。
野球部は秋季リーグ戦で、ラグビー部も対抗戦グループで優勝していましたが、小野梓賞は、大学選手権連覇、日本選手権レベルで優勝しないともらえないからです。
彼らの名前が読み上げられた時、「おぉ、やっぱり」「あいつらは本当に凄かったものね」などと学生の間から歓声が挙がりました。
でも、記念会堂の二階に陣取った父兄席の反応がイマイチ。
「あれ?、オリンピックのファイナリストを知らないの?」と思っていたら、彼らの四年間の輝かしい競技成績が場内で読み上げられ始めました。
「大学選手権四連覇、日本選手権優勝二回、モントリオールオリンピック八位、日本記録樹立十回…」
ここまできて、さすがの父兄席も「ウォー」とどよめき、最後は、会場を揺るがす、万雷の拍手となりました。
表彰を受ける際、詰襟姿の二人の鍛え抜かれた背中が、本当に輝いて見えました。
あれから三十年以上。
今でも彼らと同期生であったことを誇りに思います。