あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

火の玉小僧、吉村道明の生き様

2016-01-08 07:00:53 | 日記
妙技・回転エビ固め

 力道山亡き後の日本プロレス界では「四天王」と呼ばれた選手達が、一歩抜け出して
マット界に君臨すべく競争に明け暮れていました。
しかしひとりの男だけは、生涯を通じて決して主役を望まぬ生き方を貫き通したのです。

 毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」と題してお届けしていますが今週は
 火の玉小僧 吉村道明 です。

 183cm、108kgの均整の取れた体で日本マット界最高の業師と評価されていました。
向かってくる相手選手を飛び越え腰の辺りに両腕を回して後方に回転、抵抗させぬまま
フォールを奪う魔法の技・回転エビ固めを得意としていました。
 当時この技の使い手は他におらず、吉村の最高の見せ場でした。
これが一番の輝きを見せたのは第11回ワールドリーグ。
優勝候補のボボ・ブラジルと対戦した吉村は下馬評を覆して回転エビ固めで勝利を治めました。
 この1勝が優勝戦線に波乱を招き大会の盛り上がりに大いに貢献をしたのです。

 忘れてはいけない吉村のもうひとつの得意技が、当時は飛び蹴りと呼ばれた
ドロップキックです。
背中がマットと水平になる正面飛びで、一本の矢の様にまっすぐに相手選手の顔面に
突き刺さる美しさは、もはや芸術の域でした。
 もう一度その姿に触れたくて、写真をネットで検索したのですがとうとう1枚も
見つかりませんでした。

前面に出ない生き方

 吉村の戦い振りを一言で言うならば「凶暴な外人選手にトコトンやられる」役でした。
力道山は「外人選手の反則に苦戦を続け、我慢の限界に達した時に鬼人の如く反撃に出る試合」
で観衆を魅了しました。
 その演出はその後も長くプロレス界で踏襲され、時代劇や特撮ヒーローにも影響を与える程
日本人好みな物として定着しました。
 吉村もそれに従って毎試合大いにいたぶられるのですが、違っていたのは反撃に転じた時でした。
決して自分では反撃をせず、その任をタッグパートナーに引き渡すのです。
 血止めのタオルを頭に巻いた吉村を気遣いながら、パートナーは獅子奮迅の戦いを展開します。
だから吉村と組んだ選手は誰もが輝いて見えた物です。

 最後までスタイルを変える事無く、1973年46歳で吉村道明はマット界を去りました。
以後プロレス界とは接点を絶った潔い引き際は、男吉村の生き様そのものでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする