貴方は日本の治安が警察機構に依って守られていると思っていますか?
女性が一人で夜道を歩く事が出来る日本です。基本的に安全な国である事に私も同意いたします。
勿論、安全とは相対的なものですから一般的な諸外国に比べて、安全との意味合いです。女性一人で寂しい夜道を歩く事が絶対に安全だとはいえません。再度お尋ねします。この安全を担保しているのは世界に誇る警察機構のお蔭だとおもいますか?
私は全くそのようには思っていません。
なぜって、自分は日本の警察機構は無能だと思っているからです。
日本の安全は警察機構や司法制度で構築されたものではありません。
日本人本来の平和的な気質や道徳観念や戦乱の無くなった400余年に亘る治世の賜物だと思っています。
次はウキペディアからの引用です。既に明治の世ですが、如何に安全な日本で在ったことかを示しています。
日本横断旅行[編集]
旅行家イザベラ・バードによる1878年(明治11年)6月から9月にかけての東北・蝦夷旅行でも通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし、東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した。多くの行程は伊藤と2人での旅だったが、所々で現地ガイドなどを伴うこともあった。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。
私(イザベラ・バード)はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている[17][18]
明治の世と言えロビンフッドのお話を待つまでもなく、どこの国でも安全に旅行するなど問題外です。本人の意思に関わらず一大決心して自国と言えども旅に出たものです。現在の日本を訪れる諸外国の観光客の方々が日本は安全な国だと賛美します。勿論、殺人も起きますし泥棒も存在します。なのに心理的安心感が平和と感じる世を造り上げているのです。ここで勘違いしてはいけません。根本的に日本の警察機構によって安全が保たれているのでは無い事のです。警察など安全の為に何の足しにもなって居ないのです。国民・日本人一人一人が正直で犯罪を犯す意思が無い善良な人々の集まりが犯罪に遭遇する事の少ない社会を創っているのです。ですから、江戸の世でも明治の世でも現在の世でも、犯罪が極端に少ないのです。この事は仏教等の宗教的な良心より、八百万の物事に神が宿るとする日本人特有の価値観や道徳観などが大きく作用しているのです。
警察など司法組織が人々を理りしているわけではありません。個人個人の心が個人の行動を理しているのです。
人間一人一人が兼ね備えている行動規範のなせる業です。
警察が有能など錯覚してはなりません。それは傲慢の極みです。