昨日は女物のショートパンツをはいて三軒茶屋を歩いた。
一人でキャロットタワーの展望室に行って、遠くの調布の花火を眺めた。
短パンというのだろうか、何というのだろうか。
ベージュ色の、薄手の、膝下くらいほどの長さの夏用のパンツは軽くてはきやすい。
先週もその短パンをはいて小田原の町を散策していた。
ぼくの彼女は小柄だけど、腰周りはぼくとあまり変わらないから、ときどき彼女の短パンを拝借する。
肩幅もたいして変わらないので、シャツを借りることもある。
さすがに、腕の長さは合わないので、シャツの袖をまくって、出社。
ボタンの位置が男物とは違うけど、誰も気がつく人はいない。
女物といっても、ナチュラルな色合いのシンプルな柄で、男が着てもあまり違和感はない。
学生の頃から、ときどき女物のセーターなどを着ることがあった。
くびれがあるすその長い女物のコートがほしかった時期もあるけど、ぼくには絶対に似合わないのであきらめたこともある。
どうも、女物のほうが、柔らかで明るい色が多い。
シャツやパンツのラインも、繊細な曲線が魅力的だ。
男物のほうが、くすんだかたい色が多いように感じる。
もっと明るい色の男性用シャツが多くてもいいのに。
表紙のデザインを決める時に編集部で意見を集めると、女性はやわらかく、あかるいデザインを選ぶ場合が多い。男はちょっとかための寒色系のデザインを選びがちだ。
ぼくの感覚は、どちらかといえば女性に近いことが多い。
だけど、男性の中ではやや女性寄りの感性かもしれないけど、男か女かといえば、あきらかにぼくは男だ。
女装趣味もないし、男性に性的魅力を感じることもない。ひらひらした少女趣味もない。
いくらのど仏が隆起していなくても、体毛が薄くても、ぼくは明らかに男で、やさしい女性が大好きだ。
ただ、汗臭い若者たちが集団でいると、息苦しさを感じる。
キャバクラやコンパに熱心な男の感性にも近づきにくさを感じる。
ごつごつした男に性的魅力を感じる男性や女性の感覚はあまり理解できない。
どちらかといえば、声が大きくないけど存在感を示している、穏やかでナチュラルな人たちに親しみを感じる。
ナチュラル系の人は世界各国男女を問わず、広く各地に分布している。
多くのファッション誌が部数を減らし、広告収入も激減して苦しんでいる中、宝島社の「リンネル」、主婦と生活社の「ナチュリラ」、農文協の「うかたま」など、肩肘を張らない自然なスタイルのファッション誌やライフスタイル誌が共感者を増やしている。
人と競い合うような派手なファッションやライフスタイルから、無理をしない中で美や価値を楽しむセンスの良い視点へと、人々の関心が移ってきているのではないだろうか。
ぼくの彼女も「うかたま」や「■■■」などを読んでいるみたいだ。
ロック好きとナチュラル系好きは、矛盾しない。
ぼくは、激流の中をしなやかに泳ぎ渡るような、轟音の中に美しいメロディーを泳がせるような、グランジロックのような強さと感覚のするどさをナチュラル系に感じている。
ナチュラル系の人たちは、脱力系の静かな逃避者なのではない。
いろんなファッションやライフスタイルも経験した上で、いろんな知恵を蓄えた上で、あえて控えめなスタイルを選択しているのだ。
アピール力が弱くても、派手さがなくても、魅力がわかる人には伝わるセンスの良さがそこにはある。
<参考>出版不況の中、ナチュラル系雑誌が好調 2009年4月2日
http://www.excite.co.jp/News/product/20090402/Economic_eco_090401_900_1.html
追記
「編集会議 2010年6月号別冊」は編集長も編集室長も女性なのに、なぜか表紙も本文レイアウトも男性的。硬質な印象。さまざまな雑誌を分類したマップが見開きページで紹介されているけど、今をときめくナチュラル系雑誌がまったく紹介されていない。そのようなセンスで、現代の雑誌を語ることができるのだろうか。広告会社の意向を重視して動く雑誌は、大事なものを感知し損なうおそれがあるのではないだろうか。
http://ec.sendenkaigi.com/products/detail.php?product_id=1477
一人でキャロットタワーの展望室に行って、遠くの調布の花火を眺めた。
短パンというのだろうか、何というのだろうか。
ベージュ色の、薄手の、膝下くらいほどの長さの夏用のパンツは軽くてはきやすい。
先週もその短パンをはいて小田原の町を散策していた。
ぼくの彼女は小柄だけど、腰周りはぼくとあまり変わらないから、ときどき彼女の短パンを拝借する。
肩幅もたいして変わらないので、シャツを借りることもある。
さすがに、腕の長さは合わないので、シャツの袖をまくって、出社。
ボタンの位置が男物とは違うけど、誰も気がつく人はいない。
女物といっても、ナチュラルな色合いのシンプルな柄で、男が着てもあまり違和感はない。
学生の頃から、ときどき女物のセーターなどを着ることがあった。
くびれがあるすその長い女物のコートがほしかった時期もあるけど、ぼくには絶対に似合わないのであきらめたこともある。
どうも、女物のほうが、柔らかで明るい色が多い。
シャツやパンツのラインも、繊細な曲線が魅力的だ。
男物のほうが、くすんだかたい色が多いように感じる。
もっと明るい色の男性用シャツが多くてもいいのに。
表紙のデザインを決める時に編集部で意見を集めると、女性はやわらかく、あかるいデザインを選ぶ場合が多い。男はちょっとかための寒色系のデザインを選びがちだ。
ぼくの感覚は、どちらかといえば女性に近いことが多い。
だけど、男性の中ではやや女性寄りの感性かもしれないけど、男か女かといえば、あきらかにぼくは男だ。
女装趣味もないし、男性に性的魅力を感じることもない。ひらひらした少女趣味もない。
いくらのど仏が隆起していなくても、体毛が薄くても、ぼくは明らかに男で、やさしい女性が大好きだ。
ただ、汗臭い若者たちが集団でいると、息苦しさを感じる。
キャバクラやコンパに熱心な男の感性にも近づきにくさを感じる。
ごつごつした男に性的魅力を感じる男性や女性の感覚はあまり理解できない。
どちらかといえば、声が大きくないけど存在感を示している、穏やかでナチュラルな人たちに親しみを感じる。
ナチュラル系の人は世界各国男女を問わず、広く各地に分布している。
多くのファッション誌が部数を減らし、広告収入も激減して苦しんでいる中、宝島社の「リンネル」、主婦と生活社の「ナチュリラ」、農文協の「うかたま」など、肩肘を張らない自然なスタイルのファッション誌やライフスタイル誌が共感者を増やしている。
人と競い合うような派手なファッションやライフスタイルから、無理をしない中で美や価値を楽しむセンスの良い視点へと、人々の関心が移ってきているのではないだろうか。
ぼくの彼女も「うかたま」や「■■■」などを読んでいるみたいだ。
ロック好きとナチュラル系好きは、矛盾しない。
ぼくは、激流の中をしなやかに泳ぎ渡るような、轟音の中に美しいメロディーを泳がせるような、グランジロックのような強さと感覚のするどさをナチュラル系に感じている。
ナチュラル系の人たちは、脱力系の静かな逃避者なのではない。
いろんなファッションやライフスタイルも経験した上で、いろんな知恵を蓄えた上で、あえて控えめなスタイルを選択しているのだ。
アピール力が弱くても、派手さがなくても、魅力がわかる人には伝わるセンスの良さがそこにはある。
<参考>出版不況の中、ナチュラル系雑誌が好調 2009年4月2日
http://www.excite.co.jp/News/product/20090402/Economic_eco_090401_900_1.html
追記
「編集会議 2010年6月号別冊」は編集長も編集室長も女性なのに、なぜか表紙も本文レイアウトも男性的。硬質な印象。さまざまな雑誌を分類したマップが見開きページで紹介されているけど、今をときめくナチュラル系雑誌がまったく紹介されていない。そのようなセンスで、現代の雑誌を語ることができるのだろうか。広告会社の意向を重視して動く雑誌は、大事なものを感知し損なうおそれがあるのではないだろうか。
http://ec.sendenkaigi.com/products/detail.php?product_id=1477
女物は、着やすくて色・柄など多彩です。
フィット感も人間として良いと思ってます。
♂モードの時でも、この夏はホットパンツに女物のTシャツ、ミュールで外出でした。
凄く過ごしやすいし、涼しげです。
rie09jp@yahoo.co.jp