Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

風林火山-3-

2007-07-04 18:50:46 | Weblog
風林火山の時代考証-3-最終回      2007年7月4日

今日で最後の講演となりました。第6回目「戦国大名と足軽
たち」講師は山梨県立博物館学芸員、西川広平先生です。
この博物館には、山本勘介の内野聖陽さんも、武田信玄の
市川亀治郎さんも訪れて、いろいろな文献や展示物を具に
見分し、驚くほど細かい点まで質問をし、役作りのイメージの
参考にされたそうです。

今回の講演では、私が心に決めていたことが有ります。それ
は、次のことを質問することです。それで今日は前から3列目
の席に座り、一言も聞き洩らすまいと熱心に聴きました。

それは雑兵のことです。歴史小説でもTVドラマでも、武田信玄
はスターです。今回は山本勘介もスターです。あることないこと
華々しく取り上げられドラマに仕立て上げられて行きます。でも
名も無き雑兵達はどんなだったのだろうか?このことが、いつも
頭の中を過ります。

私が知りたかったこととは、こういう雑兵達は、普段は何をして
いたのだろうか。若し、普段は農民で、戦(いくさ)の時に駆り出
されて、戦(たたかい)に従事させられるのなら、その徴兵には
何かルールは有ったのだろうか。例えば○○村の吾作は、前回
の戦に駆り出されたから今回は出なくて良いとか。出るなら給料
はどうなるんだろうかとか、主(あるじ)が駆り出された家の留守
家族には何か手当が出るのだろうかとかです。

講演が終わり、何か質問は?となって真先に手を上げて、この
ことを聞きました。先生の答えは明快でした。曰く。雑兵と言う
のは普段は農作業をしていて、戦時には戦に駆り出されると
言うふうに理解されてきましたが、(TVドラマなどでも、そういう
設定が多いように思う)最近の研究で、そうでは無いことが判って
きました。農民は領主、お館様には、年貢を払います。雑兵、
つまり兵士は年貢を払わないで良い替わりに、何かあれば、領主、
お館様の為に働く、そういう役割分担がはっきりしていたそうです。
つまり、農民は農民で兵役の義務は無かったということになります。

西川先生の研究では、武蔵相模を治めていた北条家の記録を
調べた結果、農民を戦に徴用したのは2回だけとのこと。1回目
は、1569年武田家が攻めてくることになった時、武蔵相模存亡の
危機であると訴えて、農民にも戦に参加して貰ったそうです。それ
も戦場での戦では無く、後詰め、兵が出た後の城を守って貰う役目
だったとのこと。

2回目は1590年、豊臣が攻めてきた時、この時は、関東全体の危
機であると言うことで、農民の参戦を要請し、しかも20日間に限る
と言う時限立法で実現したとのことである。こういうことを教えて
貰って判ることは、案外、農民って強かったんだな、更に、昔でも
結構、合理的に処理してたんだなと言うことです。聞いて良かった。