波打ち際の考察

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波屋山人

チベット市民蜂起についての認識

2008-03-18 21:45:33 | Weblog
ブログがずいぶん普及しているから、さまざまな責任ある人が自分の意見を示している。
私は、夏石番矢氏や藤原新也氏は右とか左とか、革新とか保守とかの範疇におさまらず、深く広く、ピュアな視点で認識している人だと思っている。
主義主張とか信仰に基づいた判断ではなく、自分の目や手でふれ、考え培ってきたものから判断していると思っている。

尊敬する俳人、夏石番矢氏のブログには、今回のチベットの事件に関して次のような比喩があった。

>現在のチベットを、ヨーロッパになぞらえると、こうなる。
>中国をフランスに、チベットをイタリアに、ダライラマをローマ法王に置き換えてみる。
>ローマ法王庁のあるイタリアに、フランス軍が侵入し、イタリア全土を制圧する。
>イタリア全土のうち、3分の1を、フランスに組み込む。その残りを、フランス帝国内の
>自治区にし、トップに傀儡を据える。その上で、フランス人を大量にイタリアに送り込み、
>商業活動でイタリア人を、社会の底辺へ追いやってゆく。
>また、ローマ法王が、法王庁から追放され、ドイツに亡命政権ができる。
>こういう状況で、イタリア人が黙っているだろうか?
http://banyahaiku.at.webry.info/200803/article_36.html


なるほど。わかりやすい比喩ですね。
状況を他の例にたとえるとその構造がよくわかります。
上記のような状況では、イタリア族はイタリア族自治区に入植して来るフランス人に対して反感を持つわけですね。というか、がんじがらめにされて、精神的にもう耐えがたく、やむにやまれず、蜂起するわけですね。

藤原新也さんも意見を表明されています。
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
>2008/03/15(Sat)
>今回のチベット抗議活動について
>20年前のチベットの抗議活動のおり、当時20万のチベット人が虐殺された。
>
>一口に20万というが、一個の市の人口のすべてが殺戮されたと考えればむな怖ろしい。
>広島の原爆投下による死者は10万人前後とされるから、広島の死者の倍という勘定だ。
>20万人という数が途方もない数であることが知れる。
>また中国側の主張する南京の虐殺30万人説と比しても、同等のチベット人が中国軍に
>よって殺されているということになる。
>それはあくまで抗議活動時の死者の数であって、1951年の中国のチベット占領時に
>120万人ものチベット人が虐殺されている。
>ただし、中国はチベット占領時にアメリカのように大量殺戮兵器を使ったわけでもなく、
>ナチスのようにガス室で一気に大量に人を殺したわけでもない。
>人海戦術で120万、そして20万人を殺したわけだ。この途方もない負の人間力は驚愕
>に値する。
(中略)
>今回のチベットの抗議活動(マスコミは「暴動」という言葉を使うべきではない)は胡
>錦涛政権の元でのオリンピックを照準としたものであることはほぼ間違いないだろう。
>というのは中国でオリンピックが開かれるということは、それに参加する世界の国々が
>半ば中国を民主国家として承認するに等しいからである。
>そして胡錦涛氏の過去の負の遺産をも忘却の彼方に押しやってしまいかねないからで
>ある。
>
>その意味においても、マスコミはそれを暴動という言葉で括るべきではない。暴動と
>いう言葉には無分別、無思慮という意味合いがある。
>今回の出来事は歴史的事実の上に立ち、現状を見据えた上に起きた抗議活動に他ならない
>からだ。


ここでの数字はもしかしたらちょっと誇大かもしれませんが、なるほど。
暴動とか反乱とか安易に言えないっていうことですね。
そういえばアメリカがイラクを攻撃したときも、アルカイダはテロリストではない、と言った人もいましたっけ。
当時アメリカの攻撃を批判してイラクやアフガニスタンに向かった平和団体、人権団体、各種NGOなどの人たちは、今回チベットには向かわないのでしょうか。

アメリカの帝国主義的、侵略的な面と中国の帝国主義的、侵略的な面は意味が異なると認識されているのでしょうか。
そうであれば、ぜひわかりやすく説明していただきたいと思います。
ほんとうに、なぜ彼らが行動しないのか理解できないのです。

同じ仕組みのものに対して反応が異なる計測器は適切な分析力を持っているとはみなされません。
共産主義系、社会主義系の「組織化」を得意とする人たちが作った市民団体は、ここでチベットを守ろうとしないと、合理的な人だとは思ってもらえなくなるのではないでしょうか。
物事の構造を見る前に、信仰で判断していたんだな、と思われてしまうかもしれません。

平和団体、反戦団体、人権団体、各種NGOの判断基準は、同じ構造の事例であっても当事者が誰であるかによって異なることがある、というのであれば残念です。科学的、論理的だとは思ってもらえなくなります。
(アムネスティはずいぶん以前からチベットの政治犯たちの支援もしていましたけどね)

ほんとうに共産主義や社会主義について興味のある人であれば、中国の現状が共産主義や社会主義の理想とほど遠いということはよくご存知でしょう。
なぜ、アメリカには文句が言えて中国には何も言えないのでしょう。
なぜ、タブーがあるのでしょう。
(精神分析学者にでも聞いたほうがいいのかな)

私は誰もとがめるつもりはありません。
ただ、私にはわからないのです。
なぜ日本の各種平和団体、反戦団体、人権団体、各種NGOはチベットやウイグルに対する中国の姿勢について発言をしないのか。

下記のようなことを言う人がいないのであれば、残念に思います。
各種団体にまったく関係のない人間であれば、下記のように言えるのかもしれません。
  ↓
かつて日本は中国を侵略した。一方的に中国人に自分たちのやり方を押し付け、大きな顔をしていた。ひとりよがりに満州の発展を誇っていた。
だが他の民族の深い思いにまったく思い到らず、たいへん苦しい思いをさせてしまった。
今でも恨みにおもっている人は多いでしょう。中国の人々に心から謝ります。
侵略は軍部だけの問題ではなく、われわれ日本の一般市民の責任でもあります。
無残に心身を踏みにじる侵略は繰り返してはならないと強く思っています。
だからあえて言わせてほしい。
中国人民は、チベットの人々を抑圧すべきではありません。
それは、われわれが中国人民にしていたことと同じことではないでしょうか。
ここで黙するようであれば、また同じことを繰り返してしまうかもしれません。
...黙している平和団体や人権団体は、侵略を黙認しているのと同じではないでしょうか。


そういえばイラクで人質になった今井紀明さんも高遠菜穂子さんも、チベットについては何も言及されていないようです。


<参考>
・今井紀明のかけら
http://blog.livedoor.jp/noriaki_20045/

・イラク・ホープ・ダイアリー(高遠菜穂子)
http://iraqhope.exblog.jp/

コメント (1)
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