波打ち際の考察

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波屋山人

偽仏教(fake buddhism)

2010-04-03 01:43:52 | Weblog
いま興味があるのは、フェイクブッディズムを標榜する偽仏教(ギブツキョウ)という宗教団体だ。
彼らは、「自分たちは偽の仏教を信じている」と言う。
なんともよくわからない団体だけど、彼らに言わせると、本来仏教は信じるものでもなければ拝むべきものでもないのだという。
それどころか、組織化さえ求めないのが本来の姿なのだそうだ。
小規模でも組織を持ち、ブッダをありがたがり、言葉にならないものに鈍感になりがちな自分たちは、とても真の仏教を名乗る資格はないと謙遜する。

外部に対立するものを見出して組織化を強めたり、論理を理解していないのにありがたい教えだとして全面的に受け入れさせるのは、本来の仏教からグレードの下がった行為なのだという。
複雑な世界観が認識できない人にも理解しやすい、庶民の意識を重視した宗教になっているのが現状なのだそうだ。
ねたんだり責めたり自慢したりしない人たちにしか理解できない認識は、なかなか一般の人に広がらない。

だけど、偽仏教の人たちは、その状態を憂いたりしない。
現状をありのままに受け入れて世の中の構造を認識すると、自分の視点で何かを否定しようという反応が薄れてくるのだという。
そんな態度のままでいると、かつてインドが仏教が衰退して行ったように、偽仏教の人もいなくなってしまうのではないかと思うので、今のうちに彼らへの取材を行っておきたいと思う。

今日は、偽仏教(ギブツキョウ)の偽坊主(ギボウズ)であるジュンジ君に少し話を聞いてみた。

(波)偽仏教をみずから名乗るなんて、珍しいですね。「真」とか「本」ではなくて「偽」というのが斬新です。
(ジ)いやあ、ほんとうに、全然だめですから。真とか本とか言えません。
(波)現在の仏教界で、すごいなと思う人はいますか。
(ジ)日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老は率直でおもしろいですね。
(波)どなたですか、その人は。
(ジ)スリランカ出身の方です。大乗仏教とは違う系統の、いわゆる上座部系の人です。
(波)ダライラマ14世はどうですか。
(ジ)あの人はすごいですね。敵対してくる人に対して、敵対しない。全てを受け入れる懐の深さがある。チベット仏教は大乗仏教系なのですが、ブッダ的意識に近い人だと思いますよ。
(波)日本人では誰かいますか。
(ジ)心理学者の岸田秀さんや芸術人類学者の中沢新一さんは菩薩じゃないかと感じることもあります。かなりきてるんじゃないですかねー。まあ、菩薩っていうのは例えですけど。
(波)大川隆法さんはいかがでしょう。
(ジ)えー、それは答えにくいです。あの人は、なぜブッダが強固な組織を作ったり、書物を残したりしなかったのか、説明できないのではないでしょうか。強固な組織を作ろうとした時点で、ブッダの到達した意識からは遠いところに行ってしまうと思うのです。
(波)それは大川隆法さんに対する否定的な見解ですね。否定しましたね!
(ジ)す、すみません。だからだめなんです。ついつい何かを否定してしまう。まだまだ偽仏教なんです。
(波)そんなことだから、違うものは違う、ってはっきり言わないから彼らは隆盛し、君たちには広がる力がないのではないですか。
(ジ)ごもっともです。でも、そういうものなのです。
(波)正義が勝つとか真理が残るとかそういう意識はないんですか。
(ジ)ないです。そういう概念は、幻想です。
(波)ところで、偽坊主(ギボウズ)という地位は何なんですか。
(ジ)一般的には、坊主というか、僧侶、和尚のようなものです。ただ、私たちは戒律はありません。「何かを禁止されているからしない」、という状態と「その行為をしないのが自然」という状態は全然ちがうのです。だから、髪を剃れとか肉を食べるなとか性的行為はしてはだめだなどとは言われません。
(波)だからモヒカンだったんですね。わかりました!

続きはまたいずれ書いてみよう。
いくつもの「本流」や「真正」を標榜する団体が乱立する中、たった一つの「偽物」が、なんだか本物に見えてくるのはぼくだけではないだろう。


以上、ちょっと思いついた空想インタビューでした。
(偽仏教という宗教団体は存在しません)


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