波打ち際の考察

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波屋山人

I Love China

2014-01-19 23:13:37 | Weblog
年末に真珠湾を歩いていたら、20~30人の中国人観光客がぞろぞろと向こうからやってきた。
ちょっとした小さな橋をほぼ占領する様子。
一瞬躊躇したけれど、ぼくはそのまま力むことなくその集団の真ん中に歩んで行った。

そうすると、中国の人もさっと避けてくれる。
なんなくその場を通過することができた。
(以前インドに行ったとき、オーストラリア人にあなたはヤクザですか?と聞かれたけれど、ぼくの外見はまったく威圧的ではない。むしろなめられそうな方だと思う)

秋に訪れた台湾の故宮博物館でも多くの中国人団体観光客に遭遇した。
それでも、ぼくは圧倒的な人の流れの中でさっとスペースを確保し、彼女に玉(ぎょく)の彫刻をゆっくり観賞してもらった。

むかし訪れた中国本土でも、はげしい人ごみの中で、チケットを買ったり物を手に入れたりしたことがある。

鉄道のチケットが買えなくて何日か浪費したという先輩の話を聞いていたけど、それは先輩が遠慮しすぎていたのではないかと思う。

がめつい人を相手にしても、意外に日本人も負けてはいない。
不満に思ったら、立ち向かえばいい。

不満があるとき、よく日本人は陰口を言ってストレスの解消を試みる。
仲間内で、信じられない、などと言って見下す。
でも、それでは負け犬の遠吠えのようだと感じる。
ぼくは陰口で自己満足したくない。



今年の春節(旧正月)は1月末。
さっき、中国出身の経営者からパーティーへのお誘いがあった。
平日だから難しいけど、行けるようだったら行ってみたい。

ぼくは中国好きだけど、同時に、反中国政府的な情報もかなり目にしている。
最近も、宮崎正弘、福島香織、孫向文など、さまざまな人の本を読んだ。
漢民族に植民地的な支配を受けているチベット人、モンゴル人、ウイグル人などと話をしたこともある。

それでも、中国嫌いではない。

好きとか嫌いというのは、生理的、雰囲気的、感覚的な判断材料だ。
ぼくは生理的に何かを拒絶するということは知的ではないと思っている。

中国や韓国について身近に感じる人が増えてきたけど、同時に毛嫌いする人も増えていると感じる。
いい風潮ではない。
毛嫌いするだけでは、論理的に相手に意見を伝えることはできない。

不満があれば、本人に言えばいい。
世の中では、だまっていれば嘘を言う人の話が通ってしまうことだってある。
文句を言わなければ、負けを受け入れる用意があると思われてしまう。
(だから、gooブログのお粗末な顧客対応に対してもしれっと違和感を表明する。人をなめたような対応がどこでも通用すると思わせたくない)


日本人がぐだぐだしていれば、そのうち中国に隷属しなくてはいけなくなるかもしれない。
そうなれば、ぼくはそれはそれで仕方のないことだと思う。

原因があって結果がある。
結果が不満であれば、途中で流れを変えるべき。
結果が出てから後悔しても意味がない。

そんなふうに割り切って考えるぼくは、中国の人と話がしやすいのかもしれない。



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