Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

一番古い友からの電話ー2

2008-07-08 15:48:35 | Weblog
一番古い友からの電話ー2

勝行さんの提案は、2日連続でplayしよう。泊まりは勝行さん
の家で、どうかと言うものでした。私に取っては有り難い
申し越しで、その言葉に甘えさせて貰うことにしました。
バイトとボランテイアの日程の中で、2日連続のplayで、予
定を立てるのは難しいことでしたが、6月29日の夜行バスで
福島に着き、その日playして泊まり、翌日もplayして、その
まま家に帰って来れないことも無いのですが、もう一泊して
翌日帰って来ることで、お互いの計画を摺り合わせしました。

勝行さんは、私と2日連続playするので、29日のgolfをキャン
セルして待ってくれました。キャンセルしなければ3日連続
になるからです。

私と勝行さんが遊ぶのは、実に62年ぶりになる訳ですが、
こんなに長い間、交友関係が途絶えなかったのは、父の故郷
の家と勝行さんの家が2軒隣と近かったことが一番大きな原
因でしょう。我が家が戦争に負けて父の実家に引き上げてきた
時には、父の母は存命でした。その家を引き継いだ父の長兄は
既に亡く、その長男、私の従兄弟が当主でした。

その従兄弟は私より10数歳年上でしたが、パタっと亡くなり、
その長男も若死にして、今はその奥さんが当主なので、私
からはだいぶ遠い人になります。従兄弟の葬儀の時、私は大
阪に住んでいましたが、駆けつけました。このとき既に私は
福島の親戚の人達から見ると、知らない遠い親戚の伯父さん
になっていました。「あれ、誰だい?」「ケイちゃまの長男
さんだ」「あーケイちゃまって居たったない」と言う会話が
聞こえてきました。この時は、勝行さんとは会えずに戻りま
した。

従兄弟の長男の葬儀の時、私は余りに急な若者の死で、平服の
まま、喪服はスーツケースに入れて駆けつけましたが、葬儀は
自宅で始まっていて、隅っこで着替えて参加をし、ぎりぎり
間に合いました。精進落としの食宴が始まるとすぐに、勝行
さんが目の前に座り、「あるいちゃん、俺が誰だか判っかい」
と聞いてきました。「いつも喧嘩で助けてくれた勝行さん」と
すぐ判りました。その時で、実に50数年ぶりの邂逅でした。
それからは年賀状のやりとり、電話のやり取りで、私達の間柄
は脈々と続いてきたのです。

その時から、勝行さんは、「あるいちゃん、定年になったら
帰っておいで、golfでもすっぺよ」と言ってくれていました。
62年前に、この辺りにgolf場がいくつも出来て、そこで私達が
golfをするなんてことを誰が予想出来たでしょうか?



最新の画像もっと見る

コメントを投稿