波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

見たことのある有名人

2007-11-23 23:15:11 | Weblog
たぶんいろんなところで芸能関係の人とすれ違っているんだろうけど、めったに有名人だとは気づかない。
あまりにも小柄な人や大柄な人、やせすぎの人や太りすぎの人は視界に入り、芸能関係の人だと気づくことがある。

新宿アルタ前で見かけたカラテカの矢部太郎、
下北沢の本多劇場近くで見かけた猫ひろし、
渋谷円山町のユーロスペースで見かけたなべやかん、
彼らはかなり小柄なので目立っていた。

今年の4月に白金台の小さなビルのエレベーターで陣内智則とすれちがったけど、168センチもないように感じた。
神楽坂の裏通りを日常着で歩いている峰竜太はとてもつかれているおじさんに見えた。(二日酔いだったのかな)
10年前にロンドンのカムデンロックの古着屋さんでナカノヒロミチさんを見かけたことがある。
やや小柄で、金髪が目立っていた。

数年前恵比寿で見かけたクリエイターの高城剛も160センチ台前半だろうか。帽子と大きな目が目立つ。
6年くらい前に下北沢の小さなクラブですれちがった元ヒステリックブルーのナオキはプロフィールでは171センチだけどもうちょっと小さく見えた。
本人主催のイベントだったので見間違えることはない。
当時すでに逮捕されるようなことをしていたんでしょうか。最低でもあと5、6年は塀の中。あんな細身で強姦なんかできる力があったのだろうかと疑問に思う。小柄な子をねらっていたのかな。

昨年末に伊勢神宮で見かけた上祐史浩さんは、大きくはないけどちょっと太って見えた。何を食べているんだろ。

そういえばあるクラックのコンサートで、後ろの席に知り合いと来ている姿を見たのは日テレをやめる前の魚住りえ。
インド洋大津波被害者支援関係のクラブイベントでは鶴田真由さんをお見かけしたこともあったっけ。お二人とも目がぱっちり黒目大きめ。

飯田橋駅を出たところで見かけた宮崎駿監督はヒゲが印象的なのですぐわかった。
ロンドンブーツの淳はでかい車の窓を開けてケータイで調子良くしゃべっていたけど、大きな歯が印象的だった。

先月、三軒茶屋と下北沢の間の代沢十字路近くで、ほしのあきに良く似た人を見かけた。
帽子もかぶってたけど、唇が似ていた。かなり細く、けっこう背が高かった。
テレビで見ると大きく見えないけど、ほしのあきさんは165センチもあるらしい。意外に背が高い。
倖田來未が154センチなのに意外に大きく見えるのと逆パターン。

六本木のアマンドの前で見かけたモデルのはなさんは、細かった。
渋谷や神楽坂で見かけた小沢真珠や梨花や田中麗奈や、その他の女優もみんなかなり細い。

女優になるには細いことと小顔なことが必須なのだろうか。
顔だけでいうと、女優さんに負けないくらいきれいな編集者やライターもけっこういるんだけど。

先月渋谷から梅が丘に行くバスに乗ったとき、一番後ろの席の隣にいた人はMINMIとその彼、湘南之嵐の若旦那だったと思う。
本人としか思えない会話内容だった。

世田谷区内のあるスーパーでは、時々帽子にサングラスという不自然な姿で歩いている細い人を見かけることがある。
もしかしたら有名な人なのかもしれない。
私はあまり女性のことをきれいだと言わないけど、たまにすごく美形だなと思って聞いてみると、読者モデルに毛が生えたようなことをやっていたとか、マイナーなキャンペンガールをやっていたという場合が多い。
町の中で誰か知らないけど素人とは思えないな、という人を見かけることがあるけど、モデルか何かの世界では有名な人ではないかと思う。

以前田崎真也さん、野田幹子さん、羽田元首相、村山元首相などはワインバーやレストランでお見かけしたことがある。
野田さんにはCD知ってる、羽田さんには選挙に行ったことはない、とちらっと言ったことを覚えている。

他にも仕事関係や飲食店、サイン会やイベント、ライブハウスやクラブなどで何人か有名な人を見たことはあるけど、私はあまりミーハーなほうではないと思う。
なんだか、有名な人も意外に普通の人だ、という感じがする。
心の奥底で芸能人に期待しすぎているものがあって、どこかに拍子抜けしているところがあるのかもしれない。
あるいは、べつに最初から何も期待しているものがないのかもしれない。

まあ、どっちにしても東京にいると、、私みたいな引きこもり気味の人間でも年に何回かは有名人をお見かけする機会がある。
地方出身の人にとっては有名人は珍しい存在で、印象に残る出来事になるみたいだけど、東京で生まれ育った知り合いの女性は、あまり有名人に驚かない。藤原竜也とバーで飲んでるから来ないかというと電話が来てもかけつけたりしてなかったし。

そういえば昔父親が永田町で橋本龍太郎に会った、と言っていたことを思い出す。単に歩いている姿を見たっていうだけの話なのに。会ったとは言わないだろう、という感じだけど、ときどきそう言う人がいる。苦笑。


今、一番生で見てみたいのは、はしのえみさんと、百瀬博教さん。それから中沢新一さん。
乙葉さんや山川恵里佳 といった内心すてきだなと思っていた人が芸人の人と次々と結婚した。
はしのえみさんもそのうち結婚するんだろうか。もてないふりしてるけど、すごくもてるのでは。魅力的。
百瀬博教さんには、6月の鳥越祭に行けば姿を拝見することができるかな。かっこいい人だと思う。
ずっとむかしから中沢新一をすごいと思っているけど、プライベートではどんな人なんだろ。

昨年はサイン会で、会いたかった鴨志田穣さんと西原理恵子さんにお会いできた。
今年はあるイベントで楳図かずおさんの姿を見て、直筆イラスト入りサインをいただくことができた。
また、ある会で会いたかった岸田秀先生に会えて、肩まで組ませていただいたのがいい思い出。

来年もいいことがありますように!いい刺激をうけますように!


コメント
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レッテリストとかレッテラーとか

2007-11-23 12:54:19 | Weblog
頭の回転の速い、リーダーシップのある人はあだ名をつけるのが上手なことが多い。
あだ名も一種のレッテル貼り。
優秀なコピーライターがつくるコピーも一種のレッテル貼り。
言霊の国というか論理よりも空気読めの国である日本では、印象的な言葉が力を持つ。

言葉に肯定的なイメージを持たせるのはあまり問題も生じないけど、否定的なイメージを持たせると問題となることが多い。

シロガネーゼ(もう死語でしょうか)とか神楽坂ママン(すみません、造語です)とかポジティブなレッテル貼りというかカテゴライズは新たな視点の創出、という意味もあるのかもしれません。

でも、疫病神とか藪医者とかニートとかDQNとかアカとか歴史修正主義者とか人種差別者とか反日日本人とか極右とか、価値を見出せない者とか意見の異なる者に対する否定的な言葉は、叩く相手の姿を際立たせるためのレッテル貼りとも言えるのではないでしょうか。

ただ、ふと気付いたのですが、レッテル貼りをする人に対するレッテル貼りというのはあまり目にしません。

試しにGoogleで検索すると、11/23現在、「レッテリスト」は9件だけヒット。
「レッテラー」はもっとヒットしますが、病名(レッテラー・ジーベ病)をのぞくと20数件だけ。

さすがに、レッテリストとかレッテラーというレッテル貼りはあまり行われていないようです。
レッテルを貼って何かを否定することをあまり論理的ではない安易な方法だと感じる人は、安易に他の人に対してレッテル貼りを行わないのでしょうか。
レッテラリストとかレッテラーという言葉を乱用すること自体がレッテル貼りのようなものかもしれませんから。

だからレッテル貼りをする人たちが周囲の人からあまりレッテルを貼られないという状況は、けっしてレッテル貼りをしている人が真っ当で優れていているということではありません。

似たようなことは他にもあります。
他人のことをすぐバカだアホだと言う人は、あまり自分のことはバカだアホだとは言われていないかもしれません。
しかし、それはバカだアホだと言っている人が優れていて正しいと思われているからではありません。

自分の感覚や価値観に合うか合わないかですぐバカだアホだと言って否定する人のことを、安易にバカだアホだと評するのがつまらないことに思えるから、言う人がいないだけ。
バカだアホだという言葉を乱用すること自体がバカでアホなことかもしれませんから。


以上のようなことを書くと、レッテリストとかレッテラーとかバカだアホだという言葉を私が否定している、と思う人もいるかもしれません。
だけど、私はべつに否定しようとは思っていません。

私だって知らず知らずのうちにレッテル貼りをしているだろうし、第一、まったくレッテル貼りをしないで生活することは難しいでしょう。
みんなどこかに価値を見出し、形を見出し、カテゴリーを見出し、それを元にいろんなものを感じ取り、思考を行っています。

レッテル貼りの多い人やアホだバカだと言う人とは付き合いにくさを感じるけど、そういう人はそういう人で結構です。
いろんなものを楽しめる人もいれば、いろんなものに文句を言う人がいる。それはそれで世界の多様性を示しているかも。
マルクス系社会科学の影響を受けた人は、社会は発展する、人間の心も発展する、などと思っているかもしれませんが、私は社会も人間の心も複雑化したり単純化したりいろんな動きがあって、多様化していくのではないかと思っています。

あっちに行ったりこっちに来たり、波打ち際の波のようにいろんなことを考えていると、いつかは新たな海の輪郭線にたどりつくかもしれません。



<参考>アホバカ発言が連発される「上郡タイムズの」掲示板。関西ではアホよりもバカのほうがきつい表現だと聞いたことがありますが、実際どうなんでしょうね(もうかなり他人事。。。)
http://bbs1.sekkaku.net/bbs/kamigori.html

No.2621 投稿者:町民 投稿日:2007年11月08日 (木) 09時50分 [返信]
兵庫県が破綻寸前となったことでますます町は苦しくなりますね。たぶん半数以上の建設業者が倒産するんじゃないかな。それと西播磨ゴミ処理場と地上デジタル放送改正工事はまえまえから多額の費用がいることが分かってたんだから、合併特例債は絶対必要だったんです。それが分からない安則のようなバカが町長になったせいで町民は10割負担を強いられてしまいます。

No.2620 当然の結果 投稿者:播磨人 投稿日:2007年11月07日 (水) 18時35分 [返信]
そもそも合併に積極的でなかった赤穂を合併相手にすること事態が、これらの人物がAHO、BAKAといわれる所以であり、つくづく消えてほしいと思う今日この頃。

No.2619 5ばかを消せ 投稿者:町民a 投稿日:2007年11月07日 (水) 00時59分 [返信]
5ばかはいて百害しかない。いないほうがましだね。

No.2618 5バカに言われたくない 投稿者:町民 投稿日:2007年11月06日 (火) 12時22分 [返信]
 合併不成立となったことで住民の負担が増すことは仕方がない。バカな連中に任せたのがミスだったのだ。バカな連中にまんまと騙されたのがミスだったのだ。結果を甘受しなくてはならない。しかし、だ。5バカにだけは言われたくない。先日のチラシ。「単独町政になったので住民への負担が増しますが理解して下さい」だと・・・。殺人犯に説教されているようなものだろう。

No.2617 5にん 投稿者:町みん 投稿日:2007年11月06日 (火) 00時11分 [返信]
5人は、私らは阿呆です、馬鹿です、恥知らずですとみんなに分かってほしくて書いているのでしょう。読んだみんなは、そんなにしか取らないでしょうよ。

コメント (4)
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