昔の山のバッジを見ていたら、鍋割山荘の今井さんのことを思い出した。
今井さんは、今の鍋割山荘の草野さんの前に鍋割山荘の小屋番をされていた方だ。
すでに同級生などと一緒に丹沢へ出かけていたころだったが、
ある秋に、塔ノ岳から鍋割山の稜線で紅葉のきれいな葉っぱを拾って歩いていたことがあった。
押花ならぬ押し葉を作るためだった。
黄色の落ち葉はけっこういいのが拾えたが、赤いのがあまりない。
鍋割山に着くと、赤く紅葉したどうだんつつじがみごとだった。
私は、どうせ一週間もすれば落ちてしまう葉っぱだからと、まだ木から落ちていないのを2、3枚失敬してしまったのだが、それを後ろから見ていた今井さんに「こら、むしるんじゃないぞ」と怒られてしまった。
髭をはやした今井さんは、ちょっと気難しそうに見えるところがあった。
自分もああしまった、申し訳ないという気持ちがあったのでいまだに覚えている。
その後大倉尾根で今井さんとすれ違ったりすると、なんだか気まずかった。
昭和50年11月の新聞に今井さんが亡くなられたことを知らせる記事が載っていた。
今井さんは傷病軍人であったそうだ。
気が付かなかったが、そんなハンデを持ちながら小屋番をされていた方だった。
今井さんは、今の鍋割山荘の草野さんの前に鍋割山荘の小屋番をされていた方だ。
すでに同級生などと一緒に丹沢へ出かけていたころだったが、
ある秋に、塔ノ岳から鍋割山の稜線で紅葉のきれいな葉っぱを拾って歩いていたことがあった。
押花ならぬ押し葉を作るためだった。
黄色の落ち葉はけっこういいのが拾えたが、赤いのがあまりない。
鍋割山に着くと、赤く紅葉したどうだんつつじがみごとだった。
私は、どうせ一週間もすれば落ちてしまう葉っぱだからと、まだ木から落ちていないのを2、3枚失敬してしまったのだが、それを後ろから見ていた今井さんに「こら、むしるんじゃないぞ」と怒られてしまった。
髭をはやした今井さんは、ちょっと気難しそうに見えるところがあった。
自分もああしまった、申し訳ないという気持ちがあったのでいまだに覚えている。
その後大倉尾根で今井さんとすれ違ったりすると、なんだか気まずかった。
昭和50年11月の新聞に今井さんが亡くなられたことを知らせる記事が載っていた。
今井さんは傷病軍人であったそうだ。
気が付かなかったが、そんなハンデを持ちながら小屋番をされていた方だった。
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