波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

忌野清志郎の葬儀式に行った。合掌。

2009-05-11 23:45:55 | Weblog
5月9日、青山霊園の青山葬儀所で献花式が行われた。
忌野清志郎さんが5月3日に亡くなられ、密葬が行われた後、一般にも広く見送る機会が与えられた。
6日までベトナムにいた私は、ホイアンという街の古風なホテル(VinhHung1)の部屋に据え付けられた、Acerのパソコンで忌野清志郎の訃報を知った。
帰国するとすぐにニュースを確認し、献花式に行くことにした。

献花は1時から6時までという話だったので、ぼくたちは午後1時前には乃木坂の駅に向かった。
青山霊園を横切る列は長い。
何キロも終わりが見えないほど続いていた。
木々の緑が美しい初夏の日差しの下、ぼくたちは静かに5時間以上並んだ。
足の疲れを我慢し、午後6時すぎにようやく献花を行うことができた。

忌野清志郎さんの遺影。その上には紅白の幕。
参列者の層は厚い。
30代、40代の人が多いけど、50~60代の人や、お子さんたちの姿も目立つ。
涙ぐむ人、写真を撮る人、歌う人、淡々と見送る人。

ぼくたちは、キヨシローさんの最後のライブに参加できたことをありがたく思う。
メディアではキヨシローさんの完全復活祭(2008年2月)が取り上げられているけど、最後の大きなライブは、仙台郊外で行われたアラバキロックフェスティバルの、トリのライブだった。(2008年4月27日)

昨年のアラバキロックフェスティバルでは、すべてのプログラムが終わりに近づき、交通帰りはじめた人たちの頭上に、金銀色とりどりの花吹雪が舞い散った。
エコがどうのこうのと言うイベントスタッフたちの声を無視して、夜空にキラキラとビニールの金銀の切れ端が舞った。
忌野清志郎の立つ舞台の脇から、何発もキラキラの花吹雪のかたまりが発射された。
何分間もキラキラと夜空に漂っていた。

忌野清志郎は、輝いていた。
最後のライブの声量は圧倒的で、迫力にあふれたステージだった。
楽しい時間を、ありがとう。

何万人もが見送ってくれるなんて、とても幸せな人だ。
それだけ多くの人に、幸せな気持ちを与えてきてくれたのだろう。
ありがとうございます。合掌。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする