絵本と児童文学

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絵本Q&A-その4

2004-08-12 06:51:44 | 絵本と児童文学
[157] 絵本のQ&A-その4 (2004年08月12日 (木) 06時51分)

Q4 絵本を幼いときから親しませると、読書好きになるあるいは勉強の習慣がつくでしょうか。

 イギリスのバーミンガムで92年から、1歳近くから絵本を与えるブックスタート運動が始まりました。幼いときに絵本を与えた子どもと、そうしなかった子どもを追跡調査しました。その結果、幼いときに絵本を与えられた子どもが本好きを継続するということが明らかになったのです。それを根拠として、イギリス全土にブックスタートを広めたのです。
 日本ではそれをモデルとして99年からの助走があり、01年12月に「子どもの読書推進に関する法律」を制定し、自治体に条例制定して推進することを責務としました。それは子どもの読書離れを深刻なこととしてとらえ、国家的事業として読書を推進しようとしているのです。なにしろ、OECD(経済協力開発機構)加盟37カ国の高校生を対象にした読書調査(00年)では、第4群(小説、伝記、ルポなどの長文)の読書時間は最下位ということからしても、看過できないことしたのは理解できようというものです。
 幼いときに絵本を与えることは、その後の読書好きになる可能性は想像できますが、日本の環境では楽観できないと考えます。イギリスは児童文学の歴史があり、自国語に対する自負が強い国です。日本はビジアルなテレビ、ビデオ、それにアニメ、マンガ、ゲームなどメディアが多く、家庭の中で幼いときから接する環境にあることです。これらは娯楽性を備えており、絵本より親しみやすさという意味では力を持っています。それに子どもが単独で扱えて、楽しめるものです。
 しかし親が絵本の読み聞かせを意図的にすれば、絵本を介在した語りのコミュニケーションだけに、ビジアルなメディアであっても、絵本にはかなわないものです。まず日々の生活の中に絵本の読み聞かせが根づくくらい、量的におこなうことです。
 それに絵本の内容です。最近の傾向として、乳児向けの絵本が、子どもが操作するおもしろさを備えたものが多くなっています。 いわゆる絵本のおもちゃ化です。子どもの歓心をよびますが、ビジアルなメディアのように消費されていくものです。
 子どもに言葉による音を通して、大人が物語という想像の世界を届けるという読み聞かせをしなければなりません。絵と言葉で心地よいコミュニケーションが、やがて読書のおもしろさをもてる可能性が大きく開けてきます。なにしろ絵本という文化財は、日本のものでも40年も読み次がれているほどのものがあります。親子読み次がれるような絵本は、普遍的価値を持っているといってよいでしょう。
 日本の子どもたちは、小学校高学年から読書離れが始まります。ビジアルなメディア、とくにマンガへ進んでいきます。それに中高受験や特化されたスポーツ体験に傾斜がかかるため、実利的な知識の重視や言葉を紡ぐのを軽視する文化になっています。読書という実利と遠いところの教養を蓄積する生活のゆとりは、残念ながら弱いといわざるを得ません。さらにケータイの普及が、内的世界をつくる知的活動である読書に影響が及んでいることが考えられます。
 そのようなこともあって、中高生向けの文学であるヤングアダルトという分野は、他の先進国と異なり不調です。さりとて新聞読むことも含めた大人の分野に入り込むわけでもありません。『ハリー・ポッター』がメガヒットとして読まれた現象があったが、読書の回復につながったわけではないあだ花といってよいでしょう。
 カナダの場合は、文学教育を一般的な作品から教師が選んで扱うとのことです。そのため子どもが他の作品も読むことになり、ヤングアダルト分野は活気があるとのことです。
 絵本の読み聞かせは、現象的には一見勉強と似ています。しかし読み聞かせの静止した動作が勉強の習慣につながると訳ではありません。
 幼いときから言葉で想像する楽しさの域までいければ、読書好きと幅広い教養を備えた子どもに成長する可能性が期待できます。それは人間の生涯の発達の土台になるであろう、知的好奇心を自ら耕し続ける力につながることでしょう。