波打ち際の考察

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波屋山人

少年時

2008-05-21 00:53:59 | Weblog
中原中也の詩に、「少年時」という作品がある。
ニリヴァーナっていうバンド(1987年~1994年)の、1991年の大ヒット曲“Smells Like Teen Spirit”(スメルズ・ライク・ティーンスピリット)を思い出す。

・NIRVANA Smells like teen spirit
http://jp.youtube.com/watch?v=kPQR-OsH0RQ
http://jp.youtube.com/watch?v=CqSHcNgDb4U
http://jp.youtube.com/watch?v=T3nCI_9uQfI&feature=related

すごい詩っていうのは、ロックだ。天才だ。鮮烈だ。
中原中也が現代に生きていたら、浅井健一トム・ヨークも一目置くようなロックミュージシャンになっていたかもしれない。

1990年代に隆盛を極めたグランジロックは、ポップミュージックやハードロックとは一線を画していた。

騒音のようにも聞こえる、様々な方向性の音を内包した場を生じさせた中で、音と音の濁流の間にメロディーをゆらめかせる。
押し付けがましくないけど逃げているわけでもない間の取り方。一歩引いた視線の中の強さ。

東洋的な神秘学さえ連想してしまいそうな、身のこなし、心のスタイル。
メロディーを立ち上げて自分の存在を主張するポップミュージックとは違う。
マッチョな圧力を見せて自分の強さをアピールするハードロックとも違う。
観賞用のクラシカルミュージックとも違う。

激流の渦巻く川に飛び込み、すいすいと波をすりぬけて対岸に泳ぎきる仙人のように、グランジロックは静かな凄みを見せていた。

中原中也も、激しい気持ちと渦巻く思いの中で、音もなく静かな詩を掲げていた。
全身で周りの空気の流れや息吹を敏感に感じながら、目をギロギロさせながら、その時代にもがき、泳いでいた。音を出さず、叫んでいた。
中原中也の「少年時」は、見事なグランジロックだ。


中原中也。1907年(明治40年)山口県生まれ。1938年(昭和12年)没。
詩集「山羊の歌」(1934年)より

■少年時

黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)つてゐた。

地平の果に蒸氣が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。

麦田(ばくでん)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼(たれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に嚙みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

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