落車 DNF
がっかり…
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脚の故障や体調不良もあって、一時は参加を止めようと思ったツールド沖縄。
再び参加を決意してから、出来る限り走り込み、高強度も取り入れて取り組んで来た。一方、坐骨神経痛は整体に通い、ストレッチの取り組みを変えることで快方に向かい、体調も良くなって来た。大会1週間前からはマスクして風邪だけは引かないように気をつけた。
コンディション的には去年には届かないかもしれないが近い所までは上げられたので、しっかり走れればシングル順位は行けるか、行けまいか、といった目標でスタートした。
スタート位置は、最前列からスタート出来るゼッケン4ではあったが、スタート直前までリラックスできる最後尾からスタート。
岩島選手に着いて、さあ前方に上がろうと思いきや、上がって行かない。最後尾作戦なのかな?どうしようか悩んでる間に早速落車が発生し始めて、リスク回避のためにやはり前方に上がる。水族館前までに先頭が見える位置まで上げて右ラインキープ。番手を下げないように進めていく。
水族館を過ぎたリゾートホテル街の下り、前走の名門チームの選手がマンホール?の段差でバランスを崩して落車。速度が60キロ近く出てた中で反応することも出来ず一瞬で地面に叩きつけられ、スライディングしながらよく分からないまま身体は停止。そこから自転車の津波が次から次へと襲ってきた。
落ち着いたところで、早く再スタートしなきゃと愛車に目をやると、垂れ下がっているリアディレイラーが。終わった、と思わず口にした。
落車した中には強豪選手も含まれ、本当にやりきれない気持ちになった。
少し自慢にしていたレースや練習での無落車記録は、13年間程でストップしてしまった。
道路脇に待機すると、痛みがドンドン増してきて、擦過傷であちこちから流血。メットには僅かな擦り傷しか無かったので頭は強打してない模様。ただ、右脚大腿部の痛みが強烈で歩けないほど。程なくして救急車で搬送され身体一つで病院へ。レース中に感じていたけど、今年は落車が多くて病院は怪我人多数。レントゲンまで2時間ほど待った。レントゲン後もしばらく待ち、動けないので人生初のし尿便を使用。そして、レントゲンの結果、骨折は無い!とのこと。これには本当に安堵した。診断は筋挫傷。何かに激しく打ち付けたっぽい。数日は強烈な痛みがあるとのことで痛み止めを処方され、さっそく服用。しばらくすると、ビッコひきながらなら歩けるようになり、オーガナイザーの用意した車で宿へ。財布もケータイもなく、支払いは後日となった。ちなみに靴もない状態。
宿ででら君、篠崎君と合流し、でら君に擦過傷の手当てをしてもらう。手当ての前にシャワーで傷を洗うのだが、超絶痛くて悶絶状態。喘ぎ声が抑えられない。そこから落車経験者のでら君、手際がすこぶる良い。多い日も安心なナプキンやラップを駆使して処置していく。ナプキンは近くのコンビニで買ってきてもらったもので、人間力の高さを感じた瞬間。本当に感謝感謝。
落ち着いたところで会場に行き、表彰式&パーリー。おでんを食ってると篠崎君が女性と話している。ぬお、道端さんではないか!ということで
ここで少し元気を取り戻す(単純)
パーリーがひと段落した所で、愛車を引き取りにいく。フレーム自体は特にクラックもなく、無事な模様。
あれだけの速度域の落車、周りではフレームやホイールが折れた選手もいたけど、超軽量のフレームがほぼ無傷という奇跡。転び方が良かった?のもあったかもしれないなしても、CARBONEXの品質の高さは起因してるんじゃないかと。少しでも弱い所があれば応力集中して破損してただろうし。これぞMade in JAPANクオリティ!
落車に関して、外から押されたとかの力が掛かった場合を除き、単独のものは起こしてはいけないものだと思う。しかもレースではそれによって多くの選手が機材、身体的ダメージを受け、損害にしたら膨大なものになる。人生だって変わる。スキルと注意力で単独の落車は防げるのだから、このレースに関わらず原因者はレースだから落車は仕方ないとか思わず、なぜそうなったかぜひ考えて欲しい。それは自分やチームにも改めて考える必要があるテーマだと痛感した。
宿への帰路、名護の海岸から望むサンセット。色んなところに染み渡りました。泣
シーズンラストレースということで、多くの方から声援を頂きました。本当にありがとうございました!!
傷を癒して、またボチボチ頑張って参ります。