イタリアより

滞在日記

年内閉鎖…covid19 in italia その1.

2020年08月28日 | ミラノ

ミラノ中央駅前/空港行きのバス客争奪合戦

2015年12月23日撮影

今はこんな光景は見られないのだろな…


■2020年8月28日

今年の正月明け早々に、中国国際航空のイタリア行き航空券を手に入れました。新春セールとして売り出された格安のチケットで、一昨年と同様、地方空港から一度大連へ降機して北京まで、そうして、そこからイタリア・ミラノへ飛ぶ旅程です。


ミラノから訪れたオルタ湖のサン・ジュリオ島

サクロ・モンテから撮りました/2015年12月24日


どこへ行きたいというあてもなく、料金にひかれてポチっとしてしまったのですが、行先はこれから考えよう、北イタリアの、まだ訪れていない町は沢山あるし、昨年の続きでシチリア再訪もいい。そうなると効率は悪いけど、ミラノ中央駅からリナーテへ移動して国内線でカターニアへ等と、この時点では一年先の旅なので、空想やら妄想やらを含めて、机上のプランを寝物語に描いていました。まさか、covid19という感染症で世界中がパンデミックに陥るなんて、私の妄想ストーリーにもありません。


ミラノからトリノへも足を延ばしました
トリノのシンボル・モーレ・アントネリアーナ
2015年12月26日

この下で随分待って入場
ガラスのエレベータでてっぺんまで上がりました
晴天だったので塔からの眺望は絶景でした


履歴を見るとチケットを購入したのが1月10日でしたが、この一か月後あたりから新型コロナウイルスは、北イタリア・ベネト州の小さな村にじわりと忍び寄っていました。新聞の記事(2020年8月5日/朝日)によると、2月21日、私が幾度も足を向けるベネチアからほど近くにある「Vo'」(ボー)という村にある宿「ロカンダ・アル・ソーレ」(上記新聞記事より)の宿泊客が発症し、その日のうちに亡くなったのだとか。


ベネチアのホテル前に飾られたプレゼピオ
バスティン通りにて
2015年12月28日


この男性は、中国への渡航歴はなくイタリア国内で感染・死亡した初のケースとなり、ボー村のみならず、イタリア全土に衝撃が走ることになりました。この頃、ベネチアでは、恒例のカーニバルが開催されていて、熱気を帯びたお祭りは頂点に達していただろうと思います。

のちに『そして街から人が消えた/封鎖都市・ベネチア』と題して、NHKがこの祭りの主催者の、慙愧に堪えない種々の思いを吐露したドキュメンタリーを放映しましたが、小さな村で始まったいわゆるクラスターが、イタリアの州ごとの判断で被害の大きさの明暗を分かち、後にはその実態さえも浮かび上がらせることになります。


年末あたりからカーニバルの衣装を着けた人たちが出没し始めますが
一緒に記念写真を撮ると料金を請求される…

ベネチア・スキアボーニの河岸にて

2015年12月29日


ちなみに、人口3300人のこのボー村の村長と州知事は、「疑わしい症状のある人や中国への渡航履歴がある人が検査対象」とする当時の政府の方針に反し、感染者が確認された当日、村ごとそっくり隔離して、全住民にウイルス検査を施すという英断を下します。州独自の判断で都市封鎖の実施を決め、公共施設は勿論のこと、村に通じるあらゆる道路を封鎖するという徹底した隔離政策で、ついにウイルスを封じ込めた、これがイタリアでの成功例になります。


徹底した隔離政策でウイルスを封じ込めたVo`(ボー)村

ストリートビューより


しかし、この「ベネトモデル」と呼ばれるウイルスに対処する取り組みが遅れた、ミラノを州都とする隣のロンバルディア州では、感染爆発を起こし、ボー村のあるベネト州の約5倍の感染者、8倍にものぼる死者数を出すことになりました。

隣り合う州で、ほぼ同時期に感染者が確認されたにもかかわらず、こうして明暗が分かれ、のちにロンバルディア州が深刻な事態に陥ったことは、わたしたちの知るところです。

-続く-

コメント (2)
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