とうちゃんのぷらぷら日記

アウトドア系の日記及びうんちく

日本民家園と枡形城へ初めて行ったころ

2016-10-10 20:51:28 | 近所の旅
枡形城(枡形山城)へ初めて行ったのは小学生のころだった。
・・・・「そらまたお父さんの自慢話が始まったわよ」
まあ、まあ
そういうネタがあるだけでもいいじゃないか。
おとなしく聞いておけ。

小学生のお城めぐりなんて渋いだろ。
あのころは、兄と二人でよく出かけたものだ。
玉縄城、衣笠城、小机城、茅ヶ崎城、八王子城、そして枡形城
どうだ、とても小学生とは思えない渋さだろう。

大阪万博へ行った時も、(当時、父が運転する車で、学校を休んで出かけた)兄の主導で、伊賀上野城、彦根城、安土城、伏見城、大阪城、姫路城をついでに回ってきた。
筋金入りだ。

枡形城は、きっとこの方角にちがいない。
出来たばかりの日本民家園を、「城址はきっとこの中だ」と思い入園した。
雨が降っていても傘もささず歩いていた。
民家園をぐるっと回っても城址の碑は見つからなかった。
しまった、ここじゃなかった。

民家園の横から尾根の高いところを目指して駆け上がって見つけたのがこの碑だった。




枡形城は残念ながら大きく破壊され、城跡としての面影はない。
(戦時中はここに高射砲の陣地があったそうだ)

広福寺にある城主 稲毛三郎重成の墓

稲毛重成の妻は北条政子の妹であった。
ところが若くして亡くなった。
このため夫である重成は、亡き妻の供養のため相模川に橋を掛けた。
橋の落成式である橋供養には源頼朝も出席したが、橋供養の帰り道、頼朝は落馬し、それが原因で亡くなってしまう。
桝形城のお殿様なんて、どうでもよさそうにも感じるが、けっこう日本の歴史にかかわっているので驚いてしまう。





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