絵本と児童文学

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過疎から元気を発進する障害者施設

2004-02-02 16:57:53 | 福祉
[119] 過疎から元気を発信する障害者施設 (2004年02月02日 (月) 16時57分)

 その地に知的障害者の更生施設が設立されたのは、82年であった。今年度からさらに、授産施設を発足させた。いずれも町立民営ということである。そのゾーンには養護学校の高等部もあり、1800人ほどの地域に障害者のコロニーが作られているといってもよいだろう。
 町は北海道の日本海沿岸にあり、産業は漁業と農業で、人口4000人あまりである。多くの日本の地方がそうであるように、人口は最高時の25%ぐらいとなった過疎地である。
 私は発足した授産施設が、どのような事業展開をしているかじかに見られるのを期待して訪ねたのであった。国道から少し入った雪につつまれてまっ白な丘陵地に、物語をかもし出すような赤い屋根の建物があった。
 事業内容は、布団のクリーニング、魚介類の加工、牛肉の加工の3部門を設けていた。魚介類と牛肉は、地元で生産されたものを使用している。素材の良さがよい製品を生み出し、札幌市のデパートで販売されギフト商品にも選ばれ好評とのこと。さらに生協との取引の可能性が出てきているとのことである。布団のクリーニングも好評を得て、需要地域が拡大しつつあるとのことであった。
 立地条件に即した事業内容を考えられているだけでなく、利用者の仕事のやりがいに配慮されていることが特徴である。布団クリーニングでは、汚れをていねいに落とす作業をいとわないことが、布団をよみがえらせることに結びつくことが喜びとなる。魚介類と牛肉の加工の製品が大都市のデパートに陳列され好評であることが、仕事への誇りをも創り出すだろう。ちなみに利用者の月額の工賃(賃金)が、2万円とのことだ。初年度からこれだけの金額を生み出すのは、驚くべきことなのだ。
 また、20年の歴史を持つ更生施設では、パンを作っている。これもよい素材を使っていることもあり、味は好評である。さらに地元産の米を素材にした、パンの生産を構想中とのことであった。
 これらの事業は、一部の商品が好評であったとしても、生産するすべての商品の消費の確保、販路の確実性がなければ継続が不可能になる。一般的事業でいう営業活動である。所長は、いわば営業活動に力を注ぐことが多いという。
 施設の職員は、130キロほどある都市旭川市にトラックで販売に行くとのことだ。製品ごと収納できる特別仕様のトラックを、高額で備えていた。夏の人手の多いときでも地元だけでは1日5万円ほどの売り上げが、そこでは20万ほどの売り上げになる。就労が難しい地域で、起業をしているといってよいであろう。
 また、パン作りではレストランと連続しているので、お客さんに見えるところで作業をする。時には中学生が総合学習で、パン作り体験をしに来る。そのときは利用者が中学生へ指導する立場になる。中学生がていねいな仕事と熟練振りに驚くとともに、利用者には仕事に対する誇りを自覚する機会にもなる。そのような交流が中学生に人間観を立ち止まって考えることになるだろうし、利用者にとっては生きがいと人間としての自尊心を創出しているのである。
 20年の歳月に、地域に根づく施設のあり方を実践してきた成果は確かなものがある。グループホームが3ヵ所となり、地域の人が利用者を名前で呼ぶことに象徴的なように住人としてともに暮らしているように思える。昨年の利用者同士の結婚の際は、地域の人もパーティーの実行委員会に参加し、祝福の輪が広がったとのことであった。利用者の処遇に、人権の尊重をかかげているのが反映されたのだ、と感じた。
 新設された授産施設の建築は設備も含めて3億円だった。町の補助が2億円だが、財政規模からしたら小さくない負担である。しかし地域にとっては、人々のつながりをつくり、新しい文化をつくり、起業は活力となり、元気の発信というかけがえのない人間を励ますいとなみになっているのである。
 この地域の1月下旬としては、珍しく穏やかな気候であった。施設を後にしたとき、陽の光で雪が輝いていた。遠く水平線に目をやると、雪に包まれた天売、焼尻島がくっきりと見えた。原風景でもあるこの景色を見たのは、もう何十年ぶりだろうという感慨をもち、人々のいとなみに幸いのあることを願ったのだった。

広場でのサッカー

2004-02-02 14:13:19 | 子どもからの発見
広場でのサッカー  (2004年02月02日 (月) 14時13分)

 風が冷たいものの、いい陽気である。広場に、サッカーをしに出かけた。とはいってもぼくがやるためではなく、近くに住む3歳2ヵ月の海と一緒である。3号ボールを初めて外で使う日となる。
 広場は1000坪ほどだろうか、大人がソフトボールをしていた。隅の方を使って、ぼくはゆっくりボールを押し出すようにドリブルをして一緒にやるように誘発するが、「サッカー」と口ずさんでそれらしいフォームをしてひたすら走る。ボールを時々足で触るそぶりをしながらなお走る。
 海はすでにテレビでサッカーを見ているためか、サッカーは走るものと象徴的にとらえているようである。ときおり「ニッポン、がんばれ」ともいう。テレビで得たサッカーを、ごっこのように再現しているのである。ぼくのやろうとしていたことでは、数回ボール交換しただけだったが、初回だからやむをえない。完成度の高い内容の映像再現としてのごっこではない、ボールを扱うおもしろさをどう体験させていくか、考えていくことにした。現実をみようみまねで獲得することの方が子どもの力になるものだし、子どもが映像から学ぶことを内容によっては過信してはいけないと考える。
 顔が紅潮したのを見て上着を脱ぐようにうながしたら、ぼくにも上着を脱ぐよう言った。ちょっと寒かったが脱いだ。ぼくの上着を自分の脱いだ上着のそばへ置いて、いっそう共感的感情が生じたようだった。
 途中で空を見上げてジェット機の雲を見つけて「はしごだ!」といったので、一瞬意味がわからず反応が遅れたら、「消防車のはしごとおんなじだ」と付け加えた。なるほど飛行機雲は2本線だった。「おんなじだ」というのは、3歳ならではの形の弁別に関心を持つ特徴を現しているということだ。
 また「どうしてサッカーするの」とも聞かれた。「いい天気だからだよ」と即答したが、その答えでよかったか迷っている。いい天気の日はサッカーをする、と思ってしまうかもしれない。「ぼくがやりたいからだよ」と言えば、ぼくの呼びかけでサッカーをするとなるので、その方がよかったかな。
 この「どうして」というのは、しばらく接触がなかったのにぼくが呼びかけたことにもよるだろうが、5歳頃までは何かにつけて「どうして」を連発することになるだろう。言葉を考える手段として使えるようになることであり、対応は大事にしたい。その場しのぎで関心をそらすのではなく、さりとてすべてを説明し尽くすのでもなく、理解できる範囲にとどめながら、場当たり的ではない一貫性をもった対応が必要だろう。内容によっては秩序の形成になるものも含んでいるので、大人自身のあり方が問われることでもある。
 ぼくは70歳を越えただろうお年寄りに目がいくが、ソフトボールに加わっていた人がいた。広場の枝打ちをしていた人、ウォーキングの人、ベンチにすわって辺りを眺めている女性は、海に話しかけてきた。
 ひろった石を大事そうにポケットに入れ、大仕事を終えたような気分で帰路についた。住宅地の道を歩くのだが、車が通るときは端によって立ちどまって通過を持つ。これは1歳過ぎからの散歩の際、自転車、バイク、車とすれ違うときに立ち止まったことが定着したのである。子どものテンポに合わせて歩いて10分ほどで家に着くと、母親に得意げに何かを告げていた。

<近所に住んでいる子どもと交流したとき、これを通して発見したことを随時綴ることにする。>