外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

人生劇場と都の西北

2009-10-28 17:24:49 | 早稲田大学
東都では、立正大が初優勝しました。
明治神宮大会で戦うことができるよう、早稲田も頑張りましょう。


さて、昨日の稲穂祭・第二部で、早稲田の第二校歌「人生劇場」が応援部リーダー部員たちによって歌われました。(写真)

レトロな編曲の伴奏に合わせて唄う彼らの姿は、彼らの美学と心意気がひしひしと伝わってくる、素晴らしく格好良いものでした。


私たちの学生時代を過ごした昭和50年代前半でも、金城庵あたりの座敷に集まってシコタマ飲んだ後、校歌、紺碧の空に続いて、肩を組んで人生劇場を唄って当日はお開きというのが、当時の飲み会の標準形でした。

ですから、人生劇場から漂う雰囲気は、今も私に「早稲田」を強く感じさせてくれるもので、第二校歌と呼ばれるのも納得です。


ところで、昭和30年代に大学生活を送られた方が、当時の学生の間で歌われていたという校歌の替え歌を、ある異業種交流会の資料の中で紹介されていました。

私自身は知らない替え歌でしたが、思わずニヤリとさせられる内容だったので、皆様にもご紹介します。


都の西北 早稲田の杜に
そびゆるトタン屋根 我等が下宿
我等が日頃の オカズを知るや
二円のタクアン 五円の煮豆
日増しに痩せゆく 我等のからだ
輝く我らの 下宿をみよや
痩せた 痩せた 痩せた 痩せた
痩せた 痩せた 痩せた
Comments (8)
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稲穂祭に参加

2009-10-28 00:01:11 | 大学野球
稲穂祭に参加しました。

第一部は、早慶両校の応援合戦
第二部は、応援部による人生劇場~よさこいサークル~万歳同盟~野球部四年生の決意表明~チャンスパターン・メドレー

明治が法政から勝ち点を取ったので、早慶戦で早稲田が勝ち点をあげれば優勝です。

俄然、早稲田に勝ち運が巡ってきたと思います。

野球部、頼むぞ!
一緒に優勝パレードをしましょう!


さて、小学館が長年にわたって発行してきた月刊誌、「小学五年生」「小学六年生」が休刊されると報道されています。
「懐かしいなぁ」と思われた方も多かったと思います。

子供の頃、我が家は小学館よりも学習研究社(いわゆる学研)の書籍を好んでいまして、私が定期購読していたのは「○年生の科学」でした。

自宅でもできる簡単な実験の材料、あるいは昆虫や植物の標本作りの案内などがあって、楽しい内容でした。
なお、学研からは「○年生の学習」という月刊誌もありましたが、我が家は購読していませんでした。

あとは、毎日小学生新聞を購読していました。
これは、園山俊二さんの連載マンガ「がんばれゴンベ」を読むために。
お猿さんのゴンベが、なぜか小学生になって、子供たちと繰り広げる、楽しい日常が題材でした。

中学校に入学すると、やはり学研の「中一コース」を購読しました。

ちなみにライバル誌は旺文社の「中一時代」。

いま振り返って、その手の雑誌で一番役立ったと思えるのは、年号の語呂合わせ。

例えば「鳴くよ(794)ウグイス・平安京」「第一次大戦・征く銃士(1914)」といったものです。

学期末テストや入試対策のために、生徒の誰もが必ず憶えなければならない年号なのに、それを暗記するための技術や工夫は、教科書には全く書かれていない。

語呂合わせも教科書に併せて記載してくれたら、家計における教育費も少しは減るでしょう。

文部科学省も、そういう気の利いた教科書を推奨してくれたらいいと思います。

中央官庁からみたら、語呂合わせで記憶するなんて邪道ということなのでしょうか。

ところで、私が語呂合わせの憶えた時代以降の最近の出来事にも、現代の受験生向けに語呂合わせがあることを知りました。

今日は、私自身の受験勉強では登場しなかったと思われる、1960年代以降の日本史の語呂合わせをご紹介します。

1964年
東京五輪・メダル獲るのにひと苦労よ (1964)

1972年
沖縄の本土復帰・行くぞ夏 (1972 )の沖縄へ

1973年
原油高騰・ひどく涙 (1973)のオイルショック

1978年
日中平和友好条約・ひどく悩んで (1978)仲直り

1989年
年号が平成へ・昭和の思い出いくばくか (1989)

1995年
救護 (95)に急げ・阪神淡路大震災

1995年
救護 (95) に困る・地下鉄サリン事件
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