Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

船で天津へー3-

2007-06-04 13:47:11 | Weblog
船で天津へー3-                2007年6月2日

朝は7時に船内放送が鳴る。最初に中国語で、次に日本語で、
「皆様お早う御座います。本日は6月2日土曜日で御座います」。
続いて英語で同じことを放送するが、上手な発音だ。船の従業員
は全員中国人で、だいたい日本語は通じる。特に上手い子も居る。
男の船員で私が日本人と判ると英語で返事してくる人も居る。
それと、所謂外人のお客さんが数組居た、バックパッカーで男女
の2人連れだ。天津を上陸地点にして中国を旅するのであろう。
日本人バックパッカーも男子が5-6人、女子が1人、男女の組が
1組居た。

まだ日本の領海内だからであろうか、時間は日本時間を使用して
いる。日本の7時は中国の6時だ。部屋を出てレストランに行って
みると、朝食は8:00からとなっている。それなら日本のコンビニ
お握りを食べてしまおう。冷たい缶ビールと一緒に保存してある
が、もう保存の限界だろう。自前の朝飯を食べて、パソコンを
いじっていると、船内放送で、朝食は8時からレストランで用意
してあります。無料ですとのこと。そういうことは早く言いなさい。

船内を歩いてみると、自販機が多いので、便利だ。缶ビールが
人気で、2日目の朝にして、売り切れの赤ランプが点いてるのが
多い。缶、ビンのジュース・コーヒー、カップ麺もある。お湯が
自由に使える。私の部屋にはポットが有るのでこれに入れて、
部屋でお湯が使える。但し湯飲みが無かったので、レストラン
から貰ってきた。カップ・コーヒーのサーバーもあって、black
から砂糖ミルク多目まで選べる。但し1杯150円と高い。
自販機はベンダーが日本の業者なのであろう、方式から商品まで
日本と同じだ。ビールはキリンとアサヒで中国製は入って無い。
レストランの営業中に、ビンビールを頼むと「青島」が出てくる。
先ほど対馬沖を通過したと放送が有ったので、今頃は済州島沖の
筈だが何も見えない。外は雨である。時々貨物船が遠くに見える。
下部甲板に卓球室とゲームの部屋があるがゲームマシンは動くの
どうか判らない。放置してあるようだ。その更に下のフロアーに
風呂とサウナがあることになっているが、午後3時に開くとの
ことで、今は鍵がかかっている。

レストランの傍に、麻雀部屋があり、3卓置いてあった。いつで
も自由にできるようだ。船室内は全て禁煙なので、ロビーとか
自販機前のテーブルではタバコが吸える。そこで、トランプを
しているグループもある。

お孫さんを連れた中国人のお婆さんから話しかけられ、暫く話し
ていたら、え?日本人ですか?中国語が上手ですと言われた。
まんざらでもない。って言うか、私は中国人と間違われるようだ。
船内の地図を見ていたら、今頃ここを走っているよと、中国人の
爺さんに話しかけられた。応答すると、すぐ日本人と判ったよう
だ。どこから来たのかと聞かれたので、横浜と答えると、彼は
東京から来たとのこと。そして彼は、東京から神戸は遠いよ、夜行
バスできたが、横浜・東京から中国へ行く船は無いのか?と聞いて
きた。私は無いと思うと答えた。それから、年は幾つだと言う話に
なり、お互い1938年生まれだと判り、一気に親密になった。彼は
天津に着いたら、黒龍江省まで汽車で故郷に帰ると言っていた。

昼食近くになって、進行右側に島が点点と現れてきた。きっと
韓国の領海内に入ってきたと思い部屋のTVを点けてみると、案の
定、韓国語が飛び込んできた。昼食の案内放送があり、レストラン
に行く。スープ一椀50円、ご飯は取らずに饅頭(中身の無い、白い
蒸しパン2個)50円、にんにくの芯と豚肉の細切れを炒めたやつ
450円、梨1個50円、合計600円で安い筈だが、私の心は既に天津
モード、物価の基準が天津になっているので、高いよと、口には
出さずに叫ぶ。

昼寝をして、3時になったのを確かめて風呂場に降りる。先客が
一人居る。風呂場には誰も居なかったがサウナに居た。畳三畳程の
サウナに2人で入ってるから話さない訳には行かない。私の方から
温度が低いねーと話しかける。彼は、ここでは調節できないと言う。
仕方が無いので、80度位の間の抜けたサウナに入り続ける。日本
人か?そうだよ。何処へ行く?天津。そうか私は大連に帰る。
天津は仕事?いや、もう退職して仕事は無い、旅行で行く。何歳?
68歳.いやー68には見えない、若い体をしている。いやいや、もう
歳だよ。

中国語が多少でも出来ると、こういうとき便利で楽しい。40分
ほど風呂を楽しんでから、冷えた缶ビールを買って部屋に戻り、
きゅーと一気に飲んだ。

夕食が済んで、カラオケタイムとなり、私は部屋で本を読んで
時間を潰した。夜の10時になり、営業時間の終了を告げる船内
放送の時に、「中国の領海に入りました。時間を1時間遅らせて
ください」とのこと。いよいよ明日は天津だ。

船で天津へ行くー2-

2007-06-04 10:06:54 | Weblog
船で天津へー2-                2007年6月1日

朝9時に近づいてくると人がどんどん集まってくる。神戸と天津を
繋ぐフェリーは燕京号で、9960トン、135m、旅客定員399名。神戸
を毎週金曜昼に出航し、天津に日曜の午後到着、天津を毎週月曜の
午前に出航し、神戸に水曜の午後到着、これの繰り返しである。
だから、この航路で天津を訪ね、神戸に帰るとすると、着いた翌日
の月曜に乗るか、1週間後の月曜に乗るか。そのまた1週間後に
乗るかと言う事になる。

着いた翌日に帰って来ると言うのは、楽しみの旅行としては論外と
して、netで1週間か2週間、但しグロスにすると往復4日を足すので
11日間または18日間の旅は、毎日が日曜日になったら、のんびりし
た良い旅になるのではないだろうか。そう思ってこの旅を選んだ。
料金だが、全て往復として、2人部屋の特別室が105,000円で、これ
は本当に特別で(1室のみ)、一番安い2等和室が33,000円と安い。
その上が2等Aの16人部屋で2段bedで34,500円。学生は10%安くて、
繁忙期(7/2から9/28)は20%ほどupになる。

周りの乗客を見てみると、殆どが中国人である。但し私が知ってい
る若い日本人が大学の行事で、この船で天津に行ったことがあると
言っていたので、日本人の団体が乗ることも多いのであろう。今日
は偶々中国人が多いのだと思う。9時から手続き開始、10時半から
乗船開始、11時半に出航と、実に時間通りに進んだ。神戸のフェリ
ーターミナルは高速道路のすぐ傍にある。接岸している燕京号の上
のデッキに立つと目の前を高速道路が走っている、実に変わった港
だ。出船の警笛が鳴ってもロマンテイックでもなんでもなく、船は
ゆっくりと離岸した。

出航して間もなく、昼食となる。当然中華だが、中国人シェフが
作ってるからと言って、全てが旨い訳ではなく、食わない訳には
行かないから食ったよと言うような昼食であった。船内の支払いは
レストランでも数多くある自販機でも、全て日本円である。スープ
が1椀50円、飯が1椀50円、豆腐とピーマンとキュウリの炒めもの
が1皿150円、これと無料のお茶で済ませた。

缶ビールが自販機でも船のレストランでも150円と普通価格なので
良かったが、スナック菓子が1袋、250-300円と高かった。日本の
スーパーで買って乗船すべし。神戸の港を出てから、瀬戸内海を
ゆっくり走る。瀬戸大橋を午後3時半にくぐる。来島海峡大橋は、
5時55分に通過した。6時に夕食のために開店したレストランは、6時
半に閉まる。ま、船だからしょうがないでしょう。従業員はかけも
ちです。レストランの前の売店もレストランに会わせて開店閉店
する。

レストランの脇に、日本式レストランと喫茶室があるが今回は開い
たのを見たことが無い。7-9月のフルシーズンには開くのだろう。
他にスナックバーと言うのが有って、夜の9時から10時まで開業する。
カラオケになるようだ。

インターネット仲間のojinが時々電話をかけてきてくれる。ojinは
docomoで私はsoftbankだが、結構感度は良く、夜の7時半頃まで通話
できた。多分そのころから、九州や四国の電波が届く範囲から、抜け
て行ったのであろう。表示が「圏外」になってしまった。でもその
時点でも窓の外には、遠く島影が見え、船の灯かりがあちこちに
見えてはいるのだが、携帯電話のお客さんと言う観点からは、無人
地帯に近い訳で、電波は来て無い。

こんなふうにして、船で行く天津への旅の初日は暮れて行く。

船で天津へ行くー1-

2007-06-03 21:54:11 | Weblog
船で天津へー1-               2007年5月31日

私の家は横浜市なのだが、根岸線で横浜に出るより大船へ出る方が
早い。それで大阪行きの夜行寝台急行「銀河」に乗るには、当然の
ことながら横浜へ戻らずに大船へ出て乗る。こんな長距離列車が大
船に止まってくれるのが有難い。5月31日、23時42分が定刻なのだが
早めに着いて、10数分間、何本か電車の到着を待つようなことにな
った。こんな遅い時間なのに、東京から来る電車は殆ど満員で、皆
勤め帰りで疲れた感じで眠りこけてる人も多く、グリーン車までも
人で満ち溢れていた。こんな中で、ジーンズにスニーカーで大きな
旅行荷物を持って立っている自分が、まるで場違いの人間に思えた。

定刻より5分ほど遅れて「銀河」がやってきた。今までに入ってきた
通勤列車と違い、車両の中はもう寝台がセットされていて、殆どの
座席がカーテンですっぽりと包まれ、降りる人は無く、乗る人も、
私が乗る2号車では2人だった。2号車はB寝台で、下段は満席、上段
は2/3が埋っている。私の席も上段で、ほかの人を起こさないように
静かに上がって、すぐに寝た。

大抵の人がそうらしいが、夜行列車と言うのは、走っている間は
寝ていて、止まると起きる。私も浅い眠りの中で何回か、今汽車が
止まったなーと言う記憶がある。ここは何処だ?と考えると、その
まま目が覚めてしまうが、それを考える前に汽車が動いてくれると
また次の眠りに落ちる。4時半頃だったろうか、長い停車時間に目が
覚め、駅名を確かめたらまだ米原だった。またうとうとして、今度は
「次は大津です」と一言だけ車内放送があった。この頃から起きて
顔を洗ったり歯を磨く人が現れた。

こう書いてると言うことは、私も起きてしまっていた。通路側の窓
のカーテンは上げられ壁にはめ込まれた椅子を直角に降ろして、座
って外を見ていた。京都が近づいてくると、車内放送は、皆様お早う
御座いますから始まり丁寧に何回も繰り返され、新大阪や大阪への
到着予定時刻も告げられ、乗客も完全に下車準備態勢になる。

私の関心は、通勤ラッシュの電車に、この大きな荷物を持って、どう
やってお邪魔にならないように乗るかであった。いろいろ考えて、
大阪乗り換えはまずいだろう、新大阪で神戸方面に行く電車に乗る
方が問題が少ないだろうと考え、そうした。7時25分に新大阪駅に
着いた。降りたホームの真向かいに網干に行く快速電車が来る。満員
である。私はなんとか乗れそうな入り口を見つけ、乗り込んだ。幸い
なことに大阪では乗り込んだ反対側が開き、多くの人が降りて、私は
座ることができ、荷物は棚に上げることができた。重かったが。

阪急のガード下なら、暖かい味噌汁で朝食が食える筈との考えが、
頭をよぎったが、安全策でコンビニおにぎりとお茶を買い、ポート
ライナーでフェリーターミナルに向かった。そこにも食堂が有って、
暖かい朝食が食えるだろう。乗船時間までたっぷり有るからそこで
ゆっくりできる。と、考えたが、私は甘かった。こんな時間、天津
行きの客のためだけに食堂は開いてなかった。安全策のおにぎりが
役に立った。悪い予感はしていた。満員のポートライナーから、8時
15分、ポートターミナル駅で降りた乗客は私一人だったのである。

エッそうなの、と思いながら駅の改札を出ると、目の前がフェリー
ターミナル。だがお客さんは居ない。早すぎるのは判っていたが、
広いホールの中を歩きながら、パンフレットを集める。上海航路も
あるが毎週火曜日だ。松山航路は毎日あるが夕方だ。四国への橋は
いくつもできたが、航路も残っていたんだ。そのうちに、自分が居る
所は3階で天津航路のチェックインは1階でやると言う事が、書いて
ある案内板を見つけた。1階に下りて見ると何人も座って待っていた。
やれやれ一安心。