先月だったか、「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男」という映画をテレビで見た。
主人公の大場栄大尉という人の名前を知らなかった。有名な人なのだろうか。
いろいろ検索してみると、大場大尉と同じときにサイパンで戦った田中徳祐大尉という人もいるらしい。
田中大尉の側からの視点も気になる。どんな状況だったのだろう。
だけど、サイパンでの戦闘について詳細な記録を残されている東海大学の教授のサイトにも、田中大尉に関する記事は見あたらないようだ。
<参考>
鳥飼行博研究室Torikai Lab Network
サイパン・テニアン島の玉砕戦
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/saipan.html
田中大尉の本が復刊ドットコムから再刊行されていたので、ちょっと見てみた。
だけど、想像以上に厳しい記述が多い。
これが現実なのだろうか。人道とか理性といった枠がはずれてしまう極限状態の戦闘というものはおそろしい。
亡くなった方々も、憤り、恨み、無念な気持ちの極みだっただろう。
先日パラオの激戦地だったところで慰霊された天皇皇后両陛下は、10年前の2005年にサイパンにも行かれていたようだ。
無念にも倒れた人々は、日本を代表する祈る人、慰霊する人によって、少しは安らかな気持ちになれただろうか。
目についたところを一部抜書きしてみた。いろいろ考えさせられる。
『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』(立風書房1983年、復刊ドットコム2012年)
田中徳祐(たなかのりすけ)著
昭和17年、豊橋予備士官学校卒業、同年、陸軍少尉任官。
昭和19年、河村部隊甲副官としてサイパン島に転進。現役大尉に昇進。
戦後5年間、公職追放。昭和27年教職に復帰。昭和54年、大阪府和泉市立松尾小学校校長を勇退。
P66-67
女スパイと毒薬
(略)
敵は、南部から北上しチャッチャ――ガラパンを結ぶ線まで進攻してきた。すでに全島の半分近くが敵の手におちている。われわれの行動範囲はせばめられ、軍、官民が逃げ場を失い混乱しはじめた。と同時に、混乱に乗じてスパイが暗躍しはじめた。おもに原住民のカナカ、チャムロに多かったが、中には日本の若い女性まで混っており我々を驚かせた。このスパイたちは昼は洞窟に避難し、スパイらしい振舞いは全くみせなかったが、常に部隊指揮官の行動を見届けているようだった。夜になると指揮官のスキを狙い、拳銃で狙撃し、姿を消してしまうので手がつけられない。このスパイに殺された指揮官も出た。
こうなると、誰もが信用できなくなり、兵がスパイをスパイするという事態に発展した。疑心暗鬼の目が、原住民や女たちに注がれるようになる。昼は洞窟でじっとしているが、夜になると飲み水の確保に必死になった。しかし、水源地にもとうとう毒薬が投入され、知らずに飲んだ兵や住民が、血を吐き、苦悶しながら死んでいく事態が続発した。
あるときは、野州に出撃する部隊が、谷間やジャングルで攻撃準備を整えている所へ、不思議なくらい正確に、艦砲の猛撃を受け、戦わずして全滅する悲劇までおきた。
(略)
P93
(略)
敵機はますます低空で襲ってきた。樹上スレスレで機銃掃討をくりかえす。そのうち低空で飛んできた敵機に、全員が集中射撃を浴びせた。それが命中したのだろう、パッ、と火を吹いて舞い上がった、と思ったとたん、パイロットが落下傘で飛び出した。敵機は、ジャングルの下の谷間に、大音響とともに落ち、爆発した。
パイロットは、落下傘が開く間がなく落ちた。恨みに狂う我々は、集中射撃を浴びせた。パイロットは全身を真っ赤に染めていた。落ちたところへ駆け寄ってのぞきこんだ。と、
「おお!」
と叫んだまま、私は絶句した。意外にも年の頃、二十歳前後の女子パイロットだった。女性が飛行服に身を固めている。静かに眠る彼女の顔は美しかった。敵ながら勇敢で天晴れな戦闘だった。我々は合掌し冥福を祈った。
それにくらべ、我々を悩ませる日本女性スパイの指揮官暗殺などはなんたることだろうか。生を得るがためとはいえ、敵の捕虜になり、その命令に従い、我々の中にもぐりこんできて、スキをみては命を狙う。そして姿を消していく。日本帝国の前途が思いやられてしかたなかった。
一機が撃ち落されると、敵は急に高度をあげ逃げていった。
(略)
看護婦の集団自決と立会人
P100
(略)
「おい、ばかなことはよせ。自決したり殺したりするのは最後の最後だ。まだ友軍が存在している限り援軍の望みがあるのだ」
どなりつけて母親の手をにぎったが、ものすごい力でさえぎられた。母親は子供の上に重なった。子供はパッチリと黒い瞳を開いて母親の顔をにらんでいた。
「許しておくれ……お母さんもすぐ後からいくからね。苦しいかい、今に楽になるよ。お母さんと一緒に、戦争のない美しいところへ行こうね……」
母親は、両手で子供の首に巻きつけたヒモをにぎり、もがく子供に話しかけた。やっとのことでヒモをとりのぞいた時は、もう子供は口元をピクピクさせているだけで息絶えていた。母親はさきほどとってきた自分の小便を入れたアルミ食器を子供の口元にあて飲ませた。一口はいったがあとは口から外へ流れ出た。私は無言のうちに子供に合掌した。
(略)
P129-134
(略)
堤軍医とは、あの屍のトンネルをくぐり直撃弾に吹き飛ばされ、意識を失って助け出されてから会っていなかった。そうだ、それにしてもいい人に出会った、と私は思った。従軍看護婦の自決の立会人に、堤軍医は病院関係者だから適任者だ。
「変な任務だな。なぜ将校が立ち会わねばならないのだ。自分の身の処理は自分ですればいいじゃないか」
堤軍医も、私が最初に思ったように、不審を抱き、理由をただそうとした。
「堤軍医、そういうな。これが万一のことを考えて、功績のためなんだ」
「功績?」
「そうだ」
「なるほど、必ず奪還にくると、信じて自決するのか……。そうとでも考えないと、死ぬこともできないだろうなア。よし、いこう」
後ろにいた林看護婦を初めて紹介した。軍医は強い禁止で、吉田軍曹にも林看護婦にも気づかないでいた。
「林君じゃないか。吉田軍曹も一緒か。みんな無事で……」
そこで言葉がつまった。
「みんな、最後は同じ運命をたどるのだね……」
と力なくいうと、絶句してしまった。二人の手を、自分の両手でしっかりと握りしめた。林看護婦が言った。
「軍医殿、よくご無事で……。私達も全員無事です。しかし、もはや任務も完了いたしました。いま、残されている道は、これしかありません。どうか、最期を見とどけてください」
林看護婦の両眼から大粒の涙が、ボロボロと流れ落ちた。
(略)
やがて、微かな音と共に、婦長の左腕に注射針が刺され、一滴一滴、恐ろしい液が右手の親指によって押し出されていく。死の行進がはじまった。婦長に続き、若い乙女たちの左腕に注射針が刺されていく。押し出される液、液……涙、涙。死の一大修羅場と化していく。この惨状。戦争はいったい何なのだ。だれがこんなことをさせるのだ……。私は思わず眼をつむった。暗いバナナ林の中に静かに、従軍歌が流れる……。
(略)
全裸で連行された婦女子たち
p138-140
(略)
投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。
我々は、パナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして千米くらい先きに、上陸してすぐの三月二十日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。
そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕らわれの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。
その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。
やがえ、次のトラックも、次のトラックも走り出した。
絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかっていった。
……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。(この婦女子はその後一人として生還しなかった)
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。あの投降勧告は一体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんばかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。
「おい、もうがまんならん。撃て」
この状況を見ていた私は叫んだ。同時に、吉田軍曹が一発撃った。しかし、何の効果もない。敵は、もはや我々に無頓着である。
残虐な行為は生産をきわめた。火から逃がれようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギャツ!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。不気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。
射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。いまは眼からは一滴の涙も出ず、この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、全身に激しい怒りがみなぎった。
恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、霊をとむらうだけが精一杯だった。
我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。そして夕暮れまでなんとか持ちこたえた。だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、明日への戦闘能力を失った。
その夜、洞窟を捨て、マッピ岬の海岸のすぐ上に突き出した岸壁の洞窟に移動した。
(略)
断崖からの集団投身自決
p142-143
(略)
敵は、ジャングルや洞窟に生き残る兵や住民を掃蕩するため、強力な爆薬を仕掛け、徹底的な爆破攻撃を刊行した。
昭和十九年七月十一日、東の空が白むころ、追いまくられた住民がマッピ岬にむかって死の行進をはじめた。数百、いや数千人はいただろうか。もう、だれの制止もきかない。魔術にでもかかったように、怒涛岩をかむマッピ岬の断崖に立った。老人が先頭をきった。
「天皇陛下萬歳、皇后陛下萬歳!」
と叫んだかと思うと、海中めがけて飛び込んだ。我々が潜んでいる洞窟のすぐななめ上である。投身自殺は、次々とおこなわれた。後から後から、子供も、婦人も、押されるようにして飛び込んでいく。その海中に、群れをなしたサメが泳ぎまわっている。海はたちまちまっ赤に染まり、飛び込んだ人たちは次々と食いちぎられて沈んでいく。
海上には敵の掃海艇が何隻か走り回り、我々は首を出すこともできない。飛び込む水音、あがる断末魔。その声が洞窟にこだまし、もはやこの世のこととは思えない凄惨な状況となった。
さすがの敵も、この光景には胆をつぶしたらしい。掃海艇の兵がしきりに大声をあげ、どなっている。頭をかかえ、しゃがみこむ兵もみえる。手まねで、やめてくれ、といっているらしいが、通じない。
(略)
毒ガス攻撃と婦人の″串刺し″
p146-147
(略)
七月十二日、敵はついに最期の手段とみたのか、毒ガス弾攻撃をしかけてきた。全く予期していなかっただけに、さすがにあわてた。防毒面はすべて捨ててしまっていた。毒ガス弾は、ノド元をえぐり取るような赤筒弾だった。
「全員砂に顔を当てて呼吸せよ。濡れ手拭で口を覆え!」
だれ言うとなく叫び、全員がコウモリのように、洞窟の岩に顔を当て、地面に吸いつき、素早く毒ガス弾の処置をとった。しかし、次々と撃ち込まれてくる毒ガス弾に、洞窟内は白煙で真白く覆われ、抵抗力の弱い子供や老人は、もがき苦しみ血を吐きながら死んでいった。
「畜生。苦しい……ノドが……一気に殺せ」
そばにいた海軍の重症兵が叫ぶ。同時に、口からダラダラと鮮血を吐いた。血は、汗と油にまみれた衣服にベットリとしみ込んでいく。
あまりの苦しさに、手榴弾で自決していく重傷者が出る。
「あおい、岸壁をよじ登って突撃だ。全員討ち死にだ」
とあたりの洞窟から叫び声が聞こえたかと思うと、苦しさに耐えかねていた兵士数人が飛び出していった。敵の集中弾が、待っていたかのように火を吹き、兵士たちは射殺された。
私は、頭が変になり、目がくらんで気が遠くなりかけた。
……もうダメだ……と思ったが、洞窟を匍い出し、岩と岩の間に顔を突っ込んだ。外からのスキ間風が鼻先きに流れてきた。それから先きは意識不明となった。
……その後どうなったか、死人同様に幾時間かがすぎていた。涼風が肌をなで、身に寒さを感じて始めて自分が毒ガス弾に意識不明になっていたことを知った。
「あっ、オレはまだ死んでない……」
用心深く周囲を見廻した。と、同時に、いつ敵が侵入して乱暴狼藉を働いたのか、不思議な死体をみた。岩と岩の間に、一本の青竹をわたしそこに串刺しにされた婦人が、物凄い形相で掛けられていた。全く、人間のなせる行為とは考えられない残酷な光景である。まだあった。自分と同じ洞窟にいた兵士や住民たちが、五体バラバラに切りきざまれて倒れていた。自分が、何の傷もうけずに、こうして生きているのが不思議でならなかった。
(略)
P 173
(略)
これに対して我々もまた、巧妙な仕掛けで対抗した。掃蕩に来る道路上に、あるいはジャングルに、ススキ原に、地雷式に、細い針金をつかって、足や車体に触れると炸裂する装置をつくり待ち伏せた。敵の憎悪ぶりはさらに増した。次々と残忍な行為で我々をおどろかせた。今までは一旦殺した兵は、そのままにしておいたのだが、いまは、あたかもそこが場であったかのように、死体を、頭から足の先きまで、牛馬のように切りきざんで並べたりした。
夜間、月の光をたよりに、帰らぬ戦友をさがしにでてみると、身の毛もよだつような、残酷な″死体料理″に出会うようになった。野放しになっている豚や犬がそれを食い散らしている。棒切れで、散乱した肉片をかき集め、埋葬したが、あくる日、これがまた掘り出され、足でけ散らされ、剣で刺され、枯木にのせられて干されていた。頭蓋骨は皮をはがれて射撃の的にされた。彼らは、それを賭博のカケにして、一日中撃ち砕いていた。的中すると奇妙な声をあげて喜んでいる。我々はそれを潜んだところから、ただ見つめているだけで、手出しもできない。戦争とはいえ、あまりにも人道をふみにじる行為に怒りは増大した。チンナンやトカゲの餌になるほうがどんなにましかと何度も思った。
(略)
P178
(略)
我々四人は彼らの後についてジャングルの小径をいそいだ。山中にある民家は焼けただれ、水桶も全部潰されている。小径の両側には、戦友の白骨が淋しく草むらに散乱して何かを語りかけようとしている。
腐敗しかけの屍が三つ、破壊された民家のコンクリートの上に転がっていた。
「おい、一寸、屍を見ていく。この間の掃蕩でやられたのだな……埋めてやろう」
上弦の月が輝いている。近寄ってのぞきこんだ。
「可愛そうに、民間人だよ。年老いた母親と子供だ……」
母親は毛髪を乱し、悲憤やるかたない形相をしている。腹部は蜂の巣のように銃剣で突き刺され、陰部はえぐりとられていた。右足が大腿部の所から、腹部まで引き裂かれている。七つぐらいの男の子は、顔面を棒切れで殴打されたのか、原形が変わっていた。家畜以上の暴虐極まりない仕業である。砲撃の着弾跡に埋葬し、真っ赤に咲いていた南洋桜をそえ、線香の代りにタバコを供し合掌した。周囲に転がる屍は、筆舌に表現できないほどの、虐待姿である。合掌する我々の間を、供えたタバコの煙が音もなく上っては消えていった。
(略)
P190
(略)
敵の恨みは増大する。キャンプからの情報で指揮官の首に懸賞金がかけられたことがわかった。
「指揮官を射殺すれば千ドル。兵役は即日満期」という通達である。それによると、「まだ、タッポーチョ山には、大場大尉の指揮する一隊と、田中大尉の指揮する一隊が、東西の洞窟、ジャングルに立籠っており、威力ある兵器を携えて、各所に出没、我々を襲撃している。この敗残兵を全滅させるため、指揮官を射殺した兵には千ドルの賞金と、即日満期」
というのは通達の中味である。一年にわたる戦闘のすえ生存者は全島で百人ぐらいに減っていた。
(略)
投降か戦闘継続か
P215-220
昭和二十年十月、山の生存者は、東海岸のマッピ岬や、タッポーチョ山、タコ山と、我々のハグマン岬に、数名ずつがグループになって残っているに過ぎなかった。この四地点は、もし友軍が上陸してきた場合には、きわめて重要な拠点でもあった。
だが、いまはすべてが水泡に帰し、哀れな友軍の″断末魔の拠点″に風化しつつあった。(略)
十一月に入ってタコ山からの連絡で生存者の最後的な会合が大場大尉の所で開かれることになった。各所から先任者が全員の意見をもってきた。タコ山は大場大尉、タッポーチョは豊福兵曹長と廣瀬兵曹長、ハグマンが私という顔ぶれだった。その席には土屋憲兵伍長も顔を出していた。
(略)
主人公の大場栄大尉という人の名前を知らなかった。有名な人なのだろうか。
いろいろ検索してみると、大場大尉と同じときにサイパンで戦った田中徳祐大尉という人もいるらしい。
田中大尉の側からの視点も気になる。どんな状況だったのだろう。
だけど、サイパンでの戦闘について詳細な記録を残されている東海大学の教授のサイトにも、田中大尉に関する記事は見あたらないようだ。
<参考>
鳥飼行博研究室Torikai Lab Network
サイパン・テニアン島の玉砕戦
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/saipan.html
田中大尉の本が復刊ドットコムから再刊行されていたので、ちょっと見てみた。
だけど、想像以上に厳しい記述が多い。
これが現実なのだろうか。人道とか理性といった枠がはずれてしまう極限状態の戦闘というものはおそろしい。
亡くなった方々も、憤り、恨み、無念な気持ちの極みだっただろう。
先日パラオの激戦地だったところで慰霊された天皇皇后両陛下は、10年前の2005年にサイパンにも行かれていたようだ。
無念にも倒れた人々は、日本を代表する祈る人、慰霊する人によって、少しは安らかな気持ちになれただろうか。
目についたところを一部抜書きしてみた。いろいろ考えさせられる。
『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』(立風書房1983年、復刊ドットコム2012年)
田中徳祐(たなかのりすけ)著
昭和17年、豊橋予備士官学校卒業、同年、陸軍少尉任官。
昭和19年、河村部隊甲副官としてサイパン島に転進。現役大尉に昇進。
戦後5年間、公職追放。昭和27年教職に復帰。昭和54年、大阪府和泉市立松尾小学校校長を勇退。
P66-67
女スパイと毒薬
(略)
敵は、南部から北上しチャッチャ――ガラパンを結ぶ線まで進攻してきた。すでに全島の半分近くが敵の手におちている。われわれの行動範囲はせばめられ、軍、官民が逃げ場を失い混乱しはじめた。と同時に、混乱に乗じてスパイが暗躍しはじめた。おもに原住民のカナカ、チャムロに多かったが、中には日本の若い女性まで混っており我々を驚かせた。このスパイたちは昼は洞窟に避難し、スパイらしい振舞いは全くみせなかったが、常に部隊指揮官の行動を見届けているようだった。夜になると指揮官のスキを狙い、拳銃で狙撃し、姿を消してしまうので手がつけられない。このスパイに殺された指揮官も出た。
こうなると、誰もが信用できなくなり、兵がスパイをスパイするという事態に発展した。疑心暗鬼の目が、原住民や女たちに注がれるようになる。昼は洞窟でじっとしているが、夜になると飲み水の確保に必死になった。しかし、水源地にもとうとう毒薬が投入され、知らずに飲んだ兵や住民が、血を吐き、苦悶しながら死んでいく事態が続発した。
あるときは、野州に出撃する部隊が、谷間やジャングルで攻撃準備を整えている所へ、不思議なくらい正確に、艦砲の猛撃を受け、戦わずして全滅する悲劇までおきた。
(略)
P93
(略)
敵機はますます低空で襲ってきた。樹上スレスレで機銃掃討をくりかえす。そのうち低空で飛んできた敵機に、全員が集中射撃を浴びせた。それが命中したのだろう、パッ、と火を吹いて舞い上がった、と思ったとたん、パイロットが落下傘で飛び出した。敵機は、ジャングルの下の谷間に、大音響とともに落ち、爆発した。
パイロットは、落下傘が開く間がなく落ちた。恨みに狂う我々は、集中射撃を浴びせた。パイロットは全身を真っ赤に染めていた。落ちたところへ駆け寄ってのぞきこんだ。と、
「おお!」
と叫んだまま、私は絶句した。意外にも年の頃、二十歳前後の女子パイロットだった。女性が飛行服に身を固めている。静かに眠る彼女の顔は美しかった。敵ながら勇敢で天晴れな戦闘だった。我々は合掌し冥福を祈った。
それにくらべ、我々を悩ませる日本女性スパイの指揮官暗殺などはなんたることだろうか。生を得るがためとはいえ、敵の捕虜になり、その命令に従い、我々の中にもぐりこんできて、スキをみては命を狙う。そして姿を消していく。日本帝国の前途が思いやられてしかたなかった。
一機が撃ち落されると、敵は急に高度をあげ逃げていった。
(略)
看護婦の集団自決と立会人
P100
(略)
「おい、ばかなことはよせ。自決したり殺したりするのは最後の最後だ。まだ友軍が存在している限り援軍の望みがあるのだ」
どなりつけて母親の手をにぎったが、ものすごい力でさえぎられた。母親は子供の上に重なった。子供はパッチリと黒い瞳を開いて母親の顔をにらんでいた。
「許しておくれ……お母さんもすぐ後からいくからね。苦しいかい、今に楽になるよ。お母さんと一緒に、戦争のない美しいところへ行こうね……」
母親は、両手で子供の首に巻きつけたヒモをにぎり、もがく子供に話しかけた。やっとのことでヒモをとりのぞいた時は、もう子供は口元をピクピクさせているだけで息絶えていた。母親はさきほどとってきた自分の小便を入れたアルミ食器を子供の口元にあて飲ませた。一口はいったがあとは口から外へ流れ出た。私は無言のうちに子供に合掌した。
(略)
P129-134
(略)
堤軍医とは、あの屍のトンネルをくぐり直撃弾に吹き飛ばされ、意識を失って助け出されてから会っていなかった。そうだ、それにしてもいい人に出会った、と私は思った。従軍看護婦の自決の立会人に、堤軍医は病院関係者だから適任者だ。
「変な任務だな。なぜ将校が立ち会わねばならないのだ。自分の身の処理は自分ですればいいじゃないか」
堤軍医も、私が最初に思ったように、不審を抱き、理由をただそうとした。
「堤軍医、そういうな。これが万一のことを考えて、功績のためなんだ」
「功績?」
「そうだ」
「なるほど、必ず奪還にくると、信じて自決するのか……。そうとでも考えないと、死ぬこともできないだろうなア。よし、いこう」
後ろにいた林看護婦を初めて紹介した。軍医は強い禁止で、吉田軍曹にも林看護婦にも気づかないでいた。
「林君じゃないか。吉田軍曹も一緒か。みんな無事で……」
そこで言葉がつまった。
「みんな、最後は同じ運命をたどるのだね……」
と力なくいうと、絶句してしまった。二人の手を、自分の両手でしっかりと握りしめた。林看護婦が言った。
「軍医殿、よくご無事で……。私達も全員無事です。しかし、もはや任務も完了いたしました。いま、残されている道は、これしかありません。どうか、最期を見とどけてください」
林看護婦の両眼から大粒の涙が、ボロボロと流れ落ちた。
(略)
やがて、微かな音と共に、婦長の左腕に注射針が刺され、一滴一滴、恐ろしい液が右手の親指によって押し出されていく。死の行進がはじまった。婦長に続き、若い乙女たちの左腕に注射針が刺されていく。押し出される液、液……涙、涙。死の一大修羅場と化していく。この惨状。戦争はいったい何なのだ。だれがこんなことをさせるのだ……。私は思わず眼をつむった。暗いバナナ林の中に静かに、従軍歌が流れる……。
(略)
全裸で連行された婦女子たち
p138-140
(略)
投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。
我々は、パナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして千米くらい先きに、上陸してすぐの三月二十日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。
そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕らわれの身となった。
幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。
その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。
やがえ、次のトラックも、次のトラックも走り出した。
絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかっていった。
……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。(この婦女子はその後一人として生還しなかった)
婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。あの投降勧告は一体なんだったのか。
常夏の大空をこがさんばかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。
「おい、もうがまんならん。撃て」
この状況を見ていた私は叫んだ。同時に、吉田軍曹が一発撃った。しかし、何の効果もない。敵は、もはや我々に無頓着である。
残虐な行為は生産をきわめた。火から逃がれようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギャツ!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。不気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。
射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。いまは眼からは一滴の涙も出ず、この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、全身に激しい怒りがみなぎった。
恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、霊をとむらうだけが精一杯だった。
我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。そして夕暮れまでなんとか持ちこたえた。だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、明日への戦闘能力を失った。
その夜、洞窟を捨て、マッピ岬の海岸のすぐ上に突き出した岸壁の洞窟に移動した。
(略)
断崖からの集団投身自決
p142-143
(略)
敵は、ジャングルや洞窟に生き残る兵や住民を掃蕩するため、強力な爆薬を仕掛け、徹底的な爆破攻撃を刊行した。
昭和十九年七月十一日、東の空が白むころ、追いまくられた住民がマッピ岬にむかって死の行進をはじめた。数百、いや数千人はいただろうか。もう、だれの制止もきかない。魔術にでもかかったように、怒涛岩をかむマッピ岬の断崖に立った。老人が先頭をきった。
「天皇陛下萬歳、皇后陛下萬歳!」
と叫んだかと思うと、海中めがけて飛び込んだ。我々が潜んでいる洞窟のすぐななめ上である。投身自殺は、次々とおこなわれた。後から後から、子供も、婦人も、押されるようにして飛び込んでいく。その海中に、群れをなしたサメが泳ぎまわっている。海はたちまちまっ赤に染まり、飛び込んだ人たちは次々と食いちぎられて沈んでいく。
海上には敵の掃海艇が何隻か走り回り、我々は首を出すこともできない。飛び込む水音、あがる断末魔。その声が洞窟にこだまし、もはやこの世のこととは思えない凄惨な状況となった。
さすがの敵も、この光景には胆をつぶしたらしい。掃海艇の兵がしきりに大声をあげ、どなっている。頭をかかえ、しゃがみこむ兵もみえる。手まねで、やめてくれ、といっているらしいが、通じない。
(略)
毒ガス攻撃と婦人の″串刺し″
p146-147
(略)
七月十二日、敵はついに最期の手段とみたのか、毒ガス弾攻撃をしかけてきた。全く予期していなかっただけに、さすがにあわてた。防毒面はすべて捨ててしまっていた。毒ガス弾は、ノド元をえぐり取るような赤筒弾だった。
「全員砂に顔を当てて呼吸せよ。濡れ手拭で口を覆え!」
だれ言うとなく叫び、全員がコウモリのように、洞窟の岩に顔を当て、地面に吸いつき、素早く毒ガス弾の処置をとった。しかし、次々と撃ち込まれてくる毒ガス弾に、洞窟内は白煙で真白く覆われ、抵抗力の弱い子供や老人は、もがき苦しみ血を吐きながら死んでいった。
「畜生。苦しい……ノドが……一気に殺せ」
そばにいた海軍の重症兵が叫ぶ。同時に、口からダラダラと鮮血を吐いた。血は、汗と油にまみれた衣服にベットリとしみ込んでいく。
あまりの苦しさに、手榴弾で自決していく重傷者が出る。
「あおい、岸壁をよじ登って突撃だ。全員討ち死にだ」
とあたりの洞窟から叫び声が聞こえたかと思うと、苦しさに耐えかねていた兵士数人が飛び出していった。敵の集中弾が、待っていたかのように火を吹き、兵士たちは射殺された。
私は、頭が変になり、目がくらんで気が遠くなりかけた。
……もうダメだ……と思ったが、洞窟を匍い出し、岩と岩の間に顔を突っ込んだ。外からのスキ間風が鼻先きに流れてきた。それから先きは意識不明となった。
……その後どうなったか、死人同様に幾時間かがすぎていた。涼風が肌をなで、身に寒さを感じて始めて自分が毒ガス弾に意識不明になっていたことを知った。
「あっ、オレはまだ死んでない……」
用心深く周囲を見廻した。と、同時に、いつ敵が侵入して乱暴狼藉を働いたのか、不思議な死体をみた。岩と岩の間に、一本の青竹をわたしそこに串刺しにされた婦人が、物凄い形相で掛けられていた。全く、人間のなせる行為とは考えられない残酷な光景である。まだあった。自分と同じ洞窟にいた兵士や住民たちが、五体バラバラに切りきざまれて倒れていた。自分が、何の傷もうけずに、こうして生きているのが不思議でならなかった。
(略)
P 173
(略)
これに対して我々もまた、巧妙な仕掛けで対抗した。掃蕩に来る道路上に、あるいはジャングルに、ススキ原に、地雷式に、細い針金をつかって、足や車体に触れると炸裂する装置をつくり待ち伏せた。敵の憎悪ぶりはさらに増した。次々と残忍な行為で我々をおどろかせた。今までは一旦殺した兵は、そのままにしておいたのだが、いまは、あたかもそこが場であったかのように、死体を、頭から足の先きまで、牛馬のように切りきざんで並べたりした。
夜間、月の光をたよりに、帰らぬ戦友をさがしにでてみると、身の毛もよだつような、残酷な″死体料理″に出会うようになった。野放しになっている豚や犬がそれを食い散らしている。棒切れで、散乱した肉片をかき集め、埋葬したが、あくる日、これがまた掘り出され、足でけ散らされ、剣で刺され、枯木にのせられて干されていた。頭蓋骨は皮をはがれて射撃の的にされた。彼らは、それを賭博のカケにして、一日中撃ち砕いていた。的中すると奇妙な声をあげて喜んでいる。我々はそれを潜んだところから、ただ見つめているだけで、手出しもできない。戦争とはいえ、あまりにも人道をふみにじる行為に怒りは増大した。チンナンやトカゲの餌になるほうがどんなにましかと何度も思った。
(略)
P178
(略)
我々四人は彼らの後についてジャングルの小径をいそいだ。山中にある民家は焼けただれ、水桶も全部潰されている。小径の両側には、戦友の白骨が淋しく草むらに散乱して何かを語りかけようとしている。
腐敗しかけの屍が三つ、破壊された民家のコンクリートの上に転がっていた。
「おい、一寸、屍を見ていく。この間の掃蕩でやられたのだな……埋めてやろう」
上弦の月が輝いている。近寄ってのぞきこんだ。
「可愛そうに、民間人だよ。年老いた母親と子供だ……」
母親は毛髪を乱し、悲憤やるかたない形相をしている。腹部は蜂の巣のように銃剣で突き刺され、陰部はえぐりとられていた。右足が大腿部の所から、腹部まで引き裂かれている。七つぐらいの男の子は、顔面を棒切れで殴打されたのか、原形が変わっていた。家畜以上の暴虐極まりない仕業である。砲撃の着弾跡に埋葬し、真っ赤に咲いていた南洋桜をそえ、線香の代りにタバコを供し合掌した。周囲に転がる屍は、筆舌に表現できないほどの、虐待姿である。合掌する我々の間を、供えたタバコの煙が音もなく上っては消えていった。
(略)
P190
(略)
敵の恨みは増大する。キャンプからの情報で指揮官の首に懸賞金がかけられたことがわかった。
「指揮官を射殺すれば千ドル。兵役は即日満期」という通達である。それによると、「まだ、タッポーチョ山には、大場大尉の指揮する一隊と、田中大尉の指揮する一隊が、東西の洞窟、ジャングルに立籠っており、威力ある兵器を携えて、各所に出没、我々を襲撃している。この敗残兵を全滅させるため、指揮官を射殺した兵には千ドルの賞金と、即日満期」
というのは通達の中味である。一年にわたる戦闘のすえ生存者は全島で百人ぐらいに減っていた。
(略)
投降か戦闘継続か
P215-220
昭和二十年十月、山の生存者は、東海岸のマッピ岬や、タッポーチョ山、タコ山と、我々のハグマン岬に、数名ずつがグループになって残っているに過ぎなかった。この四地点は、もし友軍が上陸してきた場合には、きわめて重要な拠点でもあった。
だが、いまはすべてが水泡に帰し、哀れな友軍の″断末魔の拠点″に風化しつつあった。(略)
十一月に入ってタコ山からの連絡で生存者の最後的な会合が大場大尉の所で開かれることになった。各所から先任者が全員の意見をもってきた。タコ山は大場大尉、タッポーチョは豊福兵曹長と廣瀬兵曹長、ハグマンが私という顔ぶれだった。その席には土屋憲兵伍長も顔を出していた。
(略)
ウランの鉱山も多いし、核実験もよく行われていたし、疑われるのもしかたないかなと思うけど、きちんと検査がされていないようだから、本当のことがわからない。
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