江戸時代の人に、
「士農工商エタっていう身分があってたいへんですね」
と聞いたら、ポカンとした顔をされるだろう。
「ほら、エタ頭の浅草弾左衛門さんとか、頭の車善七さんとか、差別されてるんでしょ」
と言っても、どういう意味で「差別」っていう言葉を使っているのか通じにくい。
お侍さんとか町人とか百姓(農民)、エタとかという分類があるのは知っているけど、江戸時代には士農工商などという言葉は使われていなかったし、差別という言葉も現在のような意味では存在しなかったから理解しにくい。
日東駒専とかMARCHといった用語や偏差値とかセンター試験がなかった時代の人に
「偏差値低いと日東駒専にも行けなくてたいへんですね」
と言ってもポカンとした顔をされるだろう。
「ほら、学歴ないとバカにされるでしょ」
と言っても、「あぁ? おまえが人をバカにしてんじゃないのか!」と一喝されてしまうかもしれない。
後世の人が現代日本を分析して、
「日本には強固な学歴カースト制度があった。旧七帝大・早慶上智出身の人がバラモンのように世の中を支配し、地方国立大やMARCH出身の人がクシャトリアのように実務を担当し、偏差値下位大学出身者はシュードラのようにこき使われ、学歴のない人はアンタッチャブルな存在として避けられていた」
などと分析したら、現代の人はそれは違うと言いたくなるだろう。
学歴がなくてもすばらしい仕事をしたりすごい作品を作ったり人は多い。
入試偏差値が低くてもすばらしい教育を行っている大学はあるし、優秀な学生が育つことだってある。どこの学校を出ていても、知能の高い人や心の広い人やよく働く人など、すぐれた人は多い。
学歴がない人を見下す人は、学歴のないところに価値を見出せない視野の狭い人だ。
(まあ、高学歴な人は知識量が多い傾向があるけどね)
江戸時代における「士・農・工・商・エタ・」は、もしかしたら
「経営者・平社員・契約社員・個人事業主・フリーター・プータロー」
あるいは
「官僚・事務員・技術者・販売員・風俗嬢・暴力団員」
「公務員・会社員・店主・アルバイト・アーティスト・ホームレス」
「法・農・工・商・芸・中退」
くらいの違いだったかもしれない。
身分の上下というよりも、立ち位置の違いに近い。
それぞれの立場で価値観は違うから、官僚から見たら暴力団員なんてまったく無価値かもしれないけど、暴力団員から見たら官僚はまったくつまらない存在かもしれない。
風俗嬢や暴力団員や住所不定の人の社会的評価が低いのは一つの差別的構造だけど、それを差別問題として強く認識する人が少ないということは、江戸時代にエタやに価値がないのは当然と思う人が多かったことと似ている。
差別問題として表面化していないからといって潜在的な差別的構造に目をつむっていては、いつまでも差別問題なんてなくなりはしない。
差別問題に取り組んでいる人の多くは、ある価値観によって差別問題を見出しているだけで、潜在的な差別的構造を丁寧に読み解こうとする意識があまりない。
エタややバカやカブキモノと言われる人々は、社会的評価が高くなかった。
社会組織は生命体に似て、その存在の維持を本能的に求めている。
社会組織の枠組みを守る決まりや常識を軽々と超えてしまう芸術家や犯罪者やなまけものたちは、社会秩序を守ろうとする人々から遠ざけられた。
だけど、社会的評価が低くても、その人たちには別角度から見れば評価できる価値がある。
時には暴力やエロや破壊や裏切りや嘘ですら、芸術としては価値を持つ。
それはともかく、エタやと言う言葉は差別用語として排除されているらしい。
見えなければ意識にものぼらないから無いことにできると思うのは、論理的な思考をしない人に多いその場しのぎの思考パターンだ。
差別の対象は隠せばなくなるというものではない。潜在的な差別的構造は見えないところに無数にある。表面に出てきたごく一部を見えないようにして問題が解決されたと認識するのは知的な行為ではない。
差別問題に向き合うなら、エタやという言葉もしっかり受け止めなければならない。
という言葉は字のとおり、「人に非ざる」。ここでの「人」は社会人とか常識人。
社会秩序の維持をじゃまする犯罪と関わりが深い。
ただ、「エタ」の語源はわかりにくい。
いまだに、堂々と「餌取り(エトリ)」が語源、と言っている人が多い。
しかし、少しでも言語を学んだことのある人であれば、エトリ(餌取り)→エタと変化することのむずかしさをわかっているだろう。
テドリ(手取り)→テダとは変化しないし、
カトリ(蚊取り)→カタとは変化しないし、
カキトリ(書き取り)→カキタとは変化しない。
ETori→ETa と転化する例があったら教えてほしい。
ぼくが以前から言っている「エタ」の語源は、「エタチヒト、エタチ」だ。上代において雑役夫、使役人夫のような意味の言葉。
「エタチ」→「エタ」の変化は容易。
「カタチ(形)」も「カタ」と変化する。
エタチは、8世紀の日本書紀・古事記にすでに記述が見られる。
なぜか、新羅人がエタチとして使われ天皇の葬送にも関与している。
(被差別は、弥生人・渡来人の影響が強い地域に多い。朝鮮半島に白丁=ペッチョン、ペクチョンと言われる被差別民がいたことを思い出す。縄文系、古モンゴロイド系の影響が強い地域には被差別が少ない)
餌取りが語源だと主張する人は10世紀や13世紀などの文献を持ち出してくるけど、被差別民は10世紀よりもずっと前から存在している。
餌取り語源説は言い伝えや推測の記録ではないだろうか。
「サルのことを『エテ公』と呼ぶのは『餌取り公』の意味である」と言うようなものだ。一見もっともらしく見えるけど、それは伝聞や推測にすぎない。ほんとうは、「去る」を避けて「得て」にしただけ。「エトリ」が「エテ」に変化することは非常にむずかしい。
「エタ」に変化することだって困難だ。
『時代別国語大辞典 上代編』(昭和42年12月発行、三省堂)のp140には次のような記述がある。
え[役](名)公用の課役。夫役。人民が朝廷の効用に出て働くこと。エタチとも。(中略)
【考】エ・エタチは、調(ツキ)とともに人民の賦課の様式で、ツキが物品を収めるのに対し、エは労力をもってする。令制では、正丁一人につき、歳役として一年間に十日を中央政府の行う土木作業に雑徭として随時に年六十日以内を限って地方官の命により地方行政に必要な諸種の労働に従事することを課した。詳細は賦役令にみえるが、実際は戦乱・行幸・遷都その他予期せぬことに関して役(エ)に立てられたらしい。仮名書きの確例なく、ア行かヤ行かは不明。(後略)
えたち[役](名)1公役にあてられて立ちおもむくこと。公役に従事すること。タチは立ツ(四段)の名詞形。「是以百姓之栄、不苦役使」(記仁徳)「是歳、新羅人朝貢則労於是役」(仁徳記十一年)(中略)「由新羅役以不得葬天皇也」(仲哀記九年)(後略)
ぼくは、この「エタチ」が「エタ」の語源というか由来ではないかと考えている。
なぜ、雑役夫の呼び名が被差別民の名前になったのかはわからない。
もしかしたら、村社会から疎外されて日あたりのわるい土地や増水したら流されそうな土地に住み着いていた人たちに、役人が仕事を与えていたのかもしれない。
社会組織を管理する者から指示を受けて行動する被差別者が「エタチヒト=雑役夫、使役人」と呼ばれていたのであれば、エタの関連呼称に役人を意味する「(リョーリ)」「坊(チョーリンボー)」との関連性がうかがえる。
という漢字は当て字。
この字がいかにもネガティブな印象を与えるから、カワタや宿の者といった被差別民たちも、施政者や一般人からまとめてと言われることがあった。
もしかしたら、エタはバンタやカワタなどと同じく、やつ・あいつ、といった意味あいの「太」を語尾につけた言葉だったのかもしれないと思うこともある。
役太、という漢字があてられなくもない。
とりあえず、エタの語源がエトリ(餌取り)であるという説は疑わしいということだけ問題提起したい。
追記
上原善広さんが今年『日本の路地を旅する』で大宅荘一ノンフィクション賞を受けられたことをうれしく思う。ただ、この本に記載されている被差別は、オーソドックスな川沿いの被差別ではなく、珍しいところにある被差別ばかりだ。
いつか、伝統的な被差別の古い歴史もさかのぼっていただければと思う。
ぼくは中学校に入るまで被差別の存在を知らなかった。
社会人になるまで、川の向こうに見える隣町の集落が江戸時代の文献にも出てくる有名な被差別だということを知らなかった。
学生時代、1920年代、30年代の関係の文献を読みあさるうちに、「一般人と同じ自分を正当に遇しないのは不当だ」と認識する人と「一般人と価値観が違う自分は一般人の中で評価されないのは仕方ない」と認識する人の差について考えるようになった。
民主主義は絶対的に正しい、と認識する人もいるし、どんな手を使っても生き残ったものが勝ち、と認識する人もいる。
物理法則にのっとれば、世界がひとつの価値観でまとまり、その状態が長く続くということは考えにくい。
表面化している差別問題や潜在的な差別的構造について思いをめぐらせることは、人々の価値観や世の中の仕組みについて考えることにつながる、とてもスリリングな興味深い行為だと思う。
基本的に、ぼくは差別には反対しない。
差別に反対する人の多くは差別の構造について認識が浅いまま、何かを否定している。
そんな姿勢は差別者とたいして変わらない。
差別問題研究者は、仕組みや因果関係を認識することがまず求められるのではないかと思う。
「士農工商エタっていう身分があってたいへんですね」
と聞いたら、ポカンとした顔をされるだろう。
「ほら、エタ頭の浅草弾左衛門さんとか、頭の車善七さんとか、差別されてるんでしょ」
と言っても、どういう意味で「差別」っていう言葉を使っているのか通じにくい。
お侍さんとか町人とか百姓(農民)、エタとかという分類があるのは知っているけど、江戸時代には士農工商などという言葉は使われていなかったし、差別という言葉も現在のような意味では存在しなかったから理解しにくい。
日東駒専とかMARCHといった用語や偏差値とかセンター試験がなかった時代の人に
「偏差値低いと日東駒専にも行けなくてたいへんですね」
と言ってもポカンとした顔をされるだろう。
「ほら、学歴ないとバカにされるでしょ」
と言っても、「あぁ? おまえが人をバカにしてんじゃないのか!」と一喝されてしまうかもしれない。
後世の人が現代日本を分析して、
「日本には強固な学歴カースト制度があった。旧七帝大・早慶上智出身の人がバラモンのように世の中を支配し、地方国立大やMARCH出身の人がクシャトリアのように実務を担当し、偏差値下位大学出身者はシュードラのようにこき使われ、学歴のない人はアンタッチャブルな存在として避けられていた」
などと分析したら、現代の人はそれは違うと言いたくなるだろう。
学歴がなくてもすばらしい仕事をしたりすごい作品を作ったり人は多い。
入試偏差値が低くてもすばらしい教育を行っている大学はあるし、優秀な学生が育つことだってある。どこの学校を出ていても、知能の高い人や心の広い人やよく働く人など、すぐれた人は多い。
学歴がない人を見下す人は、学歴のないところに価値を見出せない視野の狭い人だ。
(まあ、高学歴な人は知識量が多い傾向があるけどね)
江戸時代における「士・農・工・商・エタ・」は、もしかしたら
「経営者・平社員・契約社員・個人事業主・フリーター・プータロー」
あるいは
「官僚・事務員・技術者・販売員・風俗嬢・暴力団員」
「公務員・会社員・店主・アルバイト・アーティスト・ホームレス」
「法・農・工・商・芸・中退」
くらいの違いだったかもしれない。
身分の上下というよりも、立ち位置の違いに近い。
それぞれの立場で価値観は違うから、官僚から見たら暴力団員なんてまったく無価値かもしれないけど、暴力団員から見たら官僚はまったくつまらない存在かもしれない。
風俗嬢や暴力団員や住所不定の人の社会的評価が低いのは一つの差別的構造だけど、それを差別問題として強く認識する人が少ないということは、江戸時代にエタやに価値がないのは当然と思う人が多かったことと似ている。
差別問題として表面化していないからといって潜在的な差別的構造に目をつむっていては、いつまでも差別問題なんてなくなりはしない。
差別問題に取り組んでいる人の多くは、ある価値観によって差別問題を見出しているだけで、潜在的な差別的構造を丁寧に読み解こうとする意識があまりない。
エタややバカやカブキモノと言われる人々は、社会的評価が高くなかった。
社会組織は生命体に似て、その存在の維持を本能的に求めている。
社会組織の枠組みを守る決まりや常識を軽々と超えてしまう芸術家や犯罪者やなまけものたちは、社会秩序を守ろうとする人々から遠ざけられた。
だけど、社会的評価が低くても、その人たちには別角度から見れば評価できる価値がある。
時には暴力やエロや破壊や裏切りや嘘ですら、芸術としては価値を持つ。
それはともかく、エタやと言う言葉は差別用語として排除されているらしい。
見えなければ意識にものぼらないから無いことにできると思うのは、論理的な思考をしない人に多いその場しのぎの思考パターンだ。
差別の対象は隠せばなくなるというものではない。潜在的な差別的構造は見えないところに無数にある。表面に出てきたごく一部を見えないようにして問題が解決されたと認識するのは知的な行為ではない。
差別問題に向き合うなら、エタやという言葉もしっかり受け止めなければならない。
という言葉は字のとおり、「人に非ざる」。ここでの「人」は社会人とか常識人。
社会秩序の維持をじゃまする犯罪と関わりが深い。
ただ、「エタ」の語源はわかりにくい。
いまだに、堂々と「餌取り(エトリ)」が語源、と言っている人が多い。
しかし、少しでも言語を学んだことのある人であれば、エトリ(餌取り)→エタと変化することのむずかしさをわかっているだろう。
テドリ(手取り)→テダとは変化しないし、
カトリ(蚊取り)→カタとは変化しないし、
カキトリ(書き取り)→カキタとは変化しない。
ETori→ETa と転化する例があったら教えてほしい。
ぼくが以前から言っている「エタ」の語源は、「エタチヒト、エタチ」だ。上代において雑役夫、使役人夫のような意味の言葉。
「エタチ」→「エタ」の変化は容易。
「カタチ(形)」も「カタ」と変化する。
エタチは、8世紀の日本書紀・古事記にすでに記述が見られる。
なぜか、新羅人がエタチとして使われ天皇の葬送にも関与している。
(被差別は、弥生人・渡来人の影響が強い地域に多い。朝鮮半島に白丁=ペッチョン、ペクチョンと言われる被差別民がいたことを思い出す。縄文系、古モンゴロイド系の影響が強い地域には被差別が少ない)
餌取りが語源だと主張する人は10世紀や13世紀などの文献を持ち出してくるけど、被差別民は10世紀よりもずっと前から存在している。
餌取り語源説は言い伝えや推測の記録ではないだろうか。
「サルのことを『エテ公』と呼ぶのは『餌取り公』の意味である」と言うようなものだ。一見もっともらしく見えるけど、それは伝聞や推測にすぎない。ほんとうは、「去る」を避けて「得て」にしただけ。「エトリ」が「エテ」に変化することは非常にむずかしい。
「エタ」に変化することだって困難だ。
『時代別国語大辞典 上代編』(昭和42年12月発行、三省堂)のp140には次のような記述がある。
え[役](名)公用の課役。夫役。人民が朝廷の効用に出て働くこと。エタチとも。(中略)
【考】エ・エタチは、調(ツキ)とともに人民の賦課の様式で、ツキが物品を収めるのに対し、エは労力をもってする。令制では、正丁一人につき、歳役として一年間に十日を中央政府の行う土木作業に雑徭として随時に年六十日以内を限って地方官の命により地方行政に必要な諸種の労働に従事することを課した。詳細は賦役令にみえるが、実際は戦乱・行幸・遷都その他予期せぬことに関して役(エ)に立てられたらしい。仮名書きの確例なく、ア行かヤ行かは不明。(後略)
えたち[役](名)1公役にあてられて立ちおもむくこと。公役に従事すること。タチは立ツ(四段)の名詞形。「是以百姓之栄、不苦役使」(記仁徳)「是歳、新羅人朝貢則労於是役」(仁徳記十一年)(中略)「由新羅役以不得葬天皇也」(仲哀記九年)(後略)
ぼくは、この「エタチ」が「エタ」の語源というか由来ではないかと考えている。
なぜ、雑役夫の呼び名が被差別民の名前になったのかはわからない。
もしかしたら、村社会から疎外されて日あたりのわるい土地や増水したら流されそうな土地に住み着いていた人たちに、役人が仕事を与えていたのかもしれない。
社会組織を管理する者から指示を受けて行動する被差別者が「エタチヒト=雑役夫、使役人」と呼ばれていたのであれば、エタの関連呼称に役人を意味する「(リョーリ)」「坊(チョーリンボー)」との関連性がうかがえる。
という漢字は当て字。
この字がいかにもネガティブな印象を与えるから、カワタや宿の者といった被差別民たちも、施政者や一般人からまとめてと言われることがあった。
もしかしたら、エタはバンタやカワタなどと同じく、やつ・あいつ、といった意味あいの「太」を語尾につけた言葉だったのかもしれないと思うこともある。
役太、という漢字があてられなくもない。
とりあえず、エタの語源がエトリ(餌取り)であるという説は疑わしいということだけ問題提起したい。
追記
上原善広さんが今年『日本の路地を旅する』で大宅荘一ノンフィクション賞を受けられたことをうれしく思う。ただ、この本に記載されている被差別は、オーソドックスな川沿いの被差別ではなく、珍しいところにある被差別ばかりだ。
いつか、伝統的な被差別の古い歴史もさかのぼっていただければと思う。
ぼくは中学校に入るまで被差別の存在を知らなかった。
社会人になるまで、川の向こうに見える隣町の集落が江戸時代の文献にも出てくる有名な被差別だということを知らなかった。
学生時代、1920年代、30年代の関係の文献を読みあさるうちに、「一般人と同じ自分を正当に遇しないのは不当だ」と認識する人と「一般人と価値観が違う自分は一般人の中で評価されないのは仕方ない」と認識する人の差について考えるようになった。
民主主義は絶対的に正しい、と認識する人もいるし、どんな手を使っても生き残ったものが勝ち、と認識する人もいる。
物理法則にのっとれば、世界がひとつの価値観でまとまり、その状態が長く続くということは考えにくい。
表面化している差別問題や潜在的な差別的構造について思いをめぐらせることは、人々の価値観や世の中の仕組みについて考えることにつながる、とてもスリリングな興味深い行為だと思う。
基本的に、ぼくは差別には反対しない。
差別に反対する人の多くは差別の構造について認識が浅いまま、何かを否定している。
そんな姿勢は差別者とたいして変わらない。
差別問題研究者は、仕組みや因果関係を認識することがまず求められるのではないかと思う。
エタの語源は、私は履物にあると思っています。
下駄、雪駄、え駄、
韓国ドラマを見てますと、韓国の被差別が普通に出てきます、
良く履物を作っています。韓国ドラマの昔の時代劇のドラマです。
中国の歴史ドラマにも差別される人たちが太古からいるような感じで出てきます
今は差別とかでエタで検索しても詳しくは全然わかりませんが、語源は履物職人の事ではないかと私は、思っています。
昔から、被差別民以外にも多くの差別される人たちはいたと思うのですよ、
しかし、今なお被差別だけが、差別民として認識されていますね、
読んでくれてありがとうございました。
人類学的に、被差別民は東北人、すなわち蝦夷と呼ばれた縄文系の人であることが明らかになっています。
日本中にいた縄文系の人が、後から来た支配勢力に抑圧されたのが、被差別の起源でしょう。
東北などは、蝦夷が少数へとならず、したがって蝦夷差別である被差別がないのです。
北海道では民差別はありませんが、アイヌ差別があります。
後からやってきた和人が多数派となり、先住民を差別しているという構造です。
これと同じことが、古代、全国で起きたのです。