ちょこっと、とか
ちょこちょこ、とか
ちょっと、とか
ちょびっと、とか
ちょん切る、とか
「ちょ」の語感には、短いもの、なずんだもの、瞬間的なものを感じる。
ちゃ、ちゅ、ちょ、という音は口を大きく開かず、上あごと舌先がしっかり触れるから
ややこもり気味で、圧力が弱く、幼児にも発声しやすい。
何かをしゃぶるときの舌先の快感にもつながる音かもしれない。
硬質的ではなく、具体的でもない。
アレ、とか、ソレ、などのように、
ちょ、にはイメージ的な、舌足らずな、些細なものを指し示すこともあるのかもしれない。
チョンの間とか。チョンまげとか。
そうでちょ? ちょんなことないでちょうか?
と言うと幼児っぽく、
そうでしょ? そんなことないでしょうか?
と言うともう少しすっきりと硬質な印象となる。
ちょ、と、しょ、では発音の仕組みが異なるから、
おなじ拗音を使用しても、ちょ、よりも、しょ、のほうがもう少しすっきりしたものとなる。
そんなことはともかく、
さいきん若い人が「ちょいちょい」「ちょくちょく」「一瞬」という語を多用している気がする。
擬音語や擬態語の多用は、言語が発達してない社会でよくみられる。
ちょいちょい、とか、ちょくちょく、という語を多用されると、
あれあれ、とか、それそれ、などと同じく
あやふやなイメージを人に受け入れてもらおうとする、非論理的な姿勢を感じてしまう。
10年前の若者が語頭になんでも「超」をつけていたように、
20年前の若者が語尾を間延びさせて話していたように、
最近の若者は、会話の中にちょいちょいとかちょくちょくを入れれば何か間を持たせる表現ができると認識しているのだろうか。
手軽かもしれないけど、安易な姿勢ではないかと感じる。
言葉を使うプロがそういう言葉を使用して表現している様子を見たことがない。
詩人も歌人も俳人も、ちょーいけてる、とか、まじやばいしぃ、とか、ちょいちょいやってる、などとあまり書かないのではないだろうか。
べつに言ってもいいんだけど。
一瞬、という言葉を安易に使う人も多い。
ちょっと、少し、しばらく、というようなニュアンスで、一瞬という言葉を使う。
だけど、一瞬で終わる、と言っても数分待たされることはざらだ。
本来、一瞬とはまばたきをするくらい短い時間のことを言うのではないか。
意識的ではない言葉使用に思われる。
言葉で何かを表現したい人は、大雑把な言葉に安易に流されることなく、自分なりの表現を試行錯誤するのではないだろうか。
ちょこちょこ、とか
ちょっと、とか
ちょびっと、とか
ちょん切る、とか
「ちょ」の語感には、短いもの、なずんだもの、瞬間的なものを感じる。
ちゃ、ちゅ、ちょ、という音は口を大きく開かず、上あごと舌先がしっかり触れるから
ややこもり気味で、圧力が弱く、幼児にも発声しやすい。
何かをしゃぶるときの舌先の快感にもつながる音かもしれない。
硬質的ではなく、具体的でもない。
アレ、とか、ソレ、などのように、
ちょ、にはイメージ的な、舌足らずな、些細なものを指し示すこともあるのかもしれない。
チョンの間とか。チョンまげとか。
そうでちょ? ちょんなことないでちょうか?
と言うと幼児っぽく、
そうでしょ? そんなことないでしょうか?
と言うともう少しすっきりと硬質な印象となる。
ちょ、と、しょ、では発音の仕組みが異なるから、
おなじ拗音を使用しても、ちょ、よりも、しょ、のほうがもう少しすっきりしたものとなる。
そんなことはともかく、
さいきん若い人が「ちょいちょい」「ちょくちょく」「一瞬」という語を多用している気がする。
擬音語や擬態語の多用は、言語が発達してない社会でよくみられる。
ちょいちょい、とか、ちょくちょく、という語を多用されると、
あれあれ、とか、それそれ、などと同じく
あやふやなイメージを人に受け入れてもらおうとする、非論理的な姿勢を感じてしまう。
10年前の若者が語頭になんでも「超」をつけていたように、
20年前の若者が語尾を間延びさせて話していたように、
最近の若者は、会話の中にちょいちょいとかちょくちょくを入れれば何か間を持たせる表現ができると認識しているのだろうか。
手軽かもしれないけど、安易な姿勢ではないかと感じる。
言葉を使うプロがそういう言葉を使用して表現している様子を見たことがない。
詩人も歌人も俳人も、ちょーいけてる、とか、まじやばいしぃ、とか、ちょいちょいやってる、などとあまり書かないのではないだろうか。
べつに言ってもいいんだけど。
一瞬、という言葉を安易に使う人も多い。
ちょっと、少し、しばらく、というようなニュアンスで、一瞬という言葉を使う。
だけど、一瞬で終わる、と言っても数分待たされることはざらだ。
本来、一瞬とはまばたきをするくらい短い時間のことを言うのではないか。
意識的ではない言葉使用に思われる。
言葉で何かを表現したい人は、大雑把な言葉に安易に流されることなく、自分なりの表現を試行錯誤するのではないだろうか。