ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

クリスマスパーティー

2008-12-12 23:43:20 | Weblog
ちょっと早いけどクリスマスパーティーに誘われて行って来た。12人程が集まり、お喋りを楽しんだ。

お嬢さんがとっても料理が上手で美味しかった。種々のデザートが並び、まるで、レストランの雰囲気だった。

写真に納まらないほど、飾りつけられた綺麗なリビング。外の庭木にも美しく飾りつけがされていた。毎年、飾りつけるのに一日かかるそうだ。
 











 

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まん丸 お月様

2008-12-12 23:10:20 | Weblog
夕方、玄関のドアを開けたら、目の前に、まん丸のお月様が。一瞬、ドキっとしてビックリした。真上の月と違って、目線の月は多く見える。



ずっと前、私の住む稲城駅の改札を出ると周りには何も無かった。今は、駅の改札の前にはパン屋さんがありスーパーも出来たが、本当に何も無かった。

だから、会社の帰りに改札を出ると目の前に大きな、まん丸のお月様が浮かんでいると感動した。そして、目の前に月が浮かんでいるというのが、不思議な感じだった。まるで、貼り付けたように。どうして、そこにいるの?

昔、人間が月に降り立った時があった。あれから何年立つのだろう。それ以来、誰も月に行った人はいない。次は火星に行くだろうと思った。人類は、もう宇宙に行くのを止めたのだろうか。地球の回りを回るだけで満足なのだろうか。

ロマンや夢よりも目の前の現実なのだろうか。

私自身も、最近、宇宙(そら)を見上げなくなった。見える範囲しか見なくなった。冬の夜は心を広く大きく遊ばせてみようかな。



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文庫「火のみち」乃南アサ著

2008-12-10 17:51:43 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
戦後、満州から引き上げて来て、極貧の生活の中、殺人を犯した南部次郎の一生を、まるでドキュメンタリーのように、物語は淡々とつづって行く。

満州の生活では両親と長女、長男、次郎、三男、四男の満男、次女の君子、三女の9人家族。満州で父は戦死し、長男と三男は病気で亡くなる。そして、引き上げの船の中で末の三女も亡くなる。四男の満男は知能の発達が遅れていた。

やっとたどりついた日本で、親戚の庭の隅の物置小屋で生きて行くのがやっとの生活が始まる。母が病気になり、家族が生きて行く為に19歳の長女が働きに出る(戦後、売春禁止法が施行されて行方不明になる)。14歳の次郎に知恵後れの満男と6歳の君子を託して。

母が死んだ時、君子は12歳だった。葬儀のどうしても必要だったお金を「困った時はおたがいさま」と貸してくれた“谷やん”を殺した。返せない金の変わりに君子を連れて行こうとしたから。

懲役10年の判決を受けた次郎は刑務所に、君子は養護施設に、満男は働きにでる。

刑務所で陶芸を覚えた次郎は、出所後、陶芸の先生に引き取られて備前焼を覚えて行く。そこで才能を開花し、作品に買い手もついて行く。先生が亡くなっても、スポンサーの元で自分の窯を持ち、やはり、独特の才能を発揮する弟と、先生の所から移ってきた兄弟子の伝田と穏やかに作品と作り続けて行く。

物語には、戦後の日本の復興から高度成長、今の時代までの、時々の政治・経済・一般の人達の生活・流行歌が挿入されている。私自身も、自分の歴史を追体験しているような思いで読み続けた。あんな事も、こんな事もあったと思いながら。

焼物に魅せられた次郎は、日本中の焼物を見て回り、そして、出会ってしまった。たまたま入ったデパートの「安宅コレクション中国陶磁名品展」。そこで、北宋時代の汝窯で焼かれた“青磁水仙盆”に。

台湾の故宮博物院の「汝官窯 青磁水仙盆」を見に行く。そこで“雨上がりの、空の青”を見て、満州を引き上げてくる時に見上げた美しい青い空を思い出す。

そして、その“雨上がりの、空の青”に憑かれて行く。自分の手で、それを再現しようと地獄が始まる。女優になった君子は兄の夢を実現させようと、莫大なお金をつぎ込んで行く・・・。

私も、汝窯の青磁水仙盆はどんなものかを見てみた。家には夫の趣味で、美術全集が沢山ある。台湾と北京の故宮博物院の写真集もあるので。

確かに北宋時代の「汝官窯 青磁水仙盆」がある。なるほど・・・。写真で見るのと本物を見るのとは印象が違うのだろう。

どこで作られ、どのように作られたのか、謎の焼物といわれていたらしい。そして、2000年に、見つかった窯を発掘し、やっと全体像が分かって来た。

世界で65点しかなく、日本には3点あり、その1点が大阪市立東洋陶磁美術館にある。晴れた秋の日の午前中、自然光の下で見る“汝窯水仙盆”の美しさは格別だと、解説を書かれている名誉館長さんが言っている。

いつか、秋に“汝窯水仙盆”を大阪に見に行こうかなと思う。

本当に、面白かった。そして、ラストシーンには胸が一杯になった。



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千葉に負けてリーグ戦が終わった・・・

2008-12-07 17:30:19 | FC東京とサッカー
昨日は、フクアリへの道が今ひとつ分からないから、と言う友達の車で早めに出発する。助手席に乗った仲間の一人が、地図を見ながら首都高を走る。いい天気、気持ちがいい。

車を運転する友達とは、何回もフクアリに行っている。途中で迷う事も何回かあったが、この間のユースの試合の時はスムーズに着けた。

所が、どういう訳か今回は、ナカナカ東京からの脱出が出来ない。このまま、メビウスの輪のように抜け出せなかったりして、と笑いながら道路標示と地図を皆で見比べる。今年一年のリーグ戦を振り返り、あの試合があーだ、この試合がコーダ、と夢中でしゃべっていたのがいけなかったのか。

気が付いたら、標識に鹿島の名前が!!「このまま鹿島に行っても、試合はしてないよ。札幌だし」と笑っちゃった。何と酒々井のサービスエリア!!で休憩して、高速を降り、又、高速に乗りなおしてフクアリに向かう。今度は、フクアリ前の予約の駐車場までスムーズに着けた。丁度、開場し始めた所だった。

友達の一人が、車の中で服に食べ物をこぼし、フクアリの中でも食べたカレーライスを服にこぼした。「今日は、何か変な日ね。ヤーネ、試合大丈夫かしら」私も何となく落ち着かない。

でも、久しぶりにJ2からの知合いに会えた。彼女は仙台在住の人で、なんと地元仙台のサポーターではなく、東京のサポーターである。最近、彼女に会えるのは“ビックフレームス”の時である。でも、今年の“ビックフレームズ”は申込を忘れたので、去年以来。会えて本当に嬉しかった。

試合前の両チームのゴール裏。




大声援の中でゲームが始まる。


試合は、4-2で負けてしまった。2点先行した時は「あ・・・、千葉は落ちるのか」とチョッと寂しい気がした。でも、黄色い応援は凄かった。私達はゴール裏が取れなかったので、バックスタンド東京寄りに座っていた。でも、どういう訳かジェフサポが後ろに二人とか、前方に二人とか、混ざっている。その人が必死に応援している。

後半に入って、友達と「これは選手交代が難しいね。このまま、交代しないで行ける所まで行った方が良くない?城福さん、どうするんだろうね。守るのか、攻めるのか、2-0は怖いよね。相手は死に物狂いだし・・・」

交代は結果的にマイナスと出た。羽生さんが下がってから、勝っているのに、何となく足が地に着いていないように感じた。落ち着いて落ち着いてと思った。千葉は何となくそんな雰囲気が分かったのか、サポーターの必死の魂が乗り移ったのか、ネットを必ずボールで揺らしてみせると必死の形相で攻めた。

一点入れられた時点で「ヤバイ!!」と思った。2点先行して、逆転されて負けた試合を何回も見た。

逆転した時点から、巻選手が、ほとんどDFか、と思う程、必死に千葉ゴール前で東京のシュートを阻止していた。感動するくらいに。

試合が終わり、東京の選手達が私達の所に挨拶に来た。羽生さんが、両手を合わせて「ごめんなさい」と言うように頭を下げた。その姿に私は思わず涙ぐんだ。私も東京に絶対に勝って欲しかった。でも、千葉にはJ2には落ちてほしくなかったし・・・。


千葉さん、J1残留、良かったね。

東京は負けてしまったけど、まだ、天皇杯が残っている。まだ、今年は終わっていない。負けた事からは学ぶ事がたくさんある。きっと天皇杯には最高のパフォーマンスを見せてくれるでしょう。今期、勝っていない清水に絶対リベンジ。やられっぱなしで年を越すわけにはいかない。梶山くんもナオくん(多分)も戻ってくる。

天皇杯は元旦に国立で東京を応援する。もう、新しい手帳に書いておく。
仙台は青と赤で熱く燃えるだろう。



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明日はJリーグ最終戦

2008-12-05 21:06:43 | FC東京とサッカー
とうとう激動のJリーグが終わる。

冬眠している動物のように、ジッと丸まって過ごした寒いオフの時期。まだ、寒い3月8日の土曜日に待ちに待った開幕戦を迎えた。勝ちきれなかった1-1の神戸戦。そして、14日の、まだまだ凍えるような冬の寒い寒いアウェイの新潟戦を競り勝ち、長いリーグ戦が始まった。

不甲斐なく負けた試合もあった。心の底から込み上げる感動を抑え切れなかった歓喜の勝利もあった。カミナリと豪雨に身をすくめた試合もあった。美味しい食べ物を探し歩いたアウェイ。味スタを満員にと、何回か友達を招待し、そして、グッツを買わせたっけ。

思い返せば、試合の数だけ思い出がある。そして、楽しかった。“ムービングフットボール”が見れた試合も、何処が?という試合もあった。それでも、振り返れば「楽しかった!」と言う思いしかない。

城福監督の情熱ウイルスに感染した私は、いまだにFC東京への微熱が続いている。監督だけでなく、毎試合ピッチ上の選手達にも熱い思いを注いでいる。ワンプレー、ワンプレーを身を乗り出して応援した日々。スタジアムに行くのが楽しかった。

そして、とうとう終わりの日が来てしまった。

そして、そして、最後の試合が千葉戦!何と言う巡り合わせ!

今、一番、戦いたくない相手。一番、J2に落ちて欲しくない相手。親しくしている家族が熱烈な千葉のサポーター。東京がまだJ2の時、私が初めて応援バスツアーに行ったのがナビスコ市原戦。J1に上がった年のアウェイ市原戦で仲間と一緒にNHKの密着取材を受けた。オシム監督時代の千葉との試合は、いつもグッドゲームだった。

絶対にJ1にいて欲しいチーム。でも、東京としては絶対に負けて欲しくない最終戦。羽生さんもそうなんだろうな。

しかし、最終戦の組み合わせは、偶然とはいえ凄い。降格・入れ替えチームがすべてホーム。優勝争いのチームはみなアウェイ。大宮と磐田だけが微妙だけど。

泣いても笑っても最後の試合。全てのチームがガンバレ。

特に、FC東京は勝利を目指して走れ!!!
声の限り応援しょう!!




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閉鎖された南山スポーツ広場

2008-12-03 14:56:07 | 南ちゃんと南山
私の家の窓から南山スポーツ広場の一部が見える。

南山スポーツ広場には野球場とサッカー場がある。お休みの日には一年中、朝から夕方まで、沢山の老若男女のスポーツマン達が野球とサッカーの練習や試合を楽しんでいる。

又、犬を連れて散歩する人、ジョギングをする人、家族でボール遊びをする人、早朝、ゴルフの練習のお父さん達。

時々は、夫も私も散歩のついでに見に行く。少年達の試合ではお父さんやお母さんの賑やかな応援の声がする。ここに住んでいて、楽しい事の一つが子供達の楽しそうな声が聞こえる事でもある。

南山開発の為にこのスポーツ広場がなくなる。そして、11月一杯で閉鎖となった。とっても寂しい。

<野球場>






<サッカー場と駐車場>




<消える周りの風景>














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サッカーの秋春制

2008-12-01 15:27:41 | FC東京とサッカー
昨日のFC東京の試合開始は4時からだった。開場を待っているときは日差しが暖かかった。マフラーを巻いているとチョッと暑いくらいに。

バックスタンドは、眩しいくらいに陽が降り注いでいた。しかし、始まる頃には、ほとんどのスタンドに陽だまりはなかった。でも、温もりが残っているので、まだ寒くはない。

仲間の一人が「風邪を引いて、まだ熱があるけど来た」と言って「寒い、寒い」を連発していた。

後半の後半頃になると、寒がりではない私でも足元から冷えが上って来る。まだ、晩秋とも初冬とも言われる時期。東京は晴れれば日中は暖かい。でも、夜になればコートが要る寒さになる。

寒がりの夫は、寒くて死にそうになったと帰って来てから言う。天皇杯の仙台に、初めは行くと言っていたのに、寒いから行かないと言う。私は、たとえ雪が降ろうが、何が降ろうがFC東京の試合があるなら行くつもりだが。

サッカー協会の会長さんはどうしてもJリーグを秋春制にしたいらしい。確かに日本代表の事や選手の外国への移籍の事とかを考えれば、日本サッカー強化の為を思えば、その方がいいのだろう。私自信も、そう思っていた時もある。

でも、やっぱり、寒さは辛い。豪雪うんぬんよりも、寒さそのものが辛い。防寒用の荷物も多くなるし、厚着をしているので、トイレの少ないスタジアムは行列が長くなるのも辛い。

スタジアムを見回しても、赤ちゃんから高齢者まで多様な人達が席を埋めている。酷暑の真夏でも、同じようにスタジアムに人々は集まってくる。真夏は夕方か夜に開催なら、まだ、苦にはならないだろう。

でも、真冬になったら、どれだけの人がスタジアムに足を運ぶのだろう。東京の冬は晴天が続くといっても、午後からはスタジアムの半分以上は陽が当たらない。日差しが降り注ぐ場所でも、やっぱり、冬は寒い。

以前、天皇杯を正月に夫と見に行った事がある。晴天でバックスタンドなのに、陽があたっていても後半は寒くなって来る。寒がりの夫はそれ以来、行こうとは言わない。

これから、冬になると風邪にかかる人が増え、そして、インフルエンザが流行すれば、ますます観客が少なくなるだろう。

そして、何よりも懸念されているのが、新型インフルエンザ。国はいまから「不要不急の人は人込みに行かないように。止むを得ず出る人はマスクを」と言っている。真夏の雷雨も怖いが、新型インフルエンザも怖い。

Jリーグは、誰の物だろう。Jリーグが出来て、日本全国に沢山のクラブチームが出来た。私のクラブ、僕のクラブ、オレのクラブ、ウチのクラブ・・・。

個々のクラブが、地域のサポーター、ファンの物になっている。日本全国小さい所も含めれば、覚えきれないほどの、数えきれないほどのクラブチームがある。そして、そのほとんどが日本代表選手とは無縁のサッカーライフを送っている。サッカーが生活の一部になっている人達が大勢いる。

日本の社会も一年の始まりは4月である。やっぱり、沢山のサッカークラブの中の一部の日本代表選手の為に、カレンダーを替えるのは無理があるのではないだろうか。

私は最近、日本代表の為のJリーグではなく、サポーターの、ファンの為のJリーグであり、クラブチームだと思うようになった。私自身、昔は必死に代表戦のチケットを手に入れようとしていたのに、今は生活がFC東京を中心に回っている。

地上波でTV放送が少なくなった今、試合を見るためにはスタジアムに足を運ばなくてはならない。私が年を取って、杖を突きながらスタジアムに行くためにも、やっぱり寒いのはイヤだなと思うようになった。

折角、日本に根付いたサッカー文化が、日本流に進化したものであってもいいのではないかと思う。その上で、日本代表の強化・日程を、皆で知恵を出し合って作り上げて行く方が、無理がないのではないかと、私は思う。


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